良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ウィラード』(1971)ベン、ウィラード、ソクラテス。人間は誰?

 『ウィラード』について話すには『ベン』のことも触れねばならないでしょう。『ベン』といえば、なんといってもマイケル・ジャクソンです。晩年はまるでウィラードのような奇行がメディアを賑わし、古くからのファンを心配させていましたが、マイケル・ジャクソンのキャリアは1960年代まで戻ります。  まだ可愛らしく、アフロヘアーが似合う少年でジャクソン・ファイブにいた頃に歌った大ヒット曲『ベンのテーマ』はこの『ウィラード』の続編映画『ベン』の主題歌である。  そしてウィラードというのは主人公ののび太くん、またはちびまる子に出てくる藤木くんのような気弱な青年(ブルース・デイヴィソン)の名前であり、獰猛な黒ネズミの名前がベンなのです。ちなみにもう一匹出てくる白ネズミの名前はソクラテスです。劇中では ソンドラ・ロックとのギクシャクした恋愛も描かれています。
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 有名なのはネズミたちが人間に襲い掛かるシーンなのですが、基本的には上映時間95分のうち、根暗なウィラードの日常の描写に大半の時間(80分間以上)を割き、パニック映画になるのはお金持ちの寝室を襲うシーンとボーグナインを襲わせる場面、そしてネズミたちを裏切ったウィラードがベンたちに粛清される場面となります。  物事を単純化して、キャラクターを暗喩的に表すと、ベンは黒人の友達で、ソクラテスは白人の友達なのでしょうか。理知的な平和主義者のソクラテスと彼よりもラジカルでブラック・パンサー的なベンは人間ウィラードも交えて、最初は上手くやっていきます。  しかしながら、友好関係はもろくも破綻し、ベンは最終的にソクラテスを見殺しにして、復讐を遂げるとベンらネズミを裏切ったウィラードをも抹殺してしまう。動物パニック映画として見ていくと、『ベン』でのスーパーマーケットの食品売り場を大群で襲うシーンなどの方がより動物モノらしくはある。
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 実際、このシーンでの闇夜に蠢くドブネズミどもがただただ不潔極まりなく、気持ち悪い。少数では迫力もないでしょうが、あまりにも多いので、異様な恐ろしさを醸し出している。ただ『ウィラード』では単なる動物としてではなく、黒白ネズミを人種に当てはめると違った感じに見えてくる。  70年代前半という時代は夢や希望が無くなってしまい、より権利や原理を主張し、どんどん住みにくい世の中に変わっていく分岐点でもあるように思います。  ウィラードの人間世界での立場は非常に弱く、会社を乗っ取ったアーネスト・ボーグナイン(権力を持つ企業側の人間の象徴。)にずっと格下に見られています。
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 父親が設立した会社をかつての共同出資者(ボーグナイン)に乗っ取られ、この会社に入社するも常に馬鹿にされたり、あからさまな嫌がらせを受けながら働き、残業代も昇給も得ることなく、自分が持つ家までも彼に奪われようとしたウィラードには一人も友達がいない。  絶望的な人生で、彼を支えてくれたのはネズミたちだけというのはかなり悲惨です。この映画ではネズミですが、これは猫であってもいいし、犬であってもいいし、熱帯魚であっても構わない。つまりペットしか心を許せる存在がないという状況は現代日本の都会では別に珍しいことではない。行き過ぎると人生を棒に振るという点でも同じかもしれない。  それでは家庭はどうかというと、彼にとっては悲劇的なことに安らぎを得るはずの家庭環境もまた歪んでいて、『不意打ち』のオリヴィア・デ・ハヴィランドのような愛情過多で歩行困難の老母が彼の精神を縛り付けている。60年代以降の典型的なママに溺愛された一人っ子家庭が描かれています。
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 彼ら親子の関係性や状況を端的に象徴するのがウィラードの誕生会場面であり、この場には彼の友人は誰一人おらず、母親の知り合いやお節介で財産目当ての醜い叔母しかいない。  友達がいないウィラードだったが、たまたま彼の家に住み着いたネズミたちに餌を与えることで、クインシーらのネズミを飼い慣らしていく。  なかでも知能が高いベンやソクラテスらネズミたちをさらに訓練して、自宅の地下室に彼のネズミ王国を作る。オタクの城ですが、彼はフィギュアを集めたり、アイドルを追いかけたりせずに、まるでたまごっちやシム・シティを楽しむような感覚で大量のネズミたちを繁殖させて、徐々に危険な道具に仕込んでいく。
