良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ピノキオ』(1940)幻想的かつシャープな映像美と警句を盛り込んだディズニー初期の傑作。

 『白雪姫』の大ヒットを受けて、製作された第二作目となる長編アニメ映画の傑作がこの『ピノキオ』です。小さい頃に何度も見てきたこの作品ですが、大人になって見たのはつい最近で、かれこれ30年ぶりくらいでしょうか。  コオロギのジミニー、猫のフィガロ(やきもち焼きで可愛い)、金魚のクレオ(金魚鉢に入ったままで海を渡るツワモノ)、妖精(ブルー・フェアリーと呼ばれるセクシーなお姉さん)、大クジラ、正直ジョン、そしてゼペット爺さんと懐かしい顔ぶれに久々に出会いました。キャラクターの性格分けがとても丁寧に描かれていて、誰が見ても混乱することはないでしょう。   ジミニー役でもあるクリフ・エドワーズの声って、フランク・シナトラやビング・クロスビーのようなゴージャスな歌声だったんですね。てっきりシナトラが歌っているものだとばかり思っていました。歌の部分だけを吹き変えることも技術上は可能でしたので、歌っているのもクリフだったのは意外でした。  ローズマリー・クルーニーがこのナンバーを歌っているレコードを昔持っていて、彼女の優しい歌声も思い出に残っています。スタンダード・ナンバーとして多くのアメリカ人たちに古くから愛され続けているのでしょう。映画自体も不朽の名作だと思いますが、音楽もまた不朽の名曲揃いです。  『白雪姫』での『いつか王子様が』『ハイホー』などに見られるように、初期のディズニー映画に持ってくるために依頼したティンパン・アレーの連中が作り出した音楽の素晴らしさと選曲のセンスは非常に優れています。  この曲でなければ成り立たないと思えるシーンが山のようにあります。このへんの映像と音楽の融合もディズニーが大成功を収めた大きな要因のひとつとして数えられる。思い出に残る映像と音楽の数々は60年以上経った今でも色褪せることはない。  ミュージカルとしても素晴らしい出来栄えを持つ作品が多いディズニー映画の中においても、この作品で奏でられる曲目は粒揃いで、自然と耳に入ってくるものが多い。『星に願いを』はのちにディズニー映画を象徴するテーマ曲とも言えるほど何度も聴くナンバーです。これと同じくらい聴く曲と言えば、『ハイホー』かその他には『ミッキー・マウス・クラブ・マーチ』しか思い浮かびません。  アニメショーンで描かれる物語の舞台は前作よりも陰影が強く、写実性が強調され、よりリアルでシャープな質感を出しています。とりわけ無生物である家具、街並み、道具などにこうした傾向が強い。反面動物達や人間達はさらにデフォルメされ、丸みを帯びているキャラクターが多い。  これは「木」から生まれたために硬質の質感を持つピノキオとの対比を強調する上でも興味深い。妖精の力によって、最終的に人間になったときには全体的に丸みを帯びたピノキオが新たな生命を受けて、新しい人生を歩んでゆく。  映像で美しいのはなんといっても『白雪姫』以来の伝統である「水」の描写の豊かさです。水しぶき、波紋、泡沫、濡れた床、土砂降り、海中、海面など随所に出てくる水の表現の多彩さに驚かされます。海面に映える月光と波の揺らめきや海中で穏やかな波にさらわれる流砂の様子などからは、ディズニー社所属のアニメーター達の尋常ではないほどの集中力と持続力、そしてリアリズムへの細かいこだわりを感じます。  雨のシーンは特に印象に残っています。画面前方の雨は大粒で激しく降り注ぎ、画面奥では霧のように小さな粒の雨が降りしきる。画面の奥行きを広げる遠近感の出し方としては素晴らしいやり方でした。細やかなこだわりが作品全体に見受けられ、何度見ても新しい発見があります。  光の使い方も絶妙です。