良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『殯(もがり)の森』(2007)河瀬監督自身、二度目のカンヌ映画祭受賞作品。

 河瀬直美監督がカンヌ映画祭グランプリを受賞した『殯(もがり)の森』は冷静にストーリーのみを追っていくと、恐ろしいほどに単純な映画であると言わざるをえない。 <以下ネタバレバレなので、観に行く予定のある方は要注意です。>
画像
 冒頭に土葬される風習の村での葬式の様子が克明に描かれる。俯瞰と長回しで捉えられた時の侘しさ、響き渡るお経のクリアな音声、オフスクリーンから吹いてくる風のざわめき、ドキュメンタリー風の葬儀の様子など早くも河瀬直美監督らしい映像美が炸裂している。  新米の女性介護士尾野真千子)のミスで、認知症患者のおじいさん(うだしげき)が奈良の田舎の深い山中(たぶん奈良の田原地区でしょう)に脱走したため、彼女が彼を探し回り、捕まえようとするも、彼をコントロール出来ずにさらに奥山に入り込んでしまい、ついには遭難してしまう。雨なども重なり、暗い山の中で最低の一夜を過ごす。
画像
 彼がこれ程までに深い山中にこだわったのは奥地に、33年前に土葬された彼の妻の墓があり、彼は妻の元に帰りたいというだけの理由により、このような事態を引き起こしてしまう。夜が明けると地元の青年団(?)がヘリを飛ばし、彼らを救助するという内容です。つまり、かなり間抜けで人騒がせな、ふたりの登場人物ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。  これに限らず、河瀬監督の作品では、映画を成り立たせるための大きな軸ともいえる、ストーリーの明快さはあまり眼中には置かれてはいない。その場その場で揺れ動く登場人物たちの感情のひだを紡いでいけば、それでよいと考えているのであろうか。  ドラマチックな作風を拒否する姿勢はデビュー当時から変わっていないとも言える。観客に与えられる各登場人物の情報は恐ろしく少なく、観る者は注意深く、時に聞き取りにくい台詞を聞きながら、頭の中で人間関係の図を作り上げなければならない。  作品は「長編ですので、観客のみなさん一人一人が二時間掛けて、自分で関係図を掴んでくださいね!」というスタンスです。言うなれば、非ハリウッド的なのです。大向こうを唸らせるドラマチックさやアピールの大きさはありません。  人間の生き死にと愛の深さを語っていこうとする。その試みは立派であるが、描ききれていたのだろうか、観客のせめて半分は理解できたかといえば、答えは「否。」である。たとえ呆けてしまっても、亡くなった妻への愛を抱き続ける夫の愛の深さを感じ取るべきなのかも知れません。が、全体を通して見ていくと表層的であるように思え、肝心な愛の深みを感じ取れませんでした。  演出的にはいつも通りの奈良の豊かな自然に囲まれた山々の深さと今回の作品からはじめて大きく採りあげられるようになった静かで、薄暗く、ときに荒々しい森中の映像が光っています。ほとんど自然光を照明に使っているためにかなり観難いシーンもありますが、彼女のスタイル、つまりドグマ95的なドキュメンタリー・タッチの作風を併せて考えると、むしろそれはそれで良い。  森の「緑」、緑色にもいろいろな緑としての幅があることに気付かせてくれる。昼でも薄暗い森中での濃い緑と強い日光によるハレーション気味の木漏れ日が生み出すモノクロのような映像には目を瞠らされる。  奥行きを強く意識していると思える手持ちカメラによる縦構図の作り方などは評価してよいのではないだろうか。今回も彼女の作風の一つである手持ちカメラによる映像がかなり多い。決まっていると思えるシーンも幾つかありますが、しかしながら失敗していると思えるシーンが多々ありました。  なにがなんでも手持ちを使う意味がないのだが、こだわりが強すぎるようでした。むしろ光っているのは固定カメラによる撮影部分です。被写体自体に強い生命力があるのですから、カメラが無駄に動く必要はないということをそろそろ理解して欲しい。それは妥協ではなく、映画作家としての進歩なのだから。手持ちカメラは、この作品に関する限り、かなりの情緒を削いでしまっているように見える。
画像
