良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『山椒大夫』(1954) 命懸けで正義を貫いた先に待ち受けているものは・・・。ネタバレあり。

 溝口健二監督の戦後トーキー期における『雨月物語』と並ぶ代表作であり、単に溝口監督の代表作であるだけでなく、歴代日本映画の代表作でもある。これほど深い作品を現代の監督はいまだに誰一人撮れていない。

 ほとんど全ての昭和世代の日本人ならば、知っているだろう『安寿と厨子王』の昔話。古臭く、そして子供のお話だと思っていたものを、何故に彼ほど有名な監督が映画化したのかが見るまでは、まったく解りませんでした。

 子供のころには単純な勧善懲悪の話だと思っていたものが、こんなにも深刻な物語だったことに驚きを隠せませんでした。正義を貫くとはどういうことなのか。貫くためには何をしなければならないのか。

 正義は簡単に手に入るものではなく血を吐き、全てを犠牲にしてようやくほんの少しだけ手に入るものなのです。綺麗事ではない、真実の正義を語った映画です。ATGの青臭さとは全く次元の違う、溝口芸術の真髄を見てもらいたい。

 

 不正は今も昔もあちこちに転がっていて、純粋な人、正しい人をあざ笑うように飲み込んでいきます。ここでの不正は「権力」のそれであり、横暴であり、弱いものへの無関心と無慈悲です。この作品に登場する「権力」は三つあります。

 「朝廷」、「寺院」、そして「武士」です。「朝廷」は権威付けや階級を重んじ賄賂を取ることしか頭にありません。「寺院」はこの三者の中では搾取には加わりませんが無関心を続けることは消極的ではあれ関与していることになんら変わりはありません。「武士」は「朝廷」や「寺院」から見ると卑しい存在ではありますが、徐々に彼ら自身の実力を蓄えていっている段階です。そして彼らによって搾取される存在が「農民」であり「奴隷」です。

 

 十年以上の時をただひたすら待ち続け、ようやく「武士」の下端である山椒大夫を滅ぼした厨子王も「朝廷」からの命令違反のかどで役人の地位を追われます。また皮肉なことに彼が命をかけて全てをなげうって助け出した「奴隷」は何をして良いかまったく解らずに略奪と放火をし続けていきます。彼がもたらしたものは新たなる混乱でしかなかったのです。

 

 正義とは何なのだろう。それをこれほどに深く考えさせてくれる作品をほかに知りません。見て良かったと心から思える作品です。

 役者の演技の素晴らしさとすさまじさを、まざまざと見せ付けてくれたのは「厨子王」の花柳喜章でも、「山椒太夫」の進藤英太郎でもなく、「玉木」を演じた日本屈指の名女優、田中絹代その人です。

 彼女の演技には見ている人の感情をひきつけて放さない力強さがみなぎっています。単純に熱演しているわけではなく、淡々と没落していった哀れな女を演じているのですが、その存在感は余人を圧倒しています。

 特にラストシーンでの疲れきった老婆になったときの演技の迫力とリアリティには胸を締め付けられるものがあります。他の俳優陣も彼女に引きずられていくようにこの「世界」の住人になりきっています。

 惜しいのは「厨子王」の演技に少し軽さがあるのと、個人的には大好きな香川京子の演じる「安寿」が美しすぎることです。その他では「山椒大夫」の進藤英太郎の小悪党ぶりがとても良い味を出しており、アクセントを付けています。

 悲惨で哀しいこの作品が何故このように美しく撮られているのでしょうか。宮川一夫によって撮影された構図の全てはとても美しく繊細で、とりわけ光と影の使い方はまさに日本映画史上最高の巨匠と呼ぶに相応しい内容です。

 技術的な面ではディープ・フォーカスを駆使した画面の広がりは素晴らしくよりいっそうのリアリティが作品に注入されています。ススキ野原を歩む時のススキの美しさ、安寿が入水する時の水の波紋は観る者を作品に引き込んで放さない。

 海の美しさとそこに現れる人間の醜さ。しかしこの巨匠はそんな醜い人間にも哀れみをもたれています。海や山のショットでも人を見下すようなショットはなく監督の優しさを感じます。このような残酷な作品ながら作品全体からは人間への深い怒りとそれ以上の愛情を汲み取ることが出来ます。

 早坂文雄作曲の雅楽とクラシックの合わさったなんともいえない美しい旋律が、このどうしようもなく厳しい物語をより引き立てています。また「玉木」の歌う「安寿と厨子王の歌」は、初めに歌われるときには深い悲しみと慟哭を、そして最後には人生全てへの諦めと絶望を感じ取ることが出来ます。

 「山椒大夫」の館のセットの質感が素晴らしく現実味を帯びていて恐ろしさをも感じる。出てくるロケーションの全てに作り物くささを感じません。唯一感じるのはさらわれる前の晩の野宿するシーンです。

 『雨月物語』との比較になりますが『雨月~』は神話の世界であり、こちらは「悲劇」であり「リアリズム」です。どちらも甲乙つけがたい素晴らしさを持っています。深く人間について考えさせられる作品です。

 何が正義なのか。正義を貫いた後に待っているのは何か。ハッピーエンドになりえない「真実」のストーリーです。ずっと何か胸につかえて、頭の片隅に残り続ける傑作です。トリュフォー監督やゴダール監督も大好きだった作品でもあります。

 

総合評価 95点

山椒大夫