良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『萌の朱雀』(1997)河瀬直美監督が最初にヨーロッパで認められた美しい作品。

 『萌の朱雀』は奈良県出身の河瀬直美監督がその名をはじめてヨーロッパ及び日本(なぜか日本では海外で評価されるまではまったく一般に評価されない。)に知らしめた記念すべき作品である。  『殯(もがり)の森』がカンヌ映画祭でグランプリを獲得したため、彼女の名前が再びマスコミ等で脚光を浴びるようになったが、せっかくの受賞を、単なるブームとして埋没させることなく、新たなる我が国の映画文化を芽生えさせ、定着させるキッカケになれば、嬉しく思います。  そして、この『萌の朱雀』こそ、彼女が最初にヨーロッパで賞賛された作品なのです。このフィルムで描かれる國村隼をはじめとする出演者の人々には、ハリウッド映画のような魅力的な美男美女はひとりもいません。しかしこのフィルムを引き締めているのは國村をはじめとする演技派の俳優たちである。  あなたの住む町にも、どこにでもいそうな人々の普通の生活を淡々とカメラが追って行くのみです。しかしこの力強さは、そして彼らの生命力をハリウッド映画で感じることは出来ない。  彼女が『につつまれて』(1992)『かたつもり』(1994)などで、その個性と才能の片鱗を見せた、ドキュメンタリー・タッチの作風、敢えて言うならば、ネオレアリズモ的な感覚がこの作品でも活かされている。  風にきしむ森の音。まずはその音が生命力の強さを前面に押し出す。一転して、暗い日本家屋へカメラは入る。雑然としている台所内部での生活音が耳に入り込んでくる。この音もまた生命力がある。どちらが美しいということではなく、自然の中に生きる庶民の暮らしぶりや鶯の鳴き声などの自然音が作品内に満ちていて、それが安堵感を与える。  冴え渡る映像美。ただただ美しい大自然に囲まれた吉野の山々と青い空に目を洗われる。眩しいがどこか優しい大和の国の太陽光を存分に受け、生命を謳歌する木々の力強さ。光と緑が溶け合っている不思議な情景を切り取っている。これらはひと昔前であれば、どこででも見られた日本の原風景であるが、今となってはノスタルジックである。  ロケ地は吉野方面であろうか。都会に住む人々にとっては懐かしさを喚起する美しい自然とそこに住む人々が確かに存在している。ここまでのカメラの視点は突き放したというよりはドキュメンタリー・タッチで、静かに、そして温かく人々を見守っているようだ。  奈良は盆地なので、夏は湿気が非常に多く、とても暑苦しいのですが、この地域に限っては高所であり、木々や水が豊富なため、あまり市街地ほどの暑さはなく、むしろ避暑にちょうど良い。静かであり、読書や考え事をする時には素晴らしい場所だといえます。  舞台となる日本家屋は常に窓が開け放たれ、障子が開けられ、見渡す限りの青空と緑の山々が広がっていく。こうしたところに住んでいれば、そこに住む人々の気持ちも大らかになるかといえば大間違いで、美しい自然に囲まれた場所においても、人間関係その他のさまざまな悩みが淡々と語られていく。  田舎暮らしでのスナップ・ショットを積み重ねていった作品だが、不思議と退屈することはなく、むしろ心が和らいでゆく。窓を開け放った日本家屋と山々を同時に捉えることにより生まれる奥行きの深さを利用した構図には目を瞠らされることでしょう。  河瀬監督の映像センスがきらりと光る作品である。トンネルのシーンでの緑色に光り輝く様の美しさを見て欲しい。映画が光と影の芸術であることを思い出させてくれる美しいショットでした。  トンネルが何度も登場してきます。将来の不安、希望、もしくは閉塞感を代弁しているようなショットもあり、テクニック的に唸らせられるショットもトンネルがらみが多い。  トンネルのイメージが記憶に強く残っている映画でした。その時々でトンネルの意味するものが違うのも楽しい。カメラ・ドール受賞の本領を発揮する自然でさりげない長回しにはワクワクしました。  とりわけ長回しで優れているのはバスから降りた妹が兄の迎えのバイクを待つシークエンスである。まず妹はバスから降りる。迎え側に歩いて渡る背景で、バスはトンネルに入っていき、徐々に小さくなっていく。トンネルを抜けるとすぐに、曲がっている田舎道の角度とバスで隠されていた兄のバイクが妹を迎えに急いで走り寄ってくる。  バスとは反対で、最初は豆粒のように小さかったバイクがだんだんと大きくなってくる。そして、ついに彼らは巡り会う。この一連のワンシーン・ワンカットがとても強く心に残っている。本当に何気ないというか他愛ないシーンであるのに今でも覚えている。これが映画なのだ。  ストーリー展開も独特かもしれません。たしかにハリウッド映画のような単純で分かり易いジャンク・フィルムに慣れきった観客には少々分かり難いのも事実です。特に家族構成や事情をすぐに掴むのは至難の業でしょう。フィルムを丁寧に観ていくうちに、徐々に物語世界の状況が掴めてくるのがたのしい。  まるで近所の裏事情が付き合いを長く続けていく内に分かってくる感覚です。映画ファンとしては久しぶりに幸せな経験をさせてくれました。見て察する感覚を持つには良い訓練といえるでしょう。  情報は台詞ではなく、映像で与えられる。もちろん会話の端々から事情は分かってきますが、この作品ならば、サイレントでも成立するのは明らかであり、それこそが映画作家である証であろう。  エンディングでの物語の閉じ方で思い出した作品がありました。それは溝口健二監督の『山椒大夫』です。あの美しくも哀しいラスト・シーンを髣髴とさせる演出がありました。  父親の自殺で崩壊してしまった家庭。二つに分かれてしまった家族のうち、この地に取り残された老婆と孫の青年が呆然と家の軒先で座っている様子を捉えた引き気味のカメラはさらに引いていき、家を取り囲む山々を画面一杯に映し出す。  心の空白は大自然の美しさでは癒せない。また大自然の中では人間の営みなどちっぽけなものでしかない。一つのショットで二つの意味を探り取れる、まさに映画的なショットでした。溝口は海を、そして河瀬は森(樹海か?)を使って、その無常と儚さを表現しました。  これで終わっても良かったのですが、最後に國村が生前に撮影した8mmカメラに収められた家族の幸せな姿が映し出されるのがなんとも言えず切ない。この映画における8mmの使い方は素晴らしく、さすがはドキュメンタリー映画『につつまれて』でスタートした河瀬監督らしさが出ていると思いました。  ネオレアリズモ的なセンスとタルコフスキー・タッチが混じり合った稀有な才能を持つ日本が生んだ映画作家である河瀬直美を今後も見守っていきたい。 総合評価 80点 萌の朱雀
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