良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『原子怪獣現る』(1953)ハリーハウゼンの技が冴える!ゴジラの元ネタとなった傑作怪獣映画。

 1953年に公開されて、大ヒットした作品で、翌1954年にわが国から生まれた、『ゴジラ』の元ネタとなった、モンスター映画の記念碑的な作品であり、かつ決定版が、この『原子怪獣現る』です。製作には勿論、特撮の巨匠、レイ・ハリーハウゼンが参加しています。  『ロスト・ワールド』(1925)、『キングコング』(1933)で有名な、ウィリス・H・オブライエンに憧れて、彼に弟子入りし、この業界に入った彼の代表作品であり、ここでも彼が、オブライエンから引き継いだ、一流の特撮技術である、ストップ・モーション・アニメーション(以下、SMA)を駆使して、怪獣の魅力を思う存分に見せ付けて、作品に貢献しています。  ハリーハウゼン師匠、お得意のSMAによって描き出されたリド・サウルスは、生き物のように、スクリーン狭しと暴れまわり、破壊の限りを尽くします。理屈など通用しない、問答無用の破壊こそが、怪獣映画の最大の魅力であり、ここを外した作品は決して名作にはならないだけではなく、ファンの記憶からも消去されてしまいます。1980年度版の『ガメラ』、昭和ゴジラシリーズ末期に作られた『オール怪獣総進撃』をみても、それは明らかであろう。  作品の語られ方も冷静に、淡々と語られていくために、真実味が増し、十分に大人の鑑賞に堪えられる仕上がりになっています。この大人の鑑賞に堪える作品を作り出す上で、何よりも大切なのが、実は特撮シーンではなく、ドラマ部分です。しっかりしたドラマ構成があってこそ、はじめて怪獣達は生命を与えられて、フィルムの中で生き続けられるのです。  台詞にも、大人のドラマかと、勘違いするほど洒落た会話があります。  ヒロイン 「私は、過去には詳しいのよ」   主人公 「僕は、未来に明るいんだ」(ここで、彼はヒロインに迫る)  ヒロイン 「(それをさえぎりながら)では現在の話しに戻りましょ」 とても、子供向きとは思えない会話ではありませんか。ドラマがあって、特撮が引き立つという良い見本です。      音響にも注意が払われていて、オープニングでの、そもそもの怪獣誕生のきっかけを作る、原爆実験での「キノコ雲」のシーン、そしてクライマックスでの怪獣撃退シーンの音の大きさを同じにする事で、怪獣誕生のインパクトの大きさと怪獣撃退の断末魔をドラマの核として機能させるよう構成されている。  北極での核実験で生まれたというが、恐竜が滅んだのは氷河期の手前だったと記憶しております。リド・サウルスが冬眠していたのか(滅んでいたはずなので、氷に覆われた、その地層にいるはずがない)、核の影響で、トカゲが異常進化を遂げたのか、よくは解りません。  また、爬虫類は変温生物であり、氷点下の気温の中で、あのように活発に動けるわけがないなど、突っ込みどころは満載ではありますが、あまり硬い事をいうと、特撮映画は全く楽しめなくなってしまいますので、童心に返るところはかえって、作品そのものをじっくりと堪能しましょう。   次に何かと比較される、ゴジラとの相似点を列記していきます。 1. 核によって、目覚める点。 2. 科学者が深海に潜り、死亡する点。 3. 経済的に最も重要な都市を破壊しに来る点。 4. 化学兵器によって、怪獣が退治される点。 5. 仮に、怪獣が出てこなくても、十分にドラマとして成立する点。 6. 一流の専門家を特撮部門に用いている点。 7. 危険であるにもかかわらず、逃げることなく、怪獣の行動を近くで伝えながら、死の直前まで、様子を伝えようとして、殺される者がいる点。  とても多いことに驚かされます。『ゴジラ』では、さらに核の恐怖を強く打ち出すことで、わが国独特の核への考え方を世界に発信しています。怪獣映画にさらに反核のメッセージを増幅させて、世に送り出されたのが、『ゴジラ』でしょう。  この作品での、特撮の見せ場は後半に集中しており、マンハッタンに上陸する場面は多くの怪獣映画の基本として踏襲されています。ニューヨークの街を破壊しまくるリド・サウルスの様子は、今のCGに慣らされた目には、滑稽に映るかもしれませんが、この当時としては最高峰の技術で描かれた、大迫力シーンでした。  素晴らしい特撮に満たされてはいますが、ただ特撮に頼るような安直な撮り方はされておらず、ロー・アングルを多用する事で、怪獣の大きさや恐ろしさを表現し、暗い陰を用いる事で、怪獣をミステリアスな存在として描いています。  昼の破壊シーンも迫力がありますが、音で表現される、夜の暗さで全貌が見えない破壊はより恐怖を煽ります。単純に粗が見え難いという利点もありますが、見えるものより、見えないものの方が恐ろしく思えるという、ホラー映画の基本となる、心理学的効果もあります。『ゴジラ』でも、全貌が見える昼のシーンよりも、陰が多い夜のシーンの方が、強大さと破壊の恐ろしさが伝わってくるように思えます。  リドサウルスにより、破壊されていくニューヨークの街から、逃げ惑う人々の様子がとても興味深い。子供をほったらかしにして、盲人を突き飛ばし、我先に逃げる姿には、人間のリアルな恐ろしさを感じました。  ゴジラと違い、SMAを使って怪獣を描いているために、当然のことながら、よりトカゲに近い造形に仕上げられた、リドサウルスは異形の姿を持っているため、ゴジラにはない現実味と冷たさがある。未知の生物としての造形は、こちらのほうが優れている。  反対に着ぐるみであるゴジラにはトカゲの動きは期待できないが、生物としての暖かみと艶めかしさを感じる。どちらが良いとか、悪いとかという話ではない。個人的にはどちらも大好きで、ハリーハウゼン作品は10本以上は見ましたし、ゴジラも劇場に足を運んでいます。  クライマックスとなる、リドサウルスの遊園地での死に様はとても皮肉な死に様です。遊園地という見世物小屋の中で、見世物になり、闘牛で殺される牛のように、よってたかって殺戮されていくリド・サウルスの姿は何を表しているのだろうか。  無人で突っ走り、レールを無軌道に外れていって、爆発を引き起こすジェット・コースターは何を表すのか。科学への、人間の傲慢さと反省の無さへの警告であろうか。いろいろと考えさせられる、ラスト・シーンでした。遊園地シーン、海底探査シーン、都市破壊シーンなど見るべきところは沢山あります。 総合評価 90点  原子怪獣現わる
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