良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『666号室』(1982)映画の現状と未来を憂えるヴェンダース監督と巨匠たち。

 『666号室』という聞きなれない題名が付けられたこの作品は、いわゆるシネマ(劇映画)ではない。ヴィム・ヴェンダース監督が、1982年のカンヌ映画祭に招かれた映画監督たち、それも超のつくほど有名な人たちに対して、シネマの現状と未来をどう捉えているのかという質問を率直にぶつけていきます。  華やかなイメージがある、カンヌ映画祭の陰で、このような深刻なテーマに真正面から向かい合っていた映画関係者たちがいたことは驚きでした。あるものは悲観的で、あるものは希望もあるのでしょうが楽観的でした。  深刻で重厚な、そして憂鬱な音楽とともにこのドキュメンタリー映画は幕を開けます。ゴダール監督やスピルバーグ監督など著名な映画監督たちによって語られる映画の問題点の数々はそのまま現在の映画界を取り巻く問題とほぼ同じである。  つまり、何一つ変わりがなく、むしろどんどん悪い方向に映画が向かっているということです。産業と芸術のバランス、映画とテレビの関係、映画の質自体の低下、描かれる登場人物の生命力の欠如、ビデオの成長、製作本数の激減、売れ筋狙いによる没個性化などを語っていきます。  問題に答えるのは以下の監督達です。ジャン=リュック・ゴダール、ポール・モリセイ、マイク・デ・レオン、モンテ・ヘルマン、ロマン・グーピル、スーザン・シーデルマン、ノエル・シムソ、R・W・ファスビンター、ヴェルナー・ヘルツォークロバート・クレイマー、アナ・キャロライナ、マルーン・バグダディ、スティーブン・スピルバーグミケランジェロ・アントニオーニユルマズ・ギュネイという豪華な顔ぶれです。なじみの無い名前も多数入っておりますが、皆真剣です。  このなかでもとりわけ興味深いのはジャン=リュック・ゴダールヴェルナー・ヘルツォークスティーブン・スピルバーグミケランジェロ・アントニオーニユルマズ・ギュネイ各監督の映画に向き合う真摯な考え方です。  ゴダール監督は徐々に興行第一の商業映画から手を引きつつあり、世捨て人もしくは哲人の風貌を色濃く出してきています。彼の意見は映画を突き放したように、そして客観的に現状を捉えている印象があります。  彼はシネマとTVとの違い、そして大衆へのTVの侵略について語り始めます。近年のアメリカ映画に対しては特に攻撃的で、ハリウッドの侵略に憤りを感じているのが理解できます。なぜ、TVを好むようになり、劇場のスクリーンを避けるようになったのかを分かりやすく語っている。  のちに自身の哲学を語る『JLG』から『ゴダールの映画史』への流れに繋がっていく過程においても、アメリカ映画への警戒感をあらわにしています。彼はひとつの芸術がまさに死なんとしていて、思想も感情もこもっていない商品だけが、ただ後に残される現状を冷たく、しかし激しく憤りを覚えているようです。  ヴェルナー・ヘルツォーク監督は他の人々に比べると楽天的で、魂と心のこもった映画が、空虚なTVに負けることはないという意見を持っています。しかしながら現状はほとんどの人が劇場に足を運ぶ機会が減り、もっぱらTVで時間を潰すようになっています。また、ネット配信やDVDの普及に伴い、映画の収入も興行での収入よりも、TV、ビデオ、DVDなど二次利用に重点が移っているのは誰の目にも明らかです。  スティーブン・スピルバーグ監督は当時、『E.T.』が大ヒットした後で、飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、資本家との格闘に明け暮れていたようで、限られた予算内で、どれだけ自分の個性を出せるかが大事だということを強調しています。  特に「資本家は元手の10倍以上を儲けようとしている」、「常にサヨナラ満塁ホームランしか狙っていない」という言葉には、どんどん映画が悪くなっていった第一の要因にして最大の原因が資本家にあることを辛らつに批判しています。  ミケランジェロ・アントニオーニ監督は年を重ねてもなお前向きで、TVが映画に及ぼす影響を憂いながらも積極的に新しい技術を取り入れていく姿勢が素晴らしい。彼が憂えていたのは今に誰も映画館に行かなくなり、家でビデオしか見なくなることでした。まあ、映画ファンにすれば、アントニオーニ監督が動いているだけでも十分です。  最後に出てくるのが(音声のみ)、トルコのユルマズ・ギュネイ監督で、映画とは産業と芸術のせめぎ合いで生まれるドラマだという意見を述べます。大衆が何を求めているのかを作品に取り込むのは産業面で必要な事であるがそれは移ろいやすい。大衆の興味の推移にかかわらず、芸術性によって大衆を啓蒙していくのが名作であるという見解のようです。  通してみていくと、彼ら映画監督達がかなり危機意識を持ち、ビデオ及びTVにたいして警戒感を持っていて、映画そのものに対しては悲観的になっているのを理解できます。資本家(映画会社)が監督の本当に撮りたいものには予算を出し渋る状況が見えるようです。  金儲けしか考えていない映画製作の現状とそれがために起こる問題を浮かび上がらせています。みんなが喜ぶというか理解できるような単純で現実味の全く無い作品がもてはやされ、見ごたえのある私小説的な作品は年々減ってきています。  映画はいったい誰のものなのでしょうか。資本家が儲けるためだけに存在するのか、一握りのスターたちが途方もない収入を稼ぐために存在するのか、監督達が独りよがりの作品を作って見せびらかすために存在するのか。  宣伝だけが行き届いた駄作、まるでそんなものは今までなかったかのように製作されるリメイクやオマージュという美名のもとに行われる盗作(また、出典を知らない人が、そのシーンをつかまえて、素晴らしいといってしまうやるせなさ)、一本目が予想以上にヒットしたから無意味に作られる続編、TVドラマの映画化など見たくはない。こういった作品は製作ではなく製造である。  映画は創造されるべきものであり、製造されるべきものではない。本来仇敵であったはずのTVと一体になった、もしくは屈服させられた映画会社の金儲け主義に映画ファンが抵抗する手段はあるのか。  ハリウッドはもはや『夢工場』ではなく、ただの複製工場に成り下がっている。過去の遺産であるパニック映画の草分け『ポセイドン・アドヴェンチャー』やB級作品だった『宇宙戦争』を堂々と宣伝して大儲けしようとする連中には「映画ファン」がどれだけ情けない思いをしているかが理解できない。というか昔のファンを相手にしていない。  リメイクがこれほど多く出現する理由のひとつには、30代以下の世代がほとんど過去の名作を見ていないことも大きな原因のひとつではないでしょうか。最大のお得意様客層である10代から30代の観客が元ネタを知らないのなら、昔儲けた映画をアレンジして、流行のスターを使えばヒットは間違いない。  ジョークでもそうですが、新しいジョークを考えるのは難しいが、昔流行ったジョークをそれを知るはずのない若い人たちに設定を若干変えて話すと、うける可能性が高いのと同じです。必要なのは考える事よりも、探してくる事です。  映画会社、そしてメディアがグルになり、TV、雑誌で大量にCMしているから、駄作が大衆の目に留まる。根拠のない「面白そうだから」という理由で暇つぶしに映画館に足を運ぶひとたちは映画ファンといえるのだろうか。興行には貢献しているが、映画会社とメディアを太らせるだけなのではないか。台詞とストーリーだけを追うのもやめて欲しい。映像の意味を考えて欲しい。そこにあるのは映画なのです。 総合評価 76点 ヴィム・ヴェンダースセレクション
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