良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ゴジラ』(1954)モノクロで描かれたゴジラは復興途上の帝都を再び蹂躙する破壊神だった。

 1954年というと、日本映画界にとっては二つの傑作映画がひとつの会社から公開された年であり、他社からも外国での映画祭に出品され、大いなる栄誉を受けた年でもあります。二つの傑作とは『七人の侍』と『ゴジラ』、ひとつの会社とは東宝、他社とは大映、映画祭にて受賞したのは溝口健二監督の『山椒大夫』です。
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 この当時の日本は戦後復興の真っ只中にあり、これらのエネルギーを吸収したためか、日本映画界でもそういった世相を反映して、創造力に満ち溢れる傑作が数多く製作されていました。日本映画にとっても最高の時代だったといえるかもしれません。  血気盛んな制作者達、田中友幸(製作)、本多猪四郎(監督)、伊福部昭(音楽)、円谷英二(特撮)の黄金の4人が顔を揃え、思う存分に彼らの能力を発揮し、やりたいことを予算の制約があったにせよやり遂げた感のあるのが、この『ゴジラ』です。  下敷きとして、前年の1953年に公開された、レイ・ハリーハウゼンが特撮で参加していた『原子怪獣現る』を用いているのは明らかではありますが、ほとんど全ての面において、このいわゆる「元ネタ」を圧倒的に凌駕しています。  この映画は単なる怪獣映画の一本という枠組みを超えた、日本映画史上に残る傑作映画です。モノクロ、モノラルで製作されたこの作品はフィルム・ノワールとしても秀逸で、これ程の破壊をやり遂げる悪役は今までの日本映画には皆無でした。また日本が世界に誇る、東宝最大のスターが誕生した瞬間でもありました。
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 何の先入観もなく、この作品に接する事のできた1954年の観客達が羨ましい。どういう怪物が出てくるのか全く知らず、どういう物語なのかを全く知らずに見る事が出来た人たちはとても幸福な観客だったのではないでしょうか。  オープニング・シーンを見るだけでもこの作品が尋常ではない映画であることを観客に予感させます。淡々と流れる製作者や出演者のテロップ・ロールは気味が悪いほどです。もっとも有名な『ゴジラのメイン・テーマ』とともに、音響効果スタッフの三縄一郎(黒澤映画でも、ほとんどの音響は彼が担当していました。)の制作したゴジラの雄叫びが被さってくるのは圧巻です。  音響とともに、忘れてはならないのが音楽そのものです。もちろんこの作品の音楽を手がけたのは巨匠、伊福部昭でした。後年のゴジラ音楽でも用いられるほとんどのモチーフが既にこの作品中に顔を出しています。  前述したメイン・テーマのほか、フリゲート・マーチ(自衛隊のテーマとして有名。 『怪獣大戦争』マーチは曲調を変えたもの。日立の黒澤監督CMでかかっているやつです。)、襲撃するときにかかる不気味なテーマ、『平和への祈り』などが最もシンプルな形で提示されています。  伊福部昭の狙いは曲とキャラクター、曲と行動を一致させるような音楽の取り組みでした。音楽を聴くことで、誰が見てもどのような状況なのかが理解しやすいように工夫されていて興味深い。ライト・モチーフって言うんですかね?  この『ゴジラ』の収録曲がすべて収められたCDを持っていたのですが、整理状態が悪かったためか探しきれませんでした。映画のサントラを買うことはほとんどない(他に持っているのは『ブルース・ブラザース』くらい。)のですが、これは別格でした。
