良い映画を褒める会since2005

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『天空の城 ラピュタ』(1986)<パート1>ラピュタとは空に浮かんだバベルの塔なのか?

 記念すべきスタジオ・ジブリ、栄光の第一作目となったのが1986年公開の『天空の城 ラピュタ』である。前作『風の谷のナウシカ』(1984)で絶大なる高評価を得た宮崎駿監督がファンタジー活劇に真正面から向き合い取り組んだ作品としても興味深い。  旧世界の伝説とそれにまつわる宝探しという冒険活劇だけではない。後に受け継がれる自然と文明の共存と歪み、『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』で用いられている巨大兵器の復活とそれを阻止しようとする主人公というモチーフなどには、初期宮崎監督作品らしい味わいがある。  それはある意味で監督自身の迷いだったのかもしれない。冷戦がまだ続いていた当時の世相では、活劇だけでは映画は成り立たない、ファンタジーだけでは作品は陳腐になる、というなかでのギリギリの線を狙ったのがこの作品だったのであろう。  また宮崎自身が手がけるメカニック・デザインのユニークさ、久石譲が作曲した映画音楽の素晴らしさは全宮崎作品中でも屈指の出来栄えである。この作品を固めた様々な要素が名作を生み出すベースとなっている。  バベルの塔を思い出させるデザインのラピュタ旧約聖書にある「ソドムとゴモラ」のエピソード、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』についての意見などはヨーロッパという設定であるために入れられた台詞であろう。  実際に宮崎監督はウェールズ地方の炭鉱町にロケハンに訪れたので、思い入れも多かったのでしょう。ジョン・フォード監督の『わが町は緑なりき』をアニメで描いた感じとでも言えましょうか。ついでにインドラの槍というヒンズー教の神話を挿入したのは何故だかわからない。  古代文明へのノスタルジーであろうか、この作品のオープニングではナウシカの世界観と同じく、古代文明の影響がいまだに未来世界に生き続けているという概念をモンタージュで示しているようだ。このとき空中を飛ぶラピュタの城の群れが描かれている。この無数のプロペラを持つ飛行城のデザインはドイツ的な表現にも見える。  そしてこの作品は宮崎駿監督にとって、彼自身が書いた、はじめてのオリジナル作品でもある。原作者が自分なので、それまでのように原作者に頭を下げに行く必要が無くなる。自分の思い通りに作品を構成できるのは彼にとっても好都合だったのではないか。  ただし弱点も幾つかある。まずはなんといっても主人公パズーとヒロイン・シータの声の弱さであろう。設定自体が普通の少年というパズーでは冒険活劇には無理がある。特異な能力を持つ少年(コナン)とは違い、大人に力で敵うことはない。  パズーとシータを演じた声優の声質には力強さがなく、繊細すぎるように聞こえる。世間ずれしていない彼らを表現するための幼さとあどけなさが強調されている演出と人選であろうと思われる。それはこの作品の魅力でもあるのだが、一方では弱点とも取れる。  少年少女をメインに据えてきた理由は宮崎監督が子供向けの作品を撮りたかった証であろう。大向こうを唸らせる大活躍をするスーパー少年コナンのようなストーリーを期待した向きには大いに肩透かしを食らわせたであろう作品ではあります。  しかしながらラピュタという、いわば旧世界から存在する伝説の空中城自体がスペクタクルである以上、人間まで漫画的かつ超人的な活躍をしてしまうとストーリー展開の収拾が付かなくなってしまうのではないかという判断が働いていたのかもしれません。  このためかメカニックやデザイン等の小道具が観客に与えた印象が非常に強い作品になったのでしょう。昆虫の羽根のような翼を持つフラップターは暖かいイメージをメカに持たせてくれています。宮崎監督の大空への大いなる嗜好はこの作品でも存分に窺える。  とりわけ飛行機及び飛行機械への限りない愛着は余人の追随を許さない。フラップターはもちろん、『未来少年コナン』で大空を駆け巡りついには撃墜されたギガントを髣髴とさせるゴリアテギリシャ神話でダビデに倒される巨人)という巨大飛行艇天空の城ラピュタにはそれぞれに思い入れ一杯の見せ場が用意されていました。  まずはフラップター。シータを救出に向かう時の低空飛行での塵の吹き上がり、羽根のような翼を持つフラップターのユニークな飛行状態などは温かみを感じさせる。  ゴリアテの役割はとても皮肉だ。最新巨大兵器として登場し、ドーラ一家の飛行艇に打撃を与えるまでは良かったが、ムスカラピュタを掌握した時点で、ただ打倒されるのみの存在に落ちぶれる。  ラピュタを囲む龍の巣(雲の渦がラピュタを覆いつくし、隠している。まるでバビル二世のバビルの塔と同じではないか)での襲い掛かる雲の描写も印象に残る。雲といえば、ゴリアテがドーラの船を雲に押し付けようとするシーンもお得意の見せ場であった。  そしてこの作品では人類究極の夢である飛行行為そのものを飛行石を使って実現させている。天空より降臨するシータは墜ちてきているだけともいえるが、「ゆっくりと」墜ちてくるというのは人智を超えた降下ではないか。重力を無視する降下はスペクタクルです。  つぎに人物設定について。シータは飛行石という宝物を持ち、ラピュタ人の王女であるという高貴な出自が示される。彼女は選ばれた人であるが、飛行石が無ければただの少女に過ぎない。純粋な少年と可憐な少女を主人公にしてしまったので、冒険活劇路線で押し切っていくにはかなり無理が出てくる。この部分を補い、彼ら少年少女を囲むように登場してきたのが海賊ドーラ一家だったのではないだろうか。  またムスカの登場により、宝探し、財宝探しというファンタジー活劇には持って来いの敵役が出てきたことで、作品には善と悪の二つの軸とその中間に自由な人々である海賊を配置した。これにより物語と登場人物の色分けがはっきりしてきた。  このような設定は前述したように『未来少年コナン』で何度も出てくる。このラピュタはこれらそれまで培ってきたアイデアの集大成的な色彩が強い。明るいひとびとを多数描きながらも隙が全くないので、画面には緊迫感がある。気合の入った良い仕事をしています。  <続く。>
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