良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『情無用のジャンゴ』(1966)残虐描写で悪名高いマカロニ映画表現の極北。

 これまでに、いったい何本くらいマカロニ・ウェスタン映画が撮影されたのかは定かではありませんが、そのなかには『荒野の用心棒』『ジャンゴ』のように名作として後世に残るものがある一方で、誰にも顧みられることなく、映画会社の倉庫に埋もれ、フィルムが散逸してしまったものも多いでしょう。  さきほど“ジャンゴ”と書きましたが、ご存じのように『DJANGO』には『続 荒野の用心棒』という縁もゆかりもない邦題がつけられています 。
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 マカロニ作品に限らず、西部劇にはたいがい“荒野”“決闘”“用心棒”“無頼”“ガンマン”などとともに“ジャンゴ”という言葉が入ったタイトルがつけられているものが多い。  それだけこれらのワードが観客に西部劇やマカロニ風味の言語として認知されていることの証拠なのでしょう。イタリアでの公開当時はこの映画のオリジナル題は『SE SEI VIVO SPARA』、訳すと「生きているなら撃て!」、リバイバルのときは『ORO HONDO』、同じく訳すと「深い金」となります。
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 オリジナルとリバイバルで名前が違うのは、おっちょこちょいが間違えて、もう一回同じ映画を見させるための姑息な手段でしょう。ところが、すでにイタリアだけで二つも名前があります。  それに加えて、英語版では大ヒットした『ジャンゴ』の人気にあやかって、映画のプロモーションをやりやすくするためか、この映画に『DJANGO KILL! IF YOU LIVE SHOOT』というまるで続編かとの印象を観客に誤解させるようなゴマカシの題名になっています。
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 邦題ももちろんこれを倣い、『情無用のジャンゴ』というタイトルがつけられています。シリーズ映画でもないのに「ジャンゴ」には他に『皆殺しのジャンゴ』『血斗のジャンゴ』という映画もある。  いったい自分が昔見たのはどのジャンゴなのだろうとか、どの荒野なのだろうとか、またはどの用心棒なのだろうとか混乱させられる。イタリア製作が基本なので、売れりゃなんでもいいのでしょう。
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 『荒野の用心棒』は黒澤明の『用心棒』のパクリ映画として知られていますが、この作品のストーリー展開や場面の描写(主人公が名無しの権兵衛だったり、お墓が出てきたり、街並みの様子が宿場に似ていたり、主人公がボコボコに拷問されたり、山田五十鈴のような因業ババアが出てくるところなど。)もけっこう似ています。  また10大残酷シーンと呼ばれた、見世物描写でも話題となった作品です。しかしながら公開当時にノーカットで上映出来たのは暴力描写の規制が弛かった日本くらいだったと言われています。10大残酷シーンとは具体的にどのシーンのことを指すのだろうか。
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1 人種差別が原因となる、ならず者同志の内ゲバによる処刑 2 金を独り占めしたはずの強盗たちがさらに残忍な地獄の街の連中に銃撃戦の末に吊し首の私刑を受けるシーン 3 金の弾丸を全身に浴びたならず者を治療するはずの医者たちが金を我が物にするために半死半生の彼の腹を切り刻んで絶命させるシーン
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4 馬にダイナマイトを巻き付け、木っ端微塵にして、飛び散った臓物を激しいカット割りで見せつけるシーン 5 ホモ・セクシャルの関係を黒シャツ隊と持ったのち、美青年レイ・ラヴロックが恥じを知り、誰に告げることもなく静に自殺するシーン 6 まるでイエス・キリストになぞらえるかのように死から甦った主人公が拷問の苦難を受けるシーン
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7 主人公の仲間のインディアンが頭の皮をナイフで剥ぎ取られて、血飛沫を上げながら絶命するシーン 8 欲張りの街の名士がこっそりと隠しておいた金塊を火事の真っ最中に無理やり移動させようとして、業火の高熱で溶けた金塊を頭から浴びて、絶叫して死んでいくシーン  とここまで書いてきて、あとの二つは何だったのだろうと思い巡らせると、おそらくは最初の軍隊襲撃シーン、墓暴きシーンが入ってくるのかなあという感じです。今の映画ファンの目からすると、もっと直接的な残酷描写や暴力場面を見慣れてしまっているので、過度に期待すると肩透かしを食らうことでしょう。