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 何十年経った、いまでもしっかりと記憶されているテーマが幾つもあります。前にも書きましたが、なぜこんなに伊福部音楽と怪獣映画がぴったりと合うのかが不思議でしたが、映像と音が融合すると作品のレベルが格段に上昇するのは、この作品を観れば理解できるでしょう。  つぎに円谷英二の情熱がほとばしる特撮制作を語らねば、ゴジラを語ったことにはなりません。大戦中から戦争映画の特撮部門を任されていた彼は、それまでに彼が培ってきた技術の粋をこの作品に注ぎ込みました。  ゴジラ本体に限った事ではありません。壊されるビルディング、火の海に包まれる街並み、高圧電線、戦闘機、戦車、護衛艦がまるで実物のように質感たっぷりに動き、破壊されていく様子はリアルであり、とても子供向きに作られた作品ではない事が分かります。  また素晴らしいのは自衛隊(護衛隊か?)による機雷投下作戦や砲撃シーンがドキュメンタリーのような迫力で迫ってきます。爆発の後の水しぶきが上がる様子などは特に素晴らしい。円谷英二は流石に良い仕事をしてくれています。  もちろん、ゴジラの造形も完璧で、圧倒的に恐ろしく、重々しく巨大で、しかも艶めかしい。ハリーハウゼンのダイナメーションでは作りだせない生物としての体温を感じます。体温を感じるからといって、恐くないというわけではない。問答無用の破壊ぶりは無差別空襲のようで、これをリアルタイムに観た人は戦争の空襲を思い出したのかもしれません。
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 20分くらいで徐々に姿を現し始め、ゴジラの全身がスクリーン上に現れるまで、じつに45分掛かります。顔だけとか、背中だけとか、音だけとか、足跡だけとか少しずつ姿形を見せていく様子はサスペンスとしても優れていて、スピルバーグ監督の『JAWS』でも同じような演出をサメに対して用いていました。  観客が早く見たいと思っても、焦らして見せない演出は怪獣映画とは思えない。見せ方も最高で、観客がこれ以上はもう待てない、だれてしまう限界の寸前で、巨大な全身をスクリーン上に現します。このような怪獣映画は映画館に限ります。  夜の帝都を破壊していくゴジラの後姿が特に美しく、モノクロ映像としての極限に近い艶めかしさを撒き散らしています。TV塔を破壊するシーン、高圧線、鉄道、国会議事堂を破壊するシーンは忘れられません。  最も美しいのは放射能を吐くときに背びれがメラメラと光るところで、あのシーン見たさに何度も見てしまいます。その他印象に残っているのはオキシジェン・デストロイヤーがらみのシーンです。魚が骨になるというのも凄く残酷なシーンのひとつでしょう。  暴れまわって、破壊しつくし、轟音と阿鼻叫喚で帝都を恐怖のどん底に導いたゴジラとの最後の戦いが、1対1での静かで無音の海中でおこなわれるというのも心憎い演出ではないでしょうか。
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 東京湾に映る、街を破壊された事により起こった火事によって、不気味な火の海が、海の水面に反射する様子が恐ろしい。大戸島の海、東京湾、海中など水がとても綺麗に撮られているのも印象深い。  ゴジラの見せ方に関しては完璧だったのではないか。主に夜間に登場して、帝都を火の海にする事で、ダークなイメージを観客に植え付け、この世のものではない恐ろしさを存分に見せました。戦後最大の悪役スター、ゴジラ誕生には夜のシーンが重要であった、というよりは欠かせなかった。
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 これは演出のみならず、特撮部門の責任者だった円谷英二にもかなりのアドバンテージを与えました。カラーではなくモノクロ、昼間のシーンよりも夜間に重点が置かれた事はいろいろな粗をより見え難くしてくれます。  マット合成するにしても、明るいシーンを大画面の映画館でやられると見たくないものが見えてしまうことがたまにあります。それの防止にも役立っています。もちろん入魂のこの作品にはそのような心配をする必要など無かったでしょう。  記憶に残っているシーンも夜間のために当然ですが、陰が多く、はっきりと見えない状態で進行していくものが多い。フィルム・ノワールでもそうですが、暗闇で表情が分からない俳優には不安感を持ち、なかなか感情移入できません。  そういった意味では感情移入を拒むような斜め後ろ向きのショットやゴジラによって見下ろされるようなショット(ローアングルですね。)を用いたのも優れた演出でした。