 今回の映像で最も美しく、そして印象に残っているのはお茶畑で行われる「追いかけっこ」シーンでの俯瞰映像でした。規律正しく綺麗に刈り込まれているお茶畑はまるで瓦葺屋根のようであり、そこで追いかけっこをしている二人が妖精のようにも見えてくる。まさに映画的な映像感覚であり、こういうところがカンヌでも評価されてきたのでしょう。  夜から朝になる手前の暗がりの池に落ちる雫とそれによって生まれる波紋の映像はとても美しい。ストーリー的にはグダグダですが、映像の美しさは今も健在で、随所に美しい映像を堪能できることでしょう。  森の中から空を仰ぎ見る時の日光の優しさ、ケアハウスの皆で野菜畑に辿り着いた時に日光と雲の影響で瞬時に変わっていく光の強さはある意味、劇映画に慣れている者としてはとても新鮮でした。黒澤監督ならば「その雲、笑わせろ!」と照明スタッフに怒鳴りつけるところなのでしょうが、河瀬監督はそのまま使いました。
画像
 演技ではなんといってもヒロイン役の尾野真千子と素人俳優うだしげき(僕の家の近所の古本屋さんの主人だそうだ。もしかすると何回かは知らずに顔を合わせているかもしれません。)のモデル的(ロベール・ブレッソンが言うところの)な演技の素晴らしさに尽きる。  ネオレアリズモ的な地に足がついた生命力の強さは職業俳優とはまた違うピュアな印象を受けました。『萌の朱雀』の妹役の彼女がここまで素晴らしくなったのも驚きでした。  またこの作品の最大の功労者はベルギー人デヴィッド・フランケンである。かれによってデザインされた素晴らしいサウンドによる貢献はあまりにも大きい。森の木々が風で軋む音、その生命の音はこの作品の中でも頻繁に登場してきます。  あるときは画面左から右へ、またあるときは画面手前から奥に向けてと縦横無尽に風音がスクリーンを駆け抜けていきます。しかもそれはオフ・スクリーンの拡がりを観客に知らせてくれる。閉塞しがちなテーマの中での彼がやってのけた仕事の意義の大きさは誰よりも監督自身が理解していたのではないでしょうか。  風だけではなく、さまざまな蝉の声も使われていました。季節的な物音が皆無になってきている都会の人々にとっては懐かしさを蘇らせてくれる音作りだったのかもしれません。その他、印象に残った音には響き渡る、お経の静けさ、豪雨、濁流の荒々しさと激しさがこの静かな映画では良いアクセントになっていたのかもしれません。  ただ全体を通して見ていくと作品のテンポやカットのリズムが停滞してしまい、一般のファンが観た場合に多少集中力を失ってしまうかなあ、という印象が強くあります。長回しへのこだわり、ドキュメンタリー・タッチへのこだわり、手持ちカメラへのこだわりなど河瀬監督独特の作風があるので、それを貫くのも良いのですが、フィルムを積み重ねて行ったときに喚起されていく観客自身が感じるだろうイメージと監督が提示するイメージにかなりギャップが生まれているのがはっきりと出てしまった一本です。  一つ一つのカットが良く言えば丁寧、悪く言えば冗長なのが気にかかりました。特に何かが起こるわけでもないシーンで何度も同じような動作を繰り返したりするのは時間の無駄でしかない。結果として多くの観客が集中力を失い、だれてしまっているのが残念でした。  編集を上手くやれば、もっと締まった作品になっていたのは間違いないだけになんとも口惜しい。ハリウッド的な誰でも分かる娯楽作品にしか興味がない人には絶対に理解できない世界観でした。カンヌ映画祭らしい選択による受賞であったのでしょうが、興行的にはかなりの苦戦が予想されます。
画像
 上映後に席を後にする観客たちのほとんどの顔には失望と困惑の色がありありと浮かんでいました。なんと表現してよいのか分からないといった様子でした。帰り際にオバちゃんが隣のオバちゃんに「『釣りバカ日誌』にしとけば良かったね!」と言っていたのが妙に耳に残っています。  多くの観客の心を代弁した言葉なのかもしれません。おそらく河瀬監督作品のなんたるかをまるで知らずにたまたま観た人々だったら、当然そうなるであろうといったところでしょうか。個人的には映像美を楽しめました。この映画はストーリーを追うと腹が立ってしまいますが、映像感覚を観ていると、そしてサウンドデザインに興味が行けば、十分に楽しめます。 総合評価 70点