良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『第十七捕虜収容所』(1953)ビリー・ワイルダーの描く戦争映画は異色の名作だった。

 のちの映画でも多用される勇ましいテーマ曲『ジョニーの凱旋』が幾度も流れる、巨匠ビリー・ワイルダー監督による異色の戦争映画がこの『第十七捕虜収容所』です。口笛で吹かれたり、みんなで勇ましく歌われるこの曲は最高にカッコよい。誰でも一度は聴いたことのある御馴染みのナンバーなので、見ているとすぐにフィルムに没頭できます。  アーノルド・シュワルツェネッガー主演の大ヒット映画『ターミネーター2』の主題歌で、ガンズ&ローゼスの有名なナンバー『ユー・クッド・ビー・マイン』のシングルCDのカップリング曲として収録された『シヴィル・ウォー』にも引用されたくらいでしたので、アメリカ国民にとってはごく一般的な音楽だったのでしょう。なぜかジャッキー・チェン主演の『プロジェクトA』でも広東語バージョンで使用されていました。  作品は収容所という閉鎖的で暗い環境を舞台として使い、脱走とスパイ探しにまつわるエピソードがおもな筋書きになっている。収容所内で流れる澱んだ時間は独特であり、ジュネーブ条約に基づいて運営されている収容所にいる捕虜達は戦争そっちのけで、そうした収容所生活を楽しんでいるようにも見える。  ドイツ兵もアメリカ兵もどことなくコミカルなのは50年代という時代では西ドイツがもはや敵ではなかったこと、そしてなによりもワイルダー監督自身がもともとドイツ人であったことが影響しているのではないだろうか。アメリカへ移住する前はドイツ人だった彼にとってはドイツ人は住んでいた国の住人であり、けっしてエイリアンではなかったのは当然です。  かつて住んでいた自分の国をそうそう悪くは書けるものではない。戦争自体はとてつもなく不幸な出来事であっても、お互いは人間同士であるという視点は変わらない。また白人しか出てこないのはお互い白人なのだから分かり合えるじゃないかというような雰囲気を感じさせると見るのは考えすぎであろうか。 戦争映画なのにプロパガンダ色が全くないのも好感が持てます。とかく戦争を題材に取ると主義主張を突きつけるような作品がある中で、こうしたどこかコミカルな作品を提示してくるのはいかにもワイルダー監督らしい一味違ったやり方といえる。コミカルではあるが、残酷でもある。この絶妙なさじ加減がワイルダー節なのであろう。  それはともかく、この映画では戦争映画にありがちな派手なドンパチ・シーンは皆無で、ほとんどが推理と会話に費やされる。冒頭の脱走未遂シーン、最期の脱走シーンに繋がるスパイを処分するシーンでのみ、銃撃が行われる。しかも捕虜側は武器を持たないために、ナチ側の武器でナチのスパイを処刑するという発想は個性的で効果的でした。  そつがなく、機転が利く捕虜であるウィリアム・ホールデンは兵隊やナチ相手に上手く立ち回り、収容所内でもリッチな暮らしを営んでいる。そんな収容所内の脱獄予定などの重要情報がナチに漏れるようになり、彼は疑われ、すべての物資を奪われ、他の兵隊たちからも白眼視されるようになる。  そうした状況を打開すべく彼は一人で真犯人探しを始める。さまざまな仕掛けが物語に散りばめてあり、ただお話を追っていくだけでも十分に楽しめます。さらに素晴らしいのが映像そのものです。口笛で吹かれる『ジョニーの凱旋』のバックで「メリー・クリスマス」の電飾が点灯しているショットはさすがワイルダーと思える美しさでした。  ワイルダー監督らしい皮肉な人物描写も魅力のひとつです。貧乏人出身のホールデンは優秀だったがお金がなく、士官学校には進めなかった。結果、彼は現在軍曹に過ぎない。それにたいして、裕福な階級出身のドン・テイラーが演じる連合国軍中尉は士官として従軍していた。知り合いだったが、今では天と地ほどの階級の違いが軍でもある。  