良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ワイルドバンチ』(1969)西部劇の伝統とハリウッドのコードに風穴を開けた渾身の一撃。

 今まで古今東西の多くの映画について、色々と好き勝手なことを書いてきているものの、なかなか書き出せない作品がまだまだ数多くあります。  『市民ケーン』『地獄の黙示録』『キングコング』『ゴッド・ファーザー』『七人の侍』などはなんとか捻りだして、一応はブログ記事としての形にはなりました。  今回、採り上げたサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』も気にはなりながらも、ずっと書けていなかった作品の一つで、この西部劇映画を最初に見たのはたしか小学生か中学生時代のテレビ放送でした。
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 大阪の新世界を舞台にした漫画の『じゃりん子チエ』で、チエちゃんの親父のテツが戦ったボクサーの名前がたしかワイルド蛮地で、そのネーミングにニヤリと笑った思い出があるので、たぶん中学生になるかならないかの頃だったのでしょう。  その後は大学生の頃にあちこちに出来つつあったレンタル・ビデオ屋さんで借りてきたのを仲間とビールを飲みつつ、真夜中にヘロヘロな状態で見ていました。社会人になってからはBSやCSで数回は見ています。  西部劇から受ける基本的なイメージは古き良き時代やフロンティア・スピリットへの回帰と憧憬、白人とインディアンだったり、保安官と悪党集団の対比だけで成り立つような単純で分かり易い勧善懲悪の爽快感でしょうか。
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 多くの映画の劇中劇で引用される、ジョン・フォードの『荒野の決闘』『駅馬車』で思い出すような単純明解さや『シェーン』で見られるハートフルさは見ていて楽しいものでした。のちの映画に引用されるということはそれほど多くの人々の記憶に残るような有名作品であることを意味します。  しかしわが国の時代劇がだんだん廃れていったように物足りなさを感じていた観客は『荒野の用心棒』『続・荒野の用心棒(ジャンゴ)』などのマカロニ・ウエスタンの過激な作品を求め、支持するようになってきていました。  そんな従来のスタイルに引導を渡したのが『ワイルドバンチ』でした。そのため好みははっきりと分かれてしまい、淀川さんや双葉さんはたいそう嫌っていた覚えがあります。そもそも西部劇にしろ時代劇にしろ、格好は古臭いわけですが、中身は現代劇と変わりはなく、風刺的な様相が強い。
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 冒頭で子どもたちは恐竜のような数匹のサソリを圧倒的多数の赤い獰猛な蟻たちの巣の近くへ放り込み、蟻たちが防衛のために襲い掛かるのを楽しそうに、サディスティックに眺めている。サソリがなんとか応戦しているときに彼らはもう飽きたのか、蟻もろとも火にかけて、焼き殺していく。  天使のような笑顔で生命を殺めていく様子は気味が悪い。神の意志で相容れない別の種を戦わせて共倒れさせようとしているというのは神にとっては善も悪も何にも関係なく、気ままな思いつきに過ぎないというメッセージなのでしょうか。  宗教を信じる者と自己中心的な強盗団、賞金稼ぎ、鉄道公安やメキシコ軍、メキシコ住民らが同じ画面の中に存在しているのは雑然と感じるが、リアルでもある。生き方はそれぞれで探すものであるが、銃撃戦のすぐ後に子どもたちが何も考えずに銃撃戦ごっこをしているのは異様に映る。  過激なイメージが強いこの映画では“死のバレエ”と形容される残虐な暴力描写や殺害シーンでのスロー・モーションの使い方が話題になったためか、そこばかりがクローズアップされる傾向が強い。