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 イタズラ好きなベンはともかく、おとなしくて賢いソクラテスを友達として扱っていたウィラードでしたが、会社にまでネズミたちを連れていったことが原因で悲劇は起こる。  他のスタッフに見つかってしまったベンとソクラテスはボーグナインに攻撃され、仲良かったソクラテスは彼に突き殺されてしまう。復讐に燃えるウィラードとベンはボーグナインを殺害するが、ウィラードは散々ネズミたちを利用した後に彼らを見捨てて、自分だけ逃亡する。  なんとか地下室に戻ったベンではあったが、ウィラードが自分を殺そうとして、殺鼠剤を混ぜた餌に気付き、彼の意図を察する。明らかな裏切りに怒ったベンは地下室に彼を誘導し、集団で襲いかかる。死に絶えようとするウィラードを見つめるベンのアップで映画は終了する。
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 誰も救われない陰鬱なストーリー展開はアメリカン・ニュー・シネマの流れなのだろうか。途中でソンドラ・ロックとの淡い恋愛模様が綴られるが、恋は成就することなく、悲惨なエンディングを迎えます。やはり今見てもボーグナインやウィラード(ブルース・ディヴィソン)に群がる大量のネズミはかなり気持ち悪い。  ウィラードの人間世界での立場は陽炎のように弱く、確立されたものではない。たとえ被害を受けているのが自分の友達であっても、場合によっては消極的にでも虐めに加担するような根が暗く、意志が弱いのが彼の性分です。  70年代ならば、ウィラードという人物は特異で感情移入出来ないようなキャラクターだったのかもしれませんが、現在社会においては職場や学校で酷い虐めというオブラートに包まれた精神的及び肉体的な暴行などの犯罪行為を受けている犯罪被害者にとってはむしろ共感を得られる時代になっているのではないか。
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 ネズミやウィラードらのちっぽけな存在は虐げられてきたマイノリティの暗喩だろうから、当時と現在では作品の見方も変わってくるだろう。単純に動物パニック映画の亜流にすぎないという方もいるでしょうが、ヒッチコックの『鳥』からは随分と時間が経っているし、1975年の『ジョーズ』まではまだ4年も先なので、一概に動物パニックのひとつに加えるのもどうかと思います。  まあ、深読みしすぎかもしれません。作品で鮮烈に覚えていたのはアーネスト・ボーグナインブルース・デイヴィソンがベンたちに喰い殺される場面となんといってもボーグナインの驚きと恐怖の表情でしたが、30年以上経って見直したときに、実はこれらのシーンは後半の10分間程度に過ぎなかったことに気づかされました。  それまでは暗く、陰鬱なウィラードのすえたようなカビ臭さ、全身を覆う孤独と絶望感に溢れる日常生活を90分間近くも見続けなければならない。
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 ネズミの不衛生な不潔感も耐えられないが、彼の絶望的な人生を凝視するのもかなりの苦痛を伴います。これに比べると、人形劇の舞台にベンを登場させる少年との純粋な友情を描いた『ベン』の方が見やすいかもしれない。  ただホラー映画としての出来は圧倒的に『ウィラード』が上回るのも事実です。だって今でも薄気味悪いのだから。 しかし、この頃の動物パニック映画について驚嘆するのはCGのない時代に動物たちをどうやって調教して、演技をしているように動かしたのだろうかということです。  『ウィラード』『ベン』、そして『フェイズⅣ 戦慄の昆虫パニック』などを見ると、本物を使っているのがはっきりと分かります。根気と体力と熱意の賜物をただのB級映画とは言いたくない。見た方ならば理解してくださるでしょうが、人間の言うとおりに演技をしているように見えるネズミたちの薄気味悪さは尋常ではありません。  なかでもベンが友人だと思い、甘えていたウィラードに裏切られたことが原因で敵意を露にする場面でのベンの顔の表情の変化には驚きます。
