良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『海の沈黙』(1947)ヌーヴェル・ヴァーグに影響を与えたジャン=ピエール・メルヴィルの傑作。

 映画だけではなく、文学、絵画、音楽となんでもそうなのでしょうが、芸術の諸分野では発表されたその当時にはそれほど話題にもならなかった作品が長い年月を経過してから、その作品の真価が認められ、重要な意味を持つようになることがよくあります。  当時の一般的なファンにはその凄さや意義の偉大さが伝わっていなくても、そうした作品は地味ですが、少ないながらも人の目に触れ、十数年後の映画史に登場してくる若い次世代の才能の持ち主にはとても重大な影響と指針を残す作品があり、演出した監督がいる。  アメリカのB級娯楽映画の職人監督という扱いしかなかったアルフレッド・ヒッチコックハワード・ホークスヌーヴェル・ヴァーグの立場の人々から圧倒的な支持を得たように、彼らが影響を受け、尊敬していたフランス人監督がジョン・コクトーとともにもうひとりいます。  そのひと、ジャン=ピエール・メルヴィル監督はユダヤ系でメルヴィルというのは通称で、本名はジャン=ピエール・クロード・グランバックです。彼は一般的にはフィルム・ノワール映画作家として有名で、『いぬ』『影の軍隊』『仁義』などの作品で知られていますが、もっとも後の世代に影響を与えたのはこの『海の沈黙』でしょう。
画像
 具体的に影響を与えたポイントとしては制作費が不足しているのが一番の原因ではありますが、無名のキャストを用いること、オール・ロケ撮影をし、実際、この作品は原作者のヴェルコールが使っていた一軒屋がロケ地に選ばれている。  制作費を浮かせることはかなり重要で、これも経費軽減のための自然光の多用がもたらした光と影のコントラストは映画を決定付けるほど印象的で、のちにヌーヴェル・ヴァーグの代表的なカメラマンとなるアンリ・ドカエは彼独特の感性と映像感覚で多くの映画にカメラマンとして起用されています。  お金を大資本から借りられなかったたり、共産党員が幅を利かせていた映画組合から借りられなかったことが逆に幸いし、規制の少ない、言いたいことが言える自由な作風を持つ作品を生み出し、結果的に観る者に新鮮な魅力を提供したのではないか。  ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』やロベール・ブレッソンの多くの作品を観ていると、メルヴィル的な映像のアイデアを自分の映画作りに活かしているように思える。  昨年ぼくが住む関西ではロベール・ブレッソンの『抵抗 ある死刑囚の記録』とともにこの作品が同時期に上映されていました。『海の沈黙』はじつは本邦初の公開で、1947年公開の作品が60年以上の歳月を経て、ようやく一般公開されたということを意味します。
画像
 なかなか記事には出来なかったのが今作品でしたが、今回再びDVDを購入し、数回見続けてました。視線の演出、炎の意味の作り方、カットの割り方と展開でみずみずしい映像感覚の新鮮な魅力に満ちていて、見る者を捕らえます。  征服する側(ドイツ人将校のハワード・ヴェルノン)、征服される側(フランス人の老人のジャン=マリ・ロバンと彼の姪のニコル・ステファース)という相反する立場に置かれた両者の目線の移り変わりは興味深い。目線も合わさず、角度も違っていたのが最後にはアイレベルを合わせ、ついに会話を交わす。しかし半年かけて、ようやく感情を露にするところまで来たのもつかの間、永久の別れが訪れる。  目線だけではなく、興味深いことのひとつに会話がまったくないのにお互いの感情や思いが観る者に理解できる点があります。どうやるかというとフランス人の頑固な老人(ジャン=マリ・ロバン)のモノローグが多くの場面で使われ、征服される方の激昂したい気持ちを抑えた上での感情の吐露がなされる。  その気持ちの発露の合間には暖炉の炎にカメラが動き、彼らの感情の意味を知らせる。最初は憎しみだけなのでしょうが、激情になり、徐々に厳しいながらも、コミュニケーションを取ろうと真摯に彼らと向き合うドイツ人将校に対して、炎が暖かく見えてくる。
画像
 徹底的に無視されるドイツ人将校はフランス文化に憧れを抱いており、人としては文化を理解する芸術家肌の人物ではあるが、公私の立場の違いに悩み、文化を軽んじるナチス第三帝国の非人間性に絶望していく。彼は無視されているという状況の中で、自分の人間としての感情とフランスへの思いを吐き出す。  彼の心の叫びは硬く閉ざされたフランス人家族の心を溶かし、会話を成立させる。老人の姪役を演じたニコル・ステファースの唯一の台詞である“さようなら”は饒舌に語られるより、むしろ、ずっしりと心に突き刺さる。心に響く映画であり、厳しい抑制の効いた作風は現在のファンにこそ見て欲しい。  ドイツ軍将校は彼らの慎ましやかな一軒家に別れを告げるとき、あえて扉を開け放しで出てゆく。その姿が表すのは名残惜しさであり、自分とあなたたちは現在は敵味方に分かれてしまってはいるが、ヨーロッパ人同士で精神世界では分かり合えているはずであるというメッセージなのだろうか。海の沈黙という言葉は色々な意味に取れるのでしょうが、言わずとも理解しあえるという風にはとれないのでしょうか。  さいわいDVD化もされていますので、ヌーヴェル・ヴァーグの起源を探りたい方や地味に見えながらも後世の映画人に多大なる影響を与えた映像感覚とはどういうものだったのかを知るには最適な作品です。
画像
 これが誰かのマネに見えたり、陳腐に見えるとすれば、それはこの映画でのジャン=ピエール・メルヴィルの演出、そしてこの映画に影響を受けたヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの作品に魅了され、それらを模倣したクリエーターたちが使い回したために起こってしまった悲しい誤解に過ぎず、現在の観客から見れば、なんとも古臭く感じるようになってしまったのは不幸なことです。  脚光を浴びる作品があったとしても、観客やマスコミが新しいと思うことでも、既に同じアイデアを提案していた者が10年以上前にいたというのを知ると、それは現在にも通じることでしょうから、無意味な宣伝等に惑わされずに、つねに新鮮な眼で作品に接する必要があるのだと改めて思いました。  特に見ておくべきなのはこの映画は戦争を扱ったもので反戦映画のジャンルに入るのでしょうが、観客に分かりやすく訴えかける戦闘シーンはまったくありません。  それでも演出の素晴らしさにより、戦争や侵略者への憎悪や緊張感はかなり重苦しく全編通して伝わってきますし、それだけではない敵同士で分かり合えても国家という枠組みの中では何も出来ない無力感ややるせなさなど飽きることがありません。こういうテーマはジャン・ルノワール監督の『大いなる幻想』でもお馴染みかもしれません。
画像
 派手なシーンがないので、現在のエキサイトメント場面を10分に1度くらいは持ってこないと集中を維持できない人にはつらい映画でしょうし、「おもしろくない!たいくつだ!」と子どものような感想しか言えないのでしょう。  じっくりと映画を見る余裕から理解力が広がるのがこの作品です。台詞ではない映像に込められた感情の起伏を味わえる名作です。もしこの映画が1947年の公開当時に日本でも上映されていたならば、多くの才能を輩出できていたに違いありません。  たらればを言ってもなにも始まりませんが、そう思うと残念な気持ちでいっぱいになります。 総合評価 90点