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 あまりにも凄まじいシーンばかりだったので与えたインパクトは強烈でした。ただ当然ながら、この映画にはそれだけでは語りきれない素晴らしさがまだまだありますので、今回はじっくりと向き合おうと思います。  古い価値観と新しい価値観の対立の狭間には違うベクトルも存在します。橋渡しをするような過渡期的な生き方がそれで、当時のアメリカでは強盗団で暴れるのもそうした行き場のない無法者にとっては生きていく方向性のひとつだったのでしょう。  1920年代の禁酒法時代にはより経済化及び組織化されたアル・カポネデリンジャーに代表されるマフィアやギャングが蔓延りますので、ワイルドバンチのような強盗団が悪党として暗躍出来たのも1910年代の半ばまでだったのでしょう。  他人の生命などなんとも思わず、目的のためには手段を選ばない彼らはいつの時代の価値観に照らし合わせても決して模範とはなりえない。ここらへんもアメリカ軍や政府の意向を汲んできたハリウッド上層部としてはあまり良い顔は出来ない。
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 女子供や信心深い礼拝者たちでも自分たちの盾として使い、平気で巻き添えにして射殺するような荒くれではある。そしてたとえ仲間であろうと使えなくなった者は禍根を残さぬよう彼らなりの論理で殺害することもある。  しかしそんな彼らでも仲間意識が非常に強く、他者からの攻撃に対しては団結して対決していく。ヒロイックな無頼であり、ただのろくでなしでもある。  とらえどころがなく、一般論で語れないからこそ魅力的なのかもしれません。彼らも薄々には自分たちの時代は体力や判断力の低下とともに終わりが近づいているのを理解していて、派手に殺し合っているのだが、常に相応しい死に場所を探しているようにも見えます。  地獄絵図が描かれる前の長閑な街では神父による説教があり、街に繰り出してのパレードが続くなか、静寂を破る銃撃戦で幕を開けるこの作品は最初の段階で見る者を選ぶが同時にその作品世界に有無を言わさず引き込んでいく強い力を持つ。
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 いきなり多数の善良な市民を撃ち殺すシーンは来たるべきラスト・シーンがより凄惨な修羅場になるであろうことをも暗示している。  この強烈な賞金稼ぎたちとの死闘と彼らからの逃亡のあとは後半への繋ぎとなる列車強奪と国境の橋の爆破までの一時間弱を彼らの人物描写に費やすため、比較的ゆったりとしたペースで作品が進んでいく。列車強盗というのも時代を感じます。  オープニングとラストに二度ある壮絶な銃撃戦はたしかに印象的ではありますが、個人的にはその間に挟まれているメキシコの集落でのほんの束の間の平和な時間と国境沿いの橋を爆破するシーンの方がなぜか惹かれてしまう。
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 カットバックで強盗団、賞金稼ぎ、アメリカ軍の三者が交互に登場するこのシーンでは古典的ではありますが効果的にサスペンスを高めていく。車輪が落ち込み、銃撃を受け、ピンチに陥るもののそこは映画らしく、観客をハラハラさせながら、中間部の盛り上げどころを作っていく。  賞金稼ぎが橋の真ん中まで来たときに数箇所で爆発が起こり、橋が落ち、人馬もろとも川の大きな流れに飲まれていくシーンはこれだけでも一本の映画の見所として成立するほどの迫力がありますので、いかにこの映画が贅沢に監督の思い通りに製作されていたのかが分かります。  サム・ペキンパーは言うことを聞かない監督らしく、自分の美学を追及していきました。結果、この映画は多くのファンを生み出し、今でも愛されているわけですから、現在の監督たちにもぜひやりたいようにやってもらいたい。ネット配信という手もありますし、手段はあるのではないか。
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 そしてついにやってくるのが映画史上に残る“死のバレエ”と呼ばれる壮絶な銃撃戦です。自らの死に場所を求めるように、敢えて勝ち目のない戦いに臨む時代遅れになりつつある強盗団たちの死の舞に巻き込まれていくメキシコ人たちもまた舞台を盛り上げる重要な要素なのです。  “ジャンゴ”に出てきたような一撃必殺の新兵器である機関銃が唸りを上げ、互いの血飛沫がスクリーンを覆い尽くし、阿鼻叫喚が辺りにこだまする。  血の臭いがするスクリーンを観ると、見ていられる人とそうでない人とがはっきりとわかれたのではないでしょうか。機関銃の無差別な射撃により、女も子供も老人も若者も多くの人々が強制的に息の根を止められていくか、もしくは撃ち殺す側に回る。
