良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『十字砲火』(1947)赤狩りで追放されたドミトレクですが、真の理由はユダヤ人差別だった。

 忘れ去られた映画監督、エドワード・ドミトレクの問題作にして最高傑作がこの『十字砲火』です。カンヌで賞を取り、アカデミー賞にもノミネートされるほどの素晴らしい作品であったにもかかわらず、意図的に無視され続けた本作品なのですが、何故このような扱いを受けることになったのでしょう。  赤狩りは「自由の国」アメリカでの歴史上の汚点のひとつであるが、自由な政治活動を制限しただけではなく、映画界にも大きな影響を与えてしまいました。映画界で「赤」のレッテルを貼られたのはエリア・カザンチャーリー・チャップリンダルトン・トランボ、そしてこの作品の監督であるドミトレクなどでした。  とりわけトランボやドミトレクは「ハリウッド10」と呼ばれ追放されてしまったため、活動に支障をきたし、自由な制作活動を規制されてしまいました。自由な思想活動が出来ない、というのではどちらが赤的か分かりませんが、それだけヒステリックにならざるを得ないほどに、当時は東西の緊張が強くなっていたのでしょう。また共産主義とは直接関係ない人種問題、ユダヤ人問題を扱うにも1947年という年はまだ早過ぎていたと言えます。  ようやくナチスの魔の手から逃げ延び、アメリカや各国で新生活を始めていたユダヤ人達にとっては、「ユダヤ人だから」という理由で殺されてしまう状況は、たとえそれがフィクションであれ、許されるものではなかったのではないでしょうか。実際にこの作品からは監督と脚本家が追放の憂き目に遭いました。  それはともかく、映像テクニックの宝庫ともいえるこの作品を見逃す手はない。センス溢れる光と陰の使い方、スタイリッシュな撮影方法など見所は豊富です。物語自体は兵隊がらみの殺人事件と人種問題を扱うという内容です。       オープニングからのスタイリッシュな殺人シーンには映像美を感じます。下半身だけ映すという極端なローアングルで、真っ暗闇の中で行われる殺人シーンには監督の映像美学を見ることが出来ます。  不幸にも追放されてしまったドミトレクではありますが、残されたこの作品を見れば見るほどに、追放という事実はとても残念です。もっと多くのジャンルの作品を撮って欲しかった監督の一人です。おそらく多くの秀作を残してくれた事でしょう。  撮り方で、誰が犯人かを語る力量は素晴らしく、不要な台詞を必要としない映像作家の才能を味わえます。構図と光の当て方を見れば、誰に観客が感情移入するべきなのかが分かります。  取調室の間接照明によって浮かび上がる鉄格子が十字模様であり、これからの彼らの運命を物語る。サスペンスをより盛り上げているのが長回しによる撮影であり、緊迫感が次第に強くなり、息苦しいほどの緊張感を画面からでも窺えます。  鏡が効果的に用いられ、会話シーンで使われているもののひとつにツー・ショットのシーンがありました。犯人役のライアンが後ろ向きに配置されていて、会話相手との肩舐めショットの形を取っている。  普通こういったシーンでは話すたびにカットバックが入り、リズムが出てくるように編集されます。しかしここで鏡が使われ、聞いている時だけでなく、話している時もライアンの表情を捉え続けるのです。観客が見れば、二人しか実際にいないのに、まるで三人いるように見えます。  光の使い方で印象的だったのは容疑者として追われる羽目になってしまったミッチが女のアパートに逃げ込み、疲れきって眠りこけてしまった深夜に、彼女の情夫が帰ってきて、鉢合わせしてしまい、バツ悪く明かりを点けた時の光がかなりハレーション気味になっていたことです。  無理やりに深夜に起こされた時の、部屋の明かりがどれだけ眩しく感じるかは誰でもご存知だと思いますが、そういった状況での倦怠感と眩しさが見事に表現されています。何気ないシーンではありますが、肉体だけでなく、精神的な消耗を表現した素晴らしい映像でした。  半円を描くように登場人物たちを視野に入れる移動撮影、クロース・アップ、ツー・ショット(横からと肩なめが多い)が効果的に用いられ、間接照明を多く用いる光源の取り方にこだわりを感じます。  場面転換方法もセンスに溢れ、部屋から出て行く(画面前方から遠ざかっていく)様子をディゾルヴでフェイドアウトさせ、次の絵をドアを開けて画面後方から前方に近づいてくるシーンは印象に残ります。  窓舐め?のショットにも十字がモチーフに使われていたり、焦点をぶらせたり、合わせたり、揺れたりする映像により、酔っ払っている事を表現する一連のショットが素晴らしい。現在ではありきたりの映像に思えるかもしれませんが、これが撮られたのは1947年なのです。  俳優陣も非常に優秀な人材を集めていて、警部役を務めたロバート・ヤングはとても冷静な演技を見せ、軍の上官役を務めたロバート・ミッチャムは個性的で存在感を持ち、ロバート・ライアンは偏屈そうなタフガイを自然に演じていました。三人のロバートはそれぞれ個性的で魅力がありました。  当時の観客にとって、この作品の斬新さは鮮烈だったのではないでしょうか。映像テクニックの美しさ、テーマの深刻性は凡庸な監督に撮れる作品ではない。公開後に、上映禁止処置が取られるほどの人間の本質を抉った作品だったのです。  戦争中は敵が国によって示されて、憎悪の対象を日本だけに絞ればよかったのが、終戦を迎えると再び国内の「敵」に憎悪を向けていく。仮想敵という捌け口がないと、国家の内政が安定しないというのはある意味真実である。  アメリカの冷戦中での対ソ戦略にせよ、現在のわが国に対する北朝鮮や中国の姿勢からも明らかです。これは国レベルの仮想敵ですが、レイシストにとっての仮想敵がジャップからジュ-に戻るだけだというこの作品の内容は本質を突いています。だからこそ上映禁止措置が取られたわけです。  レイシズムが引き金となって引き起こされる殺人、田舎者だから嵌めても構わないという傲慢さなどアメリカの負の縮図ともいえる差別は相当根が深い。  タイトルの十字砲火とは正面と側面から一斉に攻撃を掛ける事により、敵に甚大な被害を与える戦術ですが、ひとりの弱そうな兵士をよってたかって犯人に仕立て上げようとする狡猾な軍人達への皮肉でしょうか。それともヨーロッパでも迫害されたユダヤ人が、アメリカという新天地に渡っても攻撃を受け続けるという皮肉でしょうか。 総合評価 85点 十字砲火
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