良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『下宿人』(1926) ヒッチコック監督のサイレント時代の傑作サスペンス ネタバレあり

 イギリス時代のヒッチコック監督が、資金繰りや役者の問題、更にはかつての上司からの嫌がらせなどで、苦しみもがいていた頃の作品ですが、後々考えてみると、彼がサイレントでも傑作といえる本作を、1926年に制作していたことはとても興味深い事実です。ヒッチタッチと呼ばれる、観客を作品世界に引きずり込んでいくヒッチ先生の独特な作風は、この当時に養われたものであろう。

 台詞に頼らないカットやモンタージュで、観客を誘導しながら意味を伝えていく手法は、彼の長いキャリアの初期に既に完成されていたのです。サイレントでも素晴らしい作品を作り上げたヒッチ先生は、トーキーになっても試行錯誤しながら、更に素晴らしい作品を「音」と「カラー」とを使い、死ぬまで作り続けました。ヒッチ先生にとって、「音」が加わるトーキーは、彼の作品、それもサスペンスというジャンルに深みを増す要素として、後々絶大なものになります。

 サウンド版と完全なる無音のサイレント版がある本作品ですが、ヒッチコキアンならば必ずサイレント版を見るほうをおススメします。何故ならば、サウンド版の音声が良くないこと、音楽に何故かエルガーの『威風堂々』を使っていることを挙げておきます。しかし見ればすぐに解ることですが、この作品に音声は必要ありません。音なしでも、しっかりと作品が成立しています。

 この作品は、彼のモンタージュを見れば、容易に理解できるのです。音が無いのに音を感じる映画です。感情の起伏、人物の性格と設定、連続殺人鬼を暗示するネオンサイン、人目を避けるような忍び足、などサスペンスの真髄を見せつけてくれる作品でありながら、しかも全くの無音で70分間進んでいきます。トーキーに甘え、効果音や音楽で誤魔化す似非サスペンスが横行する中で、純粋にサスペンスとは何かを見せてくれます。緊張と弛緩のバランスの良さが素晴らしい。

 視覚的な効果としては、下宿人が住む2階の部屋の中をいらいらして歩き回る様子が、シャンデリアの揺れで表現されたり、2階の床を「ガラス張り」にして下から撮るというアイデアを採用しています。それ以外にも走りすぎていくトラックの後部の窓に映る人の頭がまるで人間の目に見える、という奇抜なものまでありました。(ヒッチ先生自身も流石にこれは失敗だったとインタビューで語っていました。)

 この作品からヒッチタッチは開花し、ヒッチ本人のカメオ登場が始まり、ヒッチ先生の映画公式である巻き込まれ型のサスペンスの原型が作られ、「マクガフィン」(今回は真犯人)も登場しました。ついでに言うと、ヒッチ先生が大好きなブロンド美人のヒロインも加わってきました。『暗黒街の顔役』でも出てきましたが、当時の作品ではネオンサインに作品の中で重要なメッセージを込めるものが多かったようです。

総合評価 91点 下宿人

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