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 しかし残念ながら、現在この作品は国内ではDVD化されてはいませんので、日本語版を見たい場合は馬鹿高いVHSを落札するか、リメイク物でオリジナルの雰囲気を少しでも味わうかしかありません。  DVDが発売されない理由ははっきりしません。マイケル・ジャクソンの取り巻き連中が楽曲使用権を巡って、強引で欲張りなチャチャを入れてきそうな続編『ベン』はともかく、このオリジナルである『ウィラード』はゼロ年代に陰鬱な雰囲気でリメイクされているくらいなのですから、そのタイミングで廉価版で誰でも普通に楽しめるようにしてくれて、しかるべきだったのではないだろうか。  ちなみにベンで検索しても、マイケルのシングル盤『ベンのテーマ』かデミルの図体ばかりデカい大作『ベン・ハー』ばかりで、まったくこちらが見たい映画『ベン』にはヒットしません。
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 ただし楽しむとは言ったものの出てくるのはドブネズミの大群ですので、さすがに食事中には気持ちが悪いですし、腐った内臓が飛び散るロメロの『ゾンビ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』よりもデートには向かない。  この頃に若かったカップルたちはいったいどんな映画を観たのだろうか。70年代を語るときに出てくる映画はどの作品を観るにしてもどこかほろ苦いし、能天気に楽しめるという雰囲気ではない。  現在のカップルたちが当時の環境にタイムスリップしたとして、どれくらいの時間であの時代に順応できるのだろうか。当時の若者が現在にやってきてもすぐに馴染めるだろうが、温室育ちの現代っ子には60年代は過酷過ぎるでしょうし、行く先々で常識の無さから揉めるであろうことは目に見えている。
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 それはともかく、ぼくはもともとネズミが大嫌いでミッキーマウスですらあまり受け付けられないので、あんまり何度も見たいという作品でもありません。しかし、いくらなんでもレンタル落ち中古VHSが9800円は高すぎる。  となると北米版DVDを探して、PCで視聴したほうが安上がりかも知れませんが、小さい画面で見ると、相手はもともと小さいネズミなので、黒い点でしかなくなってしまいます。  なので、今回ぼくは日本語版ビデオを久しぶりに見ることが出来ましたが、ホラー映画ファンのためにも、なんとか国内版DVDをリリースしてほしい。出来れば、『ベン』とペアでのツイン・パックであれば、両方の作品の雰囲気の違いも楽しめるので、有意義なDVDボックスになると思います。
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 続編『ベン』では人間たちとの激しい闘争ののちにベンは重傷を負い、少年の部屋にたどり着き、彼に助けを求めるシーンからのアップで終了します。果たしてベンは生き残れたのだろうか。  どっちにしろ、『ウィラード』と『ベン』の両方が揃いも揃って、ドブネズミの顔のアップでラストを迎えるというのはかなり気色悪いので、実際に映画館まで観に行った人たちはどういった感想を持ち、どういった余韻で映画館を後にしたのだろうか。  またもし場末の汚い映画館でリアルのベンたちが這い回っている環境だったなら、気持ち悪さが倍増したことでしょう。ぼくにとっては『オーメン』や『呪怨』よりも地べたを這い回るドブネズミのほうがリアルで気味が悪い。
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 ヤツラは中世ではペストを蔓延させ、近代では腸チフスなどを流行らせました。731部隊もヤツラを使って、伝染病を流行らせようという実験を大陸でしていたようです。  『ウィラード』の後を受けて製作されたのが『ベン』ですが、大魔神シリーズと同じで、小学生の頃に見てから30年以上は経っていたので、二作品の物語と映像がゴチャゴチャになっていて、記憶が正しいかどうかは疑わしくなっていました。  数年前に一度、英語版を見ましたが、台詞のニュアンスの問題もあるので、記事にはしませんでした。今回は知り合いがこれを持っていたという僥倖のおかげで、日本語版VHSを手にすることが出来ました。
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 それはさておき、ネズミは昔も今も不吉な象徴ですので、ジェリーやミッキーマウスがいくら笑顔を振りまいても、ちっとも可愛いなどとは思わない。またカピバラというデカイのも無理だ。たまにカピバラに似ているオッサンを電車で見かけたりします。噛まれそうなので、そばに寄って欲しくない。  インディーズの雄、ウィラードもマイケルの次に多くネット検索でヒットします。懐かしいなあと思いつつ、ついついどんなのが出品されているのかなあとあてもなくチェックするのもなんだか楽しい。  ラフィン・ノーズや有頂天とともに80年代中盤のインディーズを牽引してