良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『東京の女』(1933)女優、岡田嘉子の未来を暗示したような作品。彼女はその後、ロシアへ。

 小津安二郎監督サイレント時代の1933年度作品。巨匠エルンスト・ルビッチの『百萬圓貰ったら』を劇中劇に挿入するセンスは昭和初期の軍国主義的時代において、ずば抜けて斬新だったのではないでしょうか。  またこのルビッチ監督作品から採りあげた「階段を登る」、「縦横に規則正しく配置された自分の席から立ち上がり、広いオフィスを後にする」という何気ないセールスマンの日常を切り取っただけのシーンで使われている移動撮影でのカメラの動きと構図の凄みは鬼気迫るものがある。  小津監督はこのシーンを淡々とフィルムに繋いでいくが、ルビッチ監督の凄みとそれを自作に引用する小津監督の大胆さを同時に見られる素晴らしい演出でした。この作品の撮影を担当した茂原英雄も切れ味の良いカメラ捌きをしています。  作品自体はオープニングから中盤までを見る限りは仲の良い姉弟岡田嘉子江川宇礼雄)に彼らと仲の良い兄妹(奈良真義と田中絹代)との交流を絡ませる松竹ホームドラマの系譜に連なる作品だとばかり思っていました。それが中盤以降になって急激に絶望の淵に落ち込む悲劇へと変わっていく。  予定調和のハッピーエンドに持っていくことも可能だったはずなのに、何故このような冒険とも呼べる展開を選んだのであろうか。敢えてホームドラマにしなかったのは権力への反抗心からであろうか。結果としてこのような斬新な展開を選択したこの作品は今でも通用すると思えるほど強い印象を与える。  つまりこのアット・ホームな中盤までがまったくの虚構に過ぎなかったことが暴露されていく後半こそが本来小津監督が撮りたかった映画だったのではないでしょうか。小津監督といえば『晩春』などの後期の作品に代表されるような小市民の親子間の愛と断絶を描いたような作品が思い浮かびますが、サイレント期には『朗らかに歩め』、『学生ロマンス 若き日』、そしてこの作品などに見られるような毒気、ナンセンス、暗さのあるものも多い。  この作品にしても、なにも当時の単純な共産党流行への賛同というのがテーマだと言うのではなく、彼女の社会性(両親もなく貧しいが、仲の良い姉弟として社会生活している)と反社会性(当時の日本で共産党員というのは国民の敵)という二面から生じるギャップが劇的な効果を生むという意味において斬新に思えるのです。  優しいお姉さん、退廃的な酒場の女、さらに共産党員(仄めかされるのみで、実際にはカットされたために共産党員として活躍するようなシーンはない)をひとりで同時に演じた岡田嘉子の変わり様はさすが女優の仕事です。  一人三役で両極端の女を演じ分ける凄みを見せてくれています。特に酒場の女は仮の姿でしかない。このように凄まじいばかりの彼女の演技を見せ付けられると、この作品に限ってはまだあどけない頃の田中絹代が霞んで見えてしまいます。  岡田嘉子が酒場で煙草を燻らすシーンは当時だったらセンセーショナルな演出だったのではないでしょうか。いまの目で見ても退廃的に映るこのシーンをどうやって検閲に引っかからずにやり過ごしたのだろうか。  作品中の会話で酒場に出入りしているふしだらな女という悪い噂のほかにもうひとつ警察からマークされるような悪い噂があることがぼんやりと臭わされる。それは彼女が共産党員であるという噂である。この部分は検閲でカットされてしまったそうです。  オランダ人の血を引き、自由奔放だった岡田嘉子が実際に駆け落ちして、第二次大戦前の1938年にソビエト連邦(ロシア)へ渡って行ったことを思い浮かべると感慨もあります。ロシアに行った彼女は幸せではなく、相手の男はスパイ容疑で1939年に銃殺されてしまいました。  彼女自身も幽閉され、解放後も底辺の生活をしていました。一時日本へ帰国しましたが、本人の意思により崩壊前のソ連に戻り、異国の地でただ一人の身内もいない中でその生涯を閉じました。作品に恵まれなかった彼女にとっては芸術性の高い小津監督作品に出演することは彼女のキャリアにとっても重要でした。  次に小津監督らしさを見ていきます。斬新な物語展開に加え、のちのちの作品にも見られる小津監督の個性は既にここでもさまざまな形で現れています。英語の字幕、洋画の引用(今回はルビッチ監督のフィルムとパンフレット)、揺れ動く時計、怒りを表すような鉄瓶、タイプライターなどに代表される無生物のアップ映像と趣味の良い舶来嗜好感覚を作品のあちらこちらで見受けられます。  無生物のショットは捨てショットであり、これによって観客の緊張を緩めたり、引き締めたりしています。揺れ動く時計(迷い)、怒りを表すような鉄瓶(沸騰するヤカン)、タイプライター(規律と西洋かぶれ)にはモンタージュ効果という狙いがあるのは明らかです。しかもエイゼンシュテイン監督のようにくどさがない。  小津監督作品というと構図へのこだわり、カットのリズムなど形式的な見せ方について注目されることが多いのですが、小難しいことを言わずとも純粋に映画として見ていても、映像だけで十分に何を語っているかを理解できます。とりわけサイレント期の小津作品には分かり易い作品が多数あり、ビギナーの方が見ても十分楽しめます。敷居の高くない作品群です。  物語的には最後のシークエンスにマスコミと一人の人間の生命の重さに関する皮肉たっぷりのエピソードが詰め込まれている。身内にとっては親族の死は大問題であるが、マスコミにとっては人間の死は単なるネタに過ぎない。命の重さとはどういうことか。弟の死後、姉はどういう行動に出るのか。現実問題として共産党員だった岡田嘉子はロシアに亡命しました。 総合評価 78点 小津安二郎 DVD-BOX 第四集
小津安二郎 DVD-BOX 第四集