良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ミイラ再生』(1932)ボリス・カーロフの演技が光るラブロマンス・ホラー。

 何年か前に製作されてヒットした『ハムナプトラ』はこの作品のリメイク作品であるが、特殊撮影に頼りきりだった『ハムナプトラ』とは違い、この『ミイラ再生』はドラマ部分に重きが置かれている。そのため派手な立ち回りや特撮シーンを期待する人には満足できない作品かもしれません。

 この作品の主役を務めたのはボリス・カーロフでした。ボリス・カーロフというと『フランケンシュタイン』『フランケンシュタインの花嫁』での怪物役のイメージがあまりにも大きく、その他の出演作が全て霞んでしまっている印象があります。しかし実際には前述の怪物役の他に『黒猫』『古城の亡霊』そしてこの作品のようなホラー映画はもちろん、社会派の『手錠のままの脱獄』にも出演するなどその後もキャリアを重ねていきました。

 同時代にホラー映画スターとしてともに活躍したベラ・ルゴシが極貧の生活環境の中で、エド・ウッドに葬られるという悲惨な末路を辿ったことを合わせて考えると実に興味深い。二人の運命をこれほど分けてしまったのは一体なんだったのだろうか。

 フランケンシュタインの怪物役はボリスに永遠の命を与えましたが、ジャック・ピアースによる特殊メイクの貢献がかなり大きかったのも事実です。演技をしているというよりもただメイクをして動いているだけというレッテルをベラ・ルゴシから貼られてもいました。

 しかしこの『ミイラ再生』で見せるボリスの演技は安定していて、俳優としての出来はこちらの方が断然優れていて、後の俳優としてのステップを登っていくのに貢献したのは間違いなく『フランケンシュタイン』ではなく、この作品である。

 カール・フロイント監督による演出も見事で、サイレント手法を熟知していたこの時代の監督ならではの映像によるトークというか語りは見応えがあります。品が良いのも特徴で、最近のホラーのようにただただ流血や残酷シーンを重ね合わせていくだけの「肉屋ホラー」にはない想像させる恐ろしさを観客に提供しています。

 特に優れているのは学者が死者を甦らせるパンドラの箱である「トトの書」を自分の抑えきれない好奇心のために開封したために、カーロフ演じるイムホテップが復活してしまう一連のシーンです。

 数千年の眠りから醒めていくミイラの恐ろしさが画面から伝わってくるこのシーンはほとんどサイレントで表現されていて、長い沈黙の中で復活してくるという演出は後ほど起こる災いを予感させるホラーの王道を行っている。最初微かに眩しそうに目を開け、手を動かしていき魔力が徐々に身体中を駆け巡り、邪悪な力が漲っていく薄気味悪さは派手な演出に慣れてしまったいまでは反って新鮮に映ります。

 影の使い方、そして動き回るミイラの姿全体を見せずに一部だけを使って表現される恐怖の演出はセンスの良さを感じました。ミイラを巻いている包帯の乾燥感の出し方は素晴らしく、乾ききって粉を吹くような質感を表すのは苦労したのではないかと思います。

 ミイラが自分の過去を水面に鏡のように映し出すシーンの不気味な美しさも独特の雰囲気に合っていて強く覚えています。当時の作品はジャンルに関わらず美しい映像が多く、見ていて楽しい作品が多い。

 これは数千年もの昔、神に仕える高僧であったイムホテップとファラオの娘である巫女が道ならぬ恋に落ち、罰せられて、生き埋めにされ、非業の死を迎えたイムホテップが数千年の後に復活して、かつての恋人の子孫の女性と再び添い遂げようとする悲しい物語なのです。ホラーと呼ぶよりはラブロマンスと呼んだほうがぴったりな作品です。

 わざわざ残忍な映像を見せなくても、十分にフィルムは撮り方によって機能するのを忘れている作り手側とセンセーショナルな映像を宣伝に使いたい会社及びマスコミには映画の基本に戻って欲しいものです。

 ツタンカーメン王の遺跡の発掘とそれに伴う「ファラオの呪い」騒動にタイムリーに乗っかって、製作されたこの作品はある意味悪趣味ではありますが、仕上がった作品は後世に残るホラー映画の古典となりました。

 一歩間違うと陳腐な作品になりかねないこの映画に、ヨーロッパが舞台のホラーでは作り出せない雰囲気と重みを与えたのは「王家の谷」のインサート映像やパピルスに描かれた絵文字やエジプト独特の衣装や文化そのものです。

 ファラオの呪いはオカルト・ファンの間ではいまでも信じられている伝説ではありますが、個人的にはありえないと思っています。なぜならばエジプトに旅行時に、カイロでの夜のショーを観に行ったのですが、その演出を見て呪いなど絶対に存在しないと確信したからです。

 クフ王のピラミッドやその周りのいくつかのピラミッド、さらにはスフィンクスにカクテル光線やスポットライトを浴びせ、スピーカーを仕込み、ピラミッドやスフィンクスに会話をさせてエジプトの神話を語らせるという見事なまでの見世物興行を見たときは心底驚かされました。

 呪いがあるならば、金儲けをしているあの連中に真っ先に降りかからねばならない。あれだけ見世物扱いをしている現地人達が呪いで死んだなんていうことは一度も聞きませんでした。呪い伝説に関してもそのほとんどはこじ付けだというのが真相ではないでしょうか。マスコミが部数を伸ばすためにでっち上げたデマに過ぎない。今も昔も変わらないということでしょう。

 ホラーとしてはもちろん、ラブロマンス映画としても一風変わってはいるが、見応えのある作品に仕上がっているの。太陽神の怒りに触れて、アークの紋章を象った神具の一振りで再び闇の世に送り返されるイムホテップはなんと哀しい存在であろうか。

 かつてのホラー映画の主人公達は例外なく哀愁を帯びていて、その哀愁こそが最大の魅力なのです。灰に戻っていくイムホテップには抜け殻であるミイラすらその存在を許されなくなってしまう。もうイムホテップが戻る場所は何処にもない。あの世からもこの世からも存在を抹殺された存在がイムホテップなのです。

総合評価 78点

ミイラ再生 (初回限定生産)