意味もヘッタくれもなく、破壊しつくす彼には存在理由など最初から必要ではない。  核がどうとかいうのはあくまでもこれを観る人間の主観に過ぎない。冷静に突き放したカメラの視線が最高に心地よい。出演料を払う必要の無い、最高の俳優ゴジラ東宝はその後30作近く起用し、子供向けにしてしまいましたが、この作品は分けて考えるべき作品です。    出演者のドラマも見逃せません。怪獣映画がリアルに見えるか、ちんけな物になってしまうかはほとんど怪獣の特撮とは全く関係ないように見える人間ドラマ部分によって決定されてしまいます。ドラマが締まれば、作品も締まるのです。
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 戦後世代の代表として描かれる、ちょっと軽めの宝田明と人生の悩みを一身に背負い込む平田昭彦の対比の素晴らしさが、物語を分かり易くしています。若い二人が両方とも暗い青年を演じていれば、イタリア・ネオレアリズモのように作品の現実味は増すのでしょうが、娯楽的に盛り上がらず、重たすぎる印象を与えかねない。
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 ヒロインを務めた河内桃子も初々しく健気な役柄をやり遂げました。『ゴジラデストロイア』で出演した時には嬉しかったものです。そのほかにも東宝の俳優達が大勢出演していて、志村喬、高堂国典、堺左千夫が重みを与えています。また、代議士役で菅井きんが出てくるのが笑えます。  欲を言えば、せっかく宝田と平田で性格の対比を示せたにもかかわらず、二人の葛藤を表す描写に深みがなかったのが残念でした。河内桃子を取り合うにしろ、ゴジラへのふたりの対応にしろ、もう少し鮮明に上手くやれたのではないでしょうか。  物語そのものは核で太古の眠りを覚まされたゴジラが東京の街を破壊し、自衛隊や科学者との戦いの末に、敗北し、退治されるという単純な話なのですが、戦後まだ時間の経過が十分でない状況下において、反核の立場を堂々ととりながらも、自衛隊の活躍もしっかりと描いています。  どちらかに偏る極端さはないのです。バランス感覚を持ち合わせている本多監督は軍隊経験もあるためか、常に冷静です。こうしたバランスはなかなか取れないのですが、逃げも隠れもせず、堂々と作品を制作しています。
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 戦争の悲惨さを台詞に随所に取り込んだことで、観客にも感情移入しやすいシーンが多かったのではないでしょうか。「疎開」、「長崎の原爆」、「原子マグロ」、「放射性雨」などの単語は今聞くことは皆無です。  帝都を破壊された時に住人が絞りだすように呻く「ちきしょう。」、逃げ遅れた親子が抱き合って死んでゆく時の台詞「おとうちゃんのところにいこうね」は今観る人には響かないが、当時観た人には確実に響いた事でしょう。  経済復興に猛進する政府と国民だが、その「平和」は見せかけのものでしかなく、脅威となる外敵が来れば、その繁栄が簡単に崩れ去るのを暗示しているようで不気味である。この点に関しては、今も状況は何一つ変わっていません。  恐怖の破壊王ゴジラには円谷英二の、本多猪四郎反核へのメッセージが込められています。しかし最も皮肉なのは核爆弾より強いゴジラを退治したのは他でもない新兵器のオキシジェン・デストロイヤーだったことです。  結局はひとつの国が外敵の脅威に晒された時にはその外敵の持つ武力よりもさらに強力な殺傷力のある兵器が投入されない限り、戦いは終結に向かわないという事を証明してしまいました。  映画としてはどの要素をとっても、合格点が付けられる数少ない作品のひとつであり、特に特撮部門だけではない夜間のシーンでの光と陰の使い方などに代表される見た目の素晴らしさと、効果的な音楽を含めた音響の要素、という映像と音響が傑出して秀でていて、他の追随を許さない。いまだにこの作品の足元にも及ばないものがほとんどなのは寂しい。 総合評価 97点 ゴジラ
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