良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『民族の祭典』(1938) ヒトラーにより、政治的かつ劇的に利用された、最初のオリンピック。

 ドイツの生んだ鬼才であり、女性監督のレニ・リーフェンシュタール監督による、1936年のベルリン・オリンピックの記録映画であり、ナチス・ドイツによって最大限に利用されたプロパガンダでもある。だが、この作品にはただの宣伝映画にはないものが多くある。それこそが映像表現であり、スポーツ中継において、今でも通用するような映像表現が、1938年製作のこの映画において、ほとんど既に提示されています。  オリンピック記録映画を、ある特定の意図を持って製作すると、予想もしなかったような新たな意味を持ち、大衆を自分達の都合の良いような方向に導いて行く事の恐ろしさを、この作品から十分に学べるのではないでしょうか。これはドキュメンタリーの形をとった一大プロパガンダであります。  例えば、10の真実の中に、ひとつの欺瞞が入っていたとしても、それを見抜くことは大変難しい。大衆を騙す術を知り尽くしているナチスのいやらしさと明晰さは、敵であったはずの連合国軍の宣伝でも見事に継承されていきます。よりストレートなのは『意志の勝利』ですが、この『民族の祭典』、そして『美の祭典』を見ても十分に伝わってきます。  その効果をいち早く見抜いていて、すかさず利用したナチス・ドイツ、とりわけ宣伝相だったゲッペルスの卓巳さと先見性の良さに舌を巻く思いです。ヒトラーによる『わが闘争』などの書籍、ヒトラー・ユーゲントやSSなどかっこ良いデザインで仕立てられた制服などの服飾、大衆を惹きつける演説のみならず、音と映像の両方でアピールする映画においてもセンスの良さを感じさせます。  この作品はまさに、宣伝相ゲッペルスが、ヒトラー総統を説き伏せ、リーフェンシュタール監督に全権を委任して、製作させたことにより、後世に誇る完成度を持った類稀なるオリンピック記録映画となりました。40台ものカメラを自由に使う権利を持ったリーフェンシュタール監督は実験的な映像表現も含め、全ての才能を注ぎ込む自由を与えられました。  伝統と歴史のある、ギリシャパルテノン神殿の映像から始まり、実際にベルリンのオリンピック競技場にたどり着くまでに、じつに15分近く費やします。この焦らしのテクニックを効果的に使用した演出方法は巧みであり、この15分という時間は、大衆の集中の続くギリギリの長さであり、これ以上長すぎると散漫になり、5分以下だと、ありがたみがない。大衆の心理を知り尽くした演出は薄気味悪いが、的を得たものでした。  プロパガンダと言えば、ロシアにもエイゼンシュテイン監督という天才がいましたが、彼とは違った表現の美しさがある。作品の8割方をドキュメンタリー的手法をとり、真実味をアピールしながらも、残りの2割で作為的な演出を加えていく。映像の配列により、意味を持たせるモンタージュ手法はエイゼンシュテイン監督の十八番ですが、敵国ドイツでも、より巧妙に、モンタージュの効果を利用していました。  こうなると観客にとっては何処までが真実で、どこからが嘘なのかを見抜くのは至難の業であろうし、ほとんどの人はそのようなことすら考えなかったに違いありません。映像というものは、目に映るものだけに、見たもの全てを信じてしまう危険を常に抱えているのです。   また歴史的に見ても、第一次大戦で自信と財産を失ったドイツ国民が、英雄ヒトラーを得ることにより取り戻した力(1945年には再び自信をなくし、ヒトラーが食わせ者でしかなかった事に気付くことになります。)、それが第二次大戦前に再び暴発寸前になっていくエネルギーの巨大さを、映像の端々に見ることが出来ます。  ポーランド侵攻前のドイツの国力の充実、大衆の異様な熱気を切り取っている、とても貴重な価値のある映像記録でもあるのです。占領国側による編集ではなく、枢軸国側の編集によって構成されたこの作品は、後の我々が見ることすら出来ない可能性すらあったのではないでしょうか。実際には英語のナレーションが被せられていて、オリジナルの言語であるドイツ語でのナレーションが聞けないのが残念ではあります。  技術的に見ていくと、代表的なスポーツ中継のテクニックである、クロース・アップで示される選手達の緊迫感と必死さ、スローモーションの多用による「ある瞬間」の再現映像、アイ・レベルに据えられたカメラによりもたらされるスピード感、ロー・アングルのカメラが与える選手達の力強さ、そして俯瞰ショットと歓声により共有される競技場での臨場感、ショットを素早く切り替えることにより観客の興味を保たせるモンタージュの妙など、「スポーツ中継かくあるべし」という、まさに教科書のような撮影テクニックの宝庫です。効果音の入れ方も見事でした。  その他ユニークに映った映像にはハードル走において使用された、スターと地点の後から撮って、徐々に選手達が遠ざかっていく映像でした。面白いが、観客にとっては解り難い映像だったのではないかと思いました。金メダルを取った選手の国歌を演奏して、国旗掲揚が始まったのもこの大会からでした。競技の勘所に登場するヒトラーの姿も印象に残ります。  最も有名なのは、棒高跳び競技の映像だが、これはじつはドキュメントではなく、撮り直し映像であることが、のちに『オリンピア』という書籍でも著述されている。実際にこの映像を見てみると、明らかに空の色が違う場面がある。  熱戦のために、夜まで競技がずれ込んだのも影響しているのかもしれませんが、夜の映像などは後でなんとでも再撮影し、編集することも出来たことでしょう。仕上がりを見れば、とても迫力のある映像になっていますので、映画としては良いのですが、あくまでも記録としてみるとこれは失格でしょう。  政治的な配慮も見逃してはならない。日独伊三国同盟の影響からか、日本とイタリアに対しては、かなり好意的に映像がまとめられている。また、英米に対しても比較的公正な視点を保っている。北欧の国に対しても、配慮がなされている。ソビエトは完全に無視している。オランダやポーランドに対しては見下したような映像が多い。さきほど好意的と書いたアメリカですが、活躍しているのはほとんど黒人ばかりであり、これはアーリア人の優性を説いたナチスによるアメリカへの皮肉のように映りました。  1本通して見ると、あらためて気付くのは、スポーツにおける映像表現の巧みさであり、プロパガンダの恐ろしさでありました。普通に見ていると、とても美しい作品であり、肉体美の躍動感がナチスの魅力を代弁しているような印象すら与える作品でした。 総合評価 86点 民族の祭典 (トールケース)
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