良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『デビルマン』(2004) これは「姉歯デザイン」に違いない。映画とは呼べない。

 『デビルマン』、まさにこれは「姉歯デザイン」と言って良いほどの欠陥作品です。しかも雇い主である、ヒューザー的立場にいた東映は、出来の悪い完成品である『ピンチ・ランナー』を既に知っているのです。性質が悪いのはデザイナーとも言える監督だけではなく、依頼主の東映、「驚異のCG!」などという宣伝を担当した、うそつきである映画雑誌も含まれます。業界全体の癒着構造が見てとれる縮図が、この『デビルマン』なのです。  衝撃的な内容であった、『デビルマン』について、話を進める前に、エド・ウッド監督について書いていきます。映画ファン歴が長い、映画ファンにとっては、エド・ウッド監督作品というブランドは最悪の映画であることを証明する、もっとも有名な商標でしょう。どんな映画が、一番酷いのかを知る手がかりになるともいえます。見たことは無くても、名前だけは聞いたことがある監督名でしょう。  今でもビデオやDVDで見られる『グレンとグレンダ』、『怪物の花嫁*』、『プラン9・フロム・アウタースペース*』、そして『死霊の盆踊り』という四本の彼の作品は、その最悪映画の見本市です。(*は既にこのブログ中でも記事を上げています)これに付け加えるならば、『ピンク・フラミンゴ』を挙げても良いでしょう。  そして、まさか小津、黒澤、溝口を生み出した日本において、彼に勝るとも劣らない怪物が日本のメジャーである、東映から作品を出していたのです。泣く子も眠るほどの凄まじい作品群を排泄してきたその人こそが、この素晴らしい原作を持つ作品を映画化するという話を聞いたときには、本当にショッキングでした。  彼の名は、那須博之。古くは『ビー・バップ・ハイ・スクール』、近年でも一番可愛かった頃の後藤真希を引き立たせるために、当時激太りだった、『モーニング娘。』の安倍なつみの醜い手足をわざわざ日本中のスクリーンに曝け出した『ピンチ・ランナー』を世に送り、映画ファンの度肝を抜いていた監督こそが彼、那須博之なのです。  まさか、あの那須が、あの名作『デビルマン』を映画化するなんて思いたくもありませんでした。なんせ、デビルマンは小さかった頃の異色ヒーローだったのです。コミックは永井豪自身の最高傑作であるばかりでなく、TVアニメも大ヒットしました。原作はかなりグロテスク、陰惨、凄惨、残酷など難しい漢字がオンパレードするような過激な作品でしたが、独特の魅力を持っていました。  子供向けに作られたはずのアニメにも、原作の妖しい魅力は継承されていて、他のアニメにはない素晴らしさを感じていました。結末は原作とアニメではかなり違いますが、アニメの結末もあれはあれで良いと思っています。両方とも好きです。  このように原作、アニメとも素晴らしい、この『デビルマン』をなぜいまさら、しかもなぜ那須に撮らせてしまったのか。まず第一の問題点として、劇画を映画化するときにもっとも難しいのは、ファンの間に、既に完成された絵コンテが出来上がっているということです。絵として表現された原作、そしてそれを動かし、音を付けたアニメの、ほぼ完璧な見た目の表現がファンの脳裏に焼きついているのです。  これを覆すにはよほどの審美眼と独創性が必要です。原作、アニメと同じ構図を実写で作ったのでは意味がない。しかし既に完成されたイメージを観る人すべてが持っている。この見た目の問題をどうクリアするのか。監督の人選を含めた、演出面における失敗、それが第一の問題でした。  つぎに魅力的なキャラクターを誰が演じるのか。不動明のワイルドなイメージ、ミキちゃんの健康的な可愛いイメージ、シレーヌら妖獣たちの妖しい魅力を誰が表現できるのか。ドラマの部分に真実味がないと、こういった特撮物の作品は崩壊してしまうのは量産型ゴジラや量産型ガメラを見れば、明らかでしょう。  学生達が生活する学校という、作品の舞台設定上、どうしても演技には難のある若手や新人に頼らざるを得ない役柄である、明やミキはある程度仕方がないとしても、脇を固める大人達にはしっかりとしたベテラン俳優達を数多く起用せねばなりません。しかしながら、東映及び、製作サイドは最低限の努力を欠いているとしか言えません。ドラマに感情移入できないという、演技での失敗は致命的な原因です。これが第二の原因でしょう。  第三の問題として、原作のプロットを中途半端につまみ食いしたせいで、本来ならば、パート2、パート3と続編を製作できるほど、豊かなエピソードに事欠かないこの名作『デビルマン』を失敗作に貶めてしまった脚本の過ちがあります。  失敗の根本原因は妻である那須真知子の書いた、脚本のあまりにも酷い出来の悪さにあります。構造を決定する部分、作品の骨組みを決定する部分に手抜きと愛情のなさが感じ取れます。あの緊張感溢れる原作をどうやったらこんなにつまらなく表現できるのだろう。夫婦揃って、彼らが「エド・レベル」なのには驚かされました。  最大の見せ場であるはずの特撮部分については、もはやかける言葉もありません。佛田洋なる人物が、特撮を取り仕切ったようですが、 あんなくだらないものを作るのであれば、『ボーンフリー号』みたいに、パートアニメにしてくれた方がましでした。見た目に嬉しかったのは明のTシャツに「A」が、アニメと同じようにプリントされていた事くらいです。寂しいです。  気を取り直して「シレーヌ」の登場シーンを見た時には、ほんのすこしだけ期待をしましたが、すぐに裏切られました。 佛田洋 という名前は覚えておこうと心に決めました。彼の名前=駄作でしょうからね。皆さんも誰が関係したかを調べておいて損はないと思います。  ちなみに公開初日の舞台挨拶に、原作者の永井豪が現れたようですが、彼は自分の最高傑作が、あのように無残な姿をさらした事をどのように思っているのだろうか。思い出の作品を最低レベルの映画にしてしまった那須は妖獣に違いない。  評価については映画自体に観るべきものは何もありません。ただ原作に敬意を示すために、あえて簡単に0点などは付けません。20点付けたいのですが、永井豪がこの作品の挨拶に行ってしまった失態を考慮してみました。  また「史上最低の映画」という勲章を映画への愛情のかけらもない、連中には送りたくはない。エド・ウッドはダメ監督でしたが、映画を愛していたのは彼の作品を見れば解ります。この作品のダメぶりはエド作品を越えていますが、必死に作ってダメだったエドとは違い、やる気もなく作ってダメだった、この連中には、製作者のプライドすらない。東映は責任を取って、すべてのDVDやビデオを回収するべきだ。 総合評価 15点 デビルマン
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