良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

バスター・キートンの師匠、“ファッティ”・アーバックルの勇姿を見よ。『おかしな肉屋』(1917)。

 ロスコー・“ファッティ”・アーバックルの名前を聞いて、すぐにピンと来る方はかなりの映画通でしょう。チャーリー・チャップリンハロルド・ロイドバスター・キートンを称して「三大喜劇王」とすることが多いが、「デブ君」ことロスコー・アーバックルを忘れてはいけません。  彼はバスター・キートンに映画界入りを勧め、キートンのデビュー作『おかしな肉屋』にも共演するほどでした。キートンは終生アーバックルを師匠として敬い、アーバックルを慕い続けました。1917年はキートンにとってのデビュー年であり、アーバックルも監督業とコメディ俳優業を掛け持ちしながら一世を風靡していた、まさに絶頂期でありました。  ただしアーバックルの栄光は長続きせず、1921年になって彼にとっても、そしてハリウッドにとっても大変な騒動が降りかかってきます。乱痴気騒ぎで湧いていたアーバックルの屋敷でのパーティーの中、突如若い女優の悲鳴が寝室から響いてきました。  アーバックルが若手女優ヴァージニア・ラップを無理やり強姦しようとして、彼女に乗りかかった時に、トイレを我慢していた彼女の膀胱が破裂してしまったのです。しかも上に乗りかかったのが「デブ君」で有名なアーバックルではたまったものではありません。  彼の体重は曙かヘイスタック・カルボーン並みに見えますが、実際の体重は120Kgだったそうです。彼女は病院に運ばれたものの、その後死亡してしまいました。彼女の最期の声は「あの男にやられたのよ!」でした。  かねてからのハリウッドの乱痴気騒ぎや暴力描写にナーバスになっていた大衆とマスコミは一斉にハリウッドを叩きました。実際の裁判では真相は明らかにならずに、アーバックルは無罪を言い渡されました。その後も再審が行われましたが、その度に無罪が言い渡されました。  しかし喜劇という看板を掲げていたアーバックルにとっては無罪も有罪も変わりがなかったのです。映画はイメージが大切な産業であり、芸術であり、娯楽なのです。「もしかしたら、彼は強姦殺人の犯人かもしれない」と思わせるだけで、彼の映画は成立しなくなってしまいました。感情移入など出来るわけがありません。  その後の彼はハリウッド追放後、喜劇の劇団を引き連れての地方巡業で生計を立てていたようですが、あちこちで妨害にあったようです。彼がハリウッド・スクリーンに本格的に復帰してこようとするのは1933年でしたが、映画出演が決まった矢先に心臓発作で46年の短い生涯を閉じることになりました。  いまから15年以上前に、人気コメディアンだったピーウィー・ハーマンが幼児への性的虐待で逮捕された時に、彼の芸能生命が一瞬で絶たれたように、ハリウッドはこういった蛮行には非常に厳しい。そのきっかけを作ったのはアーバックルだったのかもしれません。じっさいに彼の事件の後に出来たのが、悪名高い検閲を行うための機関であるヘイズ・オフィスです。  彼の後日談はともかくとして、実際の彼の作品とはどういったものだったのでしょう。今回はシネフィル・イマジカで放映されたアーバックル監督、キートン出演という豪華な作品群を通して、「デブ君」アーバックルと「ストーン・フェイス」キートンがスクリーン上で共演した初期作品を見ていきました。  すると興味深い点が数多くありました。すでにポーター監督の『大列車強盗』でも使用されていたジャンプ・カット、イマジナリー・ライン、テンポの良いカット割り、遠近感や奥行きへの意識、クロース・アップ、字幕、ディゾルブ、アイリス・イン・アウトなどの古典的な映画文法はよりスマートに確立されていて、流れるようにフィルムが動いていきます。十年経っただけでこれだけ表現方法が進化しているのには驚きます。  基本的には固定カメラによる撮影とカット割りで作品が構成されていて、画面上で動くのは俳優たちなのですが、リズムよくカットが刻まれていくので、見る上での不自由さはあまり感じさせません。犬や馬の疾走シーンにはマット合成の元祖のようなトリック撮影を用いています。この頃の映画表現者たちの意欲には敬服します。  ストーリーの筋書きはあってないようなもので、主役のアーバックル、脇役にキートンとアル・セント・ジョン(アーバックルのいとこ)が絡んでくるというものが多く、とりあえずアーバックルを映していればオーケーという感じで、キートンは端役にしか過ぎません。興味深いのはキートンが見せる表情です。  一般にキートンがスクリーンで見せるのは無表情な「ストーン・フェイス」であり、彼のイメージもそれです。しかしまだ彼はそういったイメージを確立していない。笑い顔や怒り顔を見せる、このアーバックル監督作品でのキートンを見ることはとても新鮮な経験でした。まるでチャップリンが「浮浪者スタイル」を確立する前のイメージをみせるように瑞々しい。  チャップリンがあのスタイルを作るきっかけとなったのはアーバックルと共演した折に、彼の衣装をチャッカリ借りて、撮影に臨んだところ評判が良く、その後もそのスタイルを進化させていって、彼独自の「ちょび髭、ステッキ、山高帽、ドタ靴」のイメージを作り上げていきました。  つまりチャップリンキートンという二大喜劇王に大きな影響を与えたのがアーバックルだったのです。その割りに彼が置かれている立場は寂しい。自分が犯した罪の大きさと喜劇王としての革新性とのギャップがあまりにも大きい。  映画の作り方で特筆すべきことは「パイ投げ」とドタバタ喜劇の確立にあります。パイ投げはただ投げるわけではなく、どうやったら面白く出来るかに主眼が置かれています。なぜ、そこに必ずパイが置いてあるのかは意味不明ですが、ナンセンス喜劇に理由は要らない。  ドタバタ・シーンは本当に身体を張ったアクションがてんこ盛りになっており、デブ君が意外に素早く動き回ったり、キートンが切れ味鋭く転んだり、回転したり、飛び降りたりする様は爽快でした。馬車に飛び乗り、綱渡りのような芸当をするキートンは出演者の中でも躍動しています。ほとんどスポットライトが当たることのない脇役であるにもかかわらず、その後の活躍を感じさせる動きを見せていました。  そしてアーバックルが取る笑いには早くも不吉な影を見る思いでした。自分の店(ドラッグ・ストアという設定)でクロロホルムを嗅がせて、若い女性を眠らせてキスしたり、女性を拉致していくシーンなどもあり、1917年という(大正時代!)当時としてはかなりドギツイ演出だったのは明らかでしょう。  凶悪犯罪を笑いごとにしてしまうという点で、ある意味、当局に狙われていた映画スターの一人だったのかもしれません。放埓でガードが甘いコメディアン俳優、天狗になっていたハリウッドの住人は検挙率をアピールする意味でも格好のターゲットだったのは間違いない。  今回見た作品は以下の通りでした。 『おかしな肉屋』『入り婿』『結婚』『医者』。 総合評価 75点 バスター・キートン短篇全集 1917-1923
バスター・キートン短篇全集 1917-1923 [DVD]