それが冷徹な現実ではあるが、中尉の脱走計画を実行するには身分の低い彼なしでは何も進まないのも事実である。収容所内では己の才覚が生命を左右するのである。身分の逆転が興味深い。戦争がなければ、交わることもないであろう階級の違う二人が脱走という同じ目的のために全力を尽くす。しかし、いざ脱走に成功すれば、母国での待遇、つまり富裕層と貧民にまた別れていくのも当然の帰結である。  また戦争がいつまでも続くものではないのも、これまた真実である。ホールデンの才覚を知る者が戦後にたかりに来たとしても、彼は冷酷に突き放すであろう。それを端的に表すのが「街であっても、お互いに知らん振りをしよう!」という台詞である。  収容所でのナチの軍人達と収容所に忍び込んだスパイと連合国軍捕虜たちとの三者の駆け引きも見所のひとつである。冷酷なナチ収容所長を演じたオットー・プレミンジャーは威厳があり、適任ともいえる好演でした。  脱走者たちを残酷にさらし者にするナチスらしい所業を露わにするシーンは恐怖の映像です。それに反発する捕虜達の泥をかけるシーンも秀逸です。ラストシーンで彼らが放ったスパイを自らの手で処刑してしまったあと、彼の顔を確認して何事もなかったかのように去っていくシーンも目に焼きつく。軍隊という組織の持つ非人間性をもっとも雄弁に語るシーンでした。  スパイを演じたピーター・グレイヴスは難しい役どころではありましたが、もっとも強い印象を残しました。ナチの士官たちと連絡をつけるときに用いるチェスの駒や電灯などの小道具の使い方が素晴らしい。  アニマル役のロバート・ストラウスがコミカルなやり取りと人情深いやり取りという幅の広い人物像を演じ分けたのにも好印象を持ちました。彼が劇中で夢中になる女優がベティ・グレイブルというのが時代を感じる。「グレイブルを好きだ」というとクラーク・ゲイブルのまねをする同僚にたいして、「グレイブルだ!ゲイブルじゃない!」と言い返す様子はクラシック映画ファンならば、結構笑えるシーンでしょう。  慰問を積極的にこなしたディートリッヒでもなく、妖艶なセックス・シンボルであるリタ・ヘイワーズでもない。健康的なイメージを持つグレイブルがアイドルというのは第二次大戦らしいのかもしれません。ホールデンと同じく、彼もこの映画でオスカーの助演男優賞を射止めました。  この映画では主役であるはずのウィリアム・ホールデンよりも脇役を演じた俳優たちの方に名演が多かったのです。主役であるホールデンよりも彼らの演技の方が立ってしまっているのは脚本としては失敗だったのではないでしょうか。  それともウィリアム・ホールデン自身に他の俳優を触れ伏せさせるほどの迫力も威厳もなかったからかもしれません。彼はこの作品でオスカーの主演男優賞を取ってはいるのですが、何故か影が薄い。  音楽を付けたフランツ・ワックスマンは今回も良い仕事をしています。『失われた週末』『昼下がりの情事』と彼が音楽をつけたワイルダー作品はどれも素晴らしく、このコンビが多くないのは非常に残念です。  ワックスマンの音楽によって、彼自身の大切な映画が引き攣り回されるのをワイルダーが嫌ったのでしょうか。つまり映画では映像とともに音楽が大きな役割を果たすのはトーキーの常識ですので、お互いに個性的な映像と音楽との綱引きを嫌ったのかもしれません。  素晴らしい作品です。ホールデンも主演男優賞を受賞しています。しかし彼は本作品で印象に残るとは言えない。唯一の欠点といえるのがこの主演男優だと思うのですが、結果として彼はこの作品でオスカーを得ている。  その他の要素はほぼ満点に近い。演出は一捻り効いていて、ただの戦争映画ではなく、残酷さとコメディが同居している。演技も達者な役者達が各々を主張している。音楽は印象的で、舞台設定も独創性に溢れている。 総合評価 96点 第十七捕虜収容所
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