良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『手錠のままの脱獄』(1958)シドニー・ポワチエの演技、音楽、編集共に素晴らしい作品。

 スタンリー・クレイマー監督、1958年製作のこの作品は、今までに何度かTVやビデオで見たのですが、今回久しぶりに見る機会に恵まれました。若かりし頃のシドニー・ポワチエには、既に大俳優へと突き進んでいく迫力と貫禄、そして余裕を感じました。  トニー・カーチスと彼とのほぼ二人で、最初から最後まで展開していく、「鎖でつながれた」という特殊なシチュエーションでの演技が求められるので、お互いの役者魂が燃え上がり、緊張感が強く続いていきます。  白人と黒人の間の摩擦がまだまだ激しかったであろう50年代に、この作品が公開された意義はかなり大きいのではないでしょうか。白人と黒人が繋がれたままで、犯人役として同等に扱われるのですから、当時はまだまだ難しい設定だったのではないかと思いました。  演技面では、彼らの緊張感とは正反対の、アメリカ南部の警察による、のんきな追跡劇とラヂオによって流される、素晴らしいR&Bナンバーの数々が、破裂しそうな緊張感を緩和しています。しかも作品を壊すことなく、彩を添えています。  この作品で肝になったのは、カメラ・ワークと、カット割り、そして画面での人物の配置に尽きます。冒頭で、黒人を馬鹿にしていた白人達は、画面の上に配置され、黒人であるポワチエは画面下に置かれるか、小さく配置されていました。  「ニガー」など現代の感覚からするとありえないような言葉での暴力を伴う、凄まじい描写が頻繁に用いられますが、それよりも人物の価値そのもの、そして白人が黒人に対して持っている優越感を、人物自体の大きさや位置で表現した、クレイマー監督の画面設計が素晴らしい。まさに映像で語っています。  最初は、低く見くびっていた白人(カーチス)も、徐々に彼の人格や優しさに気付きはじめる様になると、それに合わせてくるように、画面配置も対等になり、ある場面では上に来たりするようになります。ここで興味を引いたのが、カメラの位置であり、1Mで繋がっているという異常な設定の中で様々な工夫を凝らしています。  混乱させないために、常に画面向かって左側にカーチスを置き、右側にポワチエを配置しています。後ろを向いた時には、反対に位置させるといった念の入れようには感激します。斜めに二人を配置したり、後ろから撮ったり、ツーショットにしても遠近法を上手く用い、その場面場面での人物の重要性に変化をつけています。  語りの場面では、一人の人物、つまりポワチエかトニーのどちらかのクロース・ショットを使って、その語りの意味に重要性をもたせるなど製作者の工夫の多さに感心しました。どちらかと言えば、地味な印象を持たれるかもしれませんが、やっている事は映画を知り尽くしたスタッフ達の、映画に懸ける思いがとても強く伝わってきます。  編集技術も素晴らしく、脱走と追跡という息もつかせないようなアクション劇になると思いきや、全くスピード感が無いのんきな追跡者と、ダラダラ逃げる犯人達が描かれていて、監督の撮りたかったものは単純なアクション物ではない事を知るのにそう時間は掛かりません。  人種偏見の無意味さと狭量を、よりによって一番偏見が根強い南部で描いたのがミソでした。語られる地名もメンフィス、テネシー、ケンタッキー、ナッシュビルなど南部のオンパレードでした。それに合わせるように、音楽もC&W、R&B、ジャズなどで、これらの音楽が南部の雰囲気を盛り上げていました。何処という事ではないのですが、このフィルムにはアメリカの匂いが染み付いているように思えました。  ただ寂しかったのは、カーチスが少年を乱暴した後に、そのまま見捨てて行こうとしたのを、ポワチエが気絶した、この白人少年を助けるシーンがあるのですが、少年は意識を取り戻した後に、助けてくれたポワチエから逃げ去り、カーチスの庇護を求めるのが、切なく哀しいシーンでした。少年にまで、人種差別意識を植え付けてきたアメリカ南部の偏見の深さに驚かされます。 総合評価96点 手錠のままの脱獄
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