フィガロが窓を開けるとき、外の世界の星空の眩いばかりのしかも優しい光の明るさと部屋の灯りを全て消した後の室内の暗さの対比をはっきりと、しかも出しゃばらないほど繊細に表現した画面にはゾクゾクしました。海中、そして海底を照らし続ける太陽光の揺らめきも美しい。  このときの音の使い方も見事で、明るいうちは聞こえてこないが、灯りを消して寝静まると聞こえてくる時計のリズミカルな秒針音の描写には作品への繊細さと作りこみの徹底を見せ付けられる。  哲学的というか警句を作品中に盛り込んでいく制作姿勢も素晴らしい。勇敢、正直というアメリカ人の美徳を子供たちにしっかりと植え付けていくのは表現者として賞賛されるべきであろう。押し付けではなく、しかも甘すぎない。ピノキオが嘘をついたときに伸びる鼻は自我の肥大を表しているのか、嘘をつくことの罪悪と隠そうとしても隠せないことへの警鐘か。  良心が人生の案内役であるというメッセージはシンプルではあるが非常に強い。ただピノキオを導く良心(ジミニー・クリケット)が本体であるピノキオから離れてしまっているのはどういうわけだろうか。良心は潜在的に備わっているものではなく、後天的に教育を持ってはじめて身に付けるものなのかを表現しているのであろうか。  ピノキオが人形だったという事実も大いに関係があるのかもしれない。操り人形は子供を表すのでしょうか。本来は親の教育、学校教育、地域の生活でしっかりと結ばれていなければならない子供と社会から、これらの社会性という「糸」を切ってしまえば、物事を判断するために必要になるのは自己の良心しかない。  人種の違いや異形のために、イタリア人オーナーがあくどい商売をする見世物小屋に売られ、危うく逃げてきても人身売買組織に売り飛ばされるピノキオは人生のどん底を味わう。困難を通して徐々に成長していく彼は世話になったゼペット爺さんを救うために大クジラに立ち向かう。一度はどん底に落としてから、ヒーローとして引き上げるという構成は古典的な手法ではあるが、十分に機能するのもまた事実です。  姿形が異形のもの(木の人形)でも、良心を身に付ければ(教育を受ければ)、立派な人間になれるというメッセージは黒人などにたいする人種差別への回答だろうか。結構人間世界の暗部にも詰め寄っていくのが初期ディズニー作品の魅力のひとつであり、この作品でも人身売買、少年非行、人種差別などを作品に絡めています。  良心を失って、遊び続けて、酒や煙草(ドラッグも含まれています)を浴びるように飲むとロバ(間抜け)になってしまうというのは痛烈な批判です。暴力と不健康な生活に明け暮れると取り返しの付かない事態に陥ってしまうという警告を発していました。  難しく考えなくとも見ているだけでも楽しめる作品です。タツノオトシゴも個人的には思い出深い生きものです。小学校くらいのときは毎日、海に遊びにいける環境にいましたので、色々な貝殻を拾いましたが、一度タツノオトシゴのミイラ化したような干物のようになったものを見つけ、家に持って帰りました。  大変珍しかったので、ずっと家においていましたが、あのように拾うことは二度とありませんでした。そんな思い出もすぐに蘇りました。だれでも作品の本筋とは関係ないところで、はっと思い出すエピソードがきっとあるのではないでしょうか。  クジラの腹に呑み込まれてしまったゼペット爺さんや仲間たちを助けに行く時点で、既にピノキオは素晴らしい人間に生まれ変わっていました。このクライマックスのクジラとのエピソードは力強く描かれていて、クジラによって飛び散る水しぶきや大波、クジラ自体の躍動感と迫力、それに対抗するピノキオの果断と勇気を忘れられません。  ピノキオは嘘をつくと鼻がグングン伸びていきましたが、僕はよく嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれるぞとよく脅されました。 総合評価 88点 ピノキオ
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