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 この映画はただただ残酷描写やホモ・セクシャル描写だけのモンド映画かと思われがちではありますが、シュール・レアリズム作品としても名高い。真っ白な殺伐とした砂漠で展開される粛清場面がトーマス・ミリアン之フラッシュバックで回想されている。  純粋な人間として描かれるレイ・ラヴロックを性的に嬲り者にするのが黒シャツの若者たちですが、イタリア映画だということを考慮に入れると、おそらく彼らはファシストの象徴でしょう。ムッソリーニファシスト党の制服が黒だったこともあり、彼らは黒シャツ隊と呼ばれていました。不自由や抑圧の象徴がファシズム表現でしょうから、彼は死を持って娑婆からの逃亡を図ったのでしょうか。
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 軍隊が運んでいた軍資金を略奪するほどのならず者だったはずの主人公(トーマス・ミリアン)が仲間割れから処刑されて、インディアンの儀式(?)で復活してからは、ミリアンは自分を名乗ることも主張することもなく、金銭欲も失くしてしまっている。  ただし性欲と復讐心はすこぶる健在で、彼岸まで行って舞い戻ってきたのに人妻とすぐに不倫関係に陥るし、かなり女々しい。また復活したのに意志は弱く、ちょっと拷問されるとすぐに口を割ってしまう。
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 主人公に名前がないのも特徴のひとつで、流れ者としてしか呼ばれないし、自分から名乗りもしない。一度死んで復活しているという設定なので、名前という概念を必要としないということなのかもしれません。  ストーリー展開はキリスト復活を明らかに意識していますし、ベルトリッチの編集者だったフランコ・アルカッリを脚本と編集に起用し、彼に出来上がりを任せたために、独特なリズムと構成の妙を得て、マカロニの極北の地位を不動にしています。
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 サブリミナルのような激しいカット割りやアングルが独特なので、奇妙な雰囲気が漂う。地球上のどこかではなく、地獄の様子を見る感じに仕上がっています。感情が昂っていくシーンでは台詞ではなく、カット割りの激しさで彼の激情を表現していきます。  残酷描写も、もちろん今の目で見れば、いかにも真っ赤な血糊は滑稽に映るかもしれませんし、唐突な場面の繋がり方に違和感を覚えるでしょう。因習的というか、ハリウッド的な場面の繋ぎ方をしていなかったために歴史に埋もれることなく生き続けられたのかもしれません。
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 それ以外にもあまり語られることもないでしょうが、イヴァン・ヴァンドールが付けた音楽はエンニオ・モリコーネとはまた違った魅力に溢れる印象的な旋律で、かなりレベルが高く、個人的には気に入っています。  ただ、こういったマカロニ・ウェスタン映画は評論家先生や自宅のソファーにふんぞり返って、斜に構えてあら探しをする者にはすこぶる評判が悪いでしょう。しかし、こういったマカロニなどの娯楽作品は朝から晩まで働いて、ムシャクシャしながら家に帰る前の労働者たちが憂さ晴らしをするため、ほんの二時間でも嫌なことを忘れてしまうために作られた映画だったはずなのです。
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 そのために分かりやすい残酷描写が必要だったのでしょう。もともとがゲテモノという評価か、反対に物好きたちによってカルト作品として崇められるかという極端な意見ばかりになってしまったのは不幸です。  1960年代後半、『俺たちに明日はない』以降の残酷描写規制が緩和されたアメリカですら、ノーカットで上映されることがなかったほどに徹底的に悪趣味に徹しているさまからは牧口雄二の『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』を思い出す。
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 ベトナム戦争での残酷なニュース映像に馴らされてしまった一般大衆が求めたのは更なる刺激だったのでしょうか。残酷描写はその後『悪魔のいけにえ』『スナッフ』『ラストハウス・オン・ザ・デッドエンド・ストリート』などで頂点を迎えていましたが、西部劇というジャンル映画でのスプラッターの極北がこの『情無用のジャンゴ』だったのでしょう。  10年ほど前までは昔のVHSで見ても、残念ながらアメリカ編集版しか残っていなかったようで、例の残酷シーンのうち、インディアンの頭皮剥ぎシーンや金の弾丸を強奪するために内臓に手を突っ込むシーンなどがカットされていましたが、今回のDVDにはめでたく収録されています。  ただし英語字幕で見るとカットされていた場面は英語音声が収録されていませんし、同様に日本語吹き替えもカットされていた場面には何も吹き替えがないので、オリジナル言語であるイタリア語音声での視聴が一番見やすいでしょう。 総合評価 78点