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 綺麗事ではない死の表現が潔く、なぜか美しい。女はともかく、小さな子供にライフルを持たせ、強盗団を射撃させるなどは普通では考えられない描写であり、宗教や子どもの虐待などはもってのほかのハリウッドのコードを軽く飛び越えてしまったサム・ペキンパーは予定調和に満足できなかった若い映画ファンの熱狂的な支持を得ました。  しかし代償は大きく、雇い主からすれば、トラブルを背負い込むリスクを覚悟しなければならない扱いにくい監督という評判が仇となり、『ゲッタウェイ』『わらの犬』など名作は多いわりにはついにメイン・ストリームとはなりえませんでした。  俳優の魅力でいえば、アーネスト・ボーグナインが強く印象に残ります。彼を映画で見たのは『マーティー』が先でしたので、この『ワイルドバンチ』での荒くれ者を見ていても、どこか良い人の臭いが漂ってはいました。しかしあらためて考えていくと、悪党だから頭から足の爪まで悪いわけではなく、人間臭い部分もあるわけですから、かえって彼の人の良さが恐ろしく見えてしまう。
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 行き遅れたロバート・ライアン(ソーントン)もとても切ない。すべてが片付いてしまったあとに、遅れてやってきて、かつての仲間の無残な姿に肩を落とす彼はまさに敗残者でした。  ウィリアム・ホールデンが演じたパイルの哀しみを理解するには最低でも40歳を越えねばならない。体力は衰えてきているのを自覚しつつも認めたくないプライドが人生の道を誤らせる。彼の生き様や死への軌跡を見ていると、つらくなってくる。  息抜きになるのはベン・ジョンソンウォーレン・オーツが演じたゴーチ兄弟で、売春婦への支払いで揉めたり、酒を回し飲みするときでもコケにされたり、ワインの樽に発砲して浴びるように飲みつくし、終いには売春婦と共にワイン風呂に入ってしまう。
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 エドモンド・オブライエン(サイクス)も良い味を出していて、強盗団のなかで唯一誰も殺さずに生き抜き、打ちひしがれたロバート・ライアンをメキシコ人たちとの新生活に誘い出す。  主要キャストのなかで目立っていたのがハイメイ・サンチェスが演じたエンジェルで、なんだかキース・リチャーズのような格好をしたマラドーナにも似た彼が一味にいるのが現実味がある。  アメリカでは時代遅れになりつつあった彼ら強盗団ではあるが、隣のメキシコでは内戦の真っ最中なので、いよいよこれからが動乱の時代ですので、彼の存在は必要だったのでしょう。
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 登場人物の絡み合いで不満だったのがアルバート・デッカーが演じたハリガンに活躍がまるでなく、物語の序盤では重要な役どころに見えたのに後半になると一度も姿を現さずにそのまま終わってしまう点でした。オリジナルの脚本ではどうなっていたのでしょうか。  出番が少ないのに強烈なインパクトを残したのがボー・ホプキンスが演じたクレイジー・リーでした。すぐに死んでしまうのにあの存在感と眼力は素晴らしい。サム・ペキンパー作品にはちょくちょく出てくる彼ですので、もうちょっと目立たせて欲しい俳優さんでした。
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 その他印象に残ったのがラスト・シーンで、悲惨な、しかも本望であろう最期を遂げたウィリアム・ホールデンの腰にカメラが寄り添っていく先に御守りのように腰に差されたままの拳銃でした。  古臭いこの拳銃は劇中一度も抜かれることはなく、持ち主の死後もそのままになっている。追い剥ぎと化す賞金稼ぎたちですら手を出さない時代遅れの産物にしかすぎないこの拳銃を後生大事に抱えているのが憐れみを呼び起こす。時代の流れに順応出来なかった男たちをこのカットが象徴しているように思えました。  総合評価 92点