良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『鳥』(1963) サスペンスの巨匠として有名なヒッチコック作品の中では異色の作品です。ネタバレあり

 ここ3年くらいのことなのですが、田舎だった、わが家の近所も造成が進み、山や林がどんどん伐採され続けています。そのせいか夏秋の夜になると、駅の周りの街路樹に、「鳥」達が大挙して集まり、木々から溢れんばかりの大群が一晩中鳴き続けていました。その後、保険所か何処かの役所が枝だけを刈り取り、見栄えの悪い幹だけになってしまった木が、まるで死体のように道に刺さっています。

 

 環境破壊が原因となって起こっている、この恐怖の光景に遭遇した時に、真っ先に思い出したのがこの作品、『鳥』でした。ありえない光景だと思っていたものがそこにあるのです。小さな鳥でも、何千羽という大群ともなるとかなり恐いものです。木を切られた彼らが何処へ行ったのかは見当もつきません。

 

   ヒッチコック監督作品の中でも、誰もが聞いたことのある作品で、TVその他何らかの形で、その映像の断片を見たことがある人も多い作品のひとつです。当時としてはそれ程インパクトの強い映像でした。今見るとどうしても「粗」が目立ってしまいますが、当時ではあれがおそらく限界だったのだろうと想像できます。監督は決められた予算の中で作品を製作しなければなりませんので、あまり外野が後になってから文句を作品にたれるのは筋違いです。

 

 まずはティッピ・ヘドレンが鳥を買う場面からスタートするこの作品は、早くもその曇ったすっきりしない空模様から、これから起こるであろう不気味な事件を暗示させます。買われた「鳥」がこの作品でどんな意味を持つのであろうかと、早くも作品の中に引きずり込まれていきます。

 

 「鳥」の襲撃シーンでは街の人の中に、仕込んだ鳥類学者がいるのは出来すぎで興をそがれてしまいました。映像のモンタージュで作品を表現できるはずのヒッチ監督にとって、わざわざの説明的シーンが必要かといえば全く必要ありません。それにしてもあまりにもご都合主義的です。このシーンが無ければ、何故こうなってしまったのかという、わけのわからない恐怖感が倍増したはずでした。最後に唐突に物語が終わりを告げるときに、この買ってきた「鳥」がマクガフィンだったことに気づき「またヒッチにやられた。」という思いに駆られました。

 

 最後にフェイド・インしてそのまま暗くなっていくラストシーンは、ヒロインのティッピ・ヘドレンと彼女の恋人役のロッド・タイラーの母親役を務めたジェシカ・ランディによるロッドの「獲りあい」、または彼ら全員のこれからの不吉な未来を表しているようでした。主演俳優のロッドと彼の母親を演じるジェシカ・ランディがまるで『サイコ』(1960)の親子のような撮られ方をしていたのは、ヒッチのパロディ精神の表れでしょう。

 

 しかしこれだけの「鳥」をどうやって撮影したのでしょう。当時使えた全てのテクニックを使用したことと思われますが、どうやってでも自分の思い通りのものに近づけていこうとするヒッチ先生の創造意欲には頭が下がる思いです。今現在のCGを使った技術水準から見ればとても「幼稚」な技術かもしれませんが、当時は「最高」だったものです。四十年後の僕たちがそれを簡単に「幼稚」だといってしまうのは先人に対して失礼すぎるのではないでしょうか。

 

 鳥たちの羽ばたきとさえずりがこんなに恐ろしく変わるのかと自分の耳を疑いたくなる映像と音の数々です。鳥に襲撃されるのが普通の田舎の一軒家という誰にでも起こりえる環境にしているのがより感情移入しやすくしています。

 

 パニック映画との比較となると動物物では『ジョーズ』、『クジョー』などがすぐに思い出されますが彼らは単独でした。これほどに数の多いものは今まで存在しなかったものです。強いて言えば『ベン』でしょうか。それだけに与えた衝撃は大きかったことと思います。

 

 普段は弱いもの、服従すべきもの、そして可愛いものとして見ているものが突如襲ってくるというシチュエーションは、ある意味で反乱であり、「鳥」を擬人化しているのではないでしょうか。立場の弱いものたちが突然襲ってくる状況は支配者であるはずの体制側の人間からすると耐えられない、そして許されない状況です。

総合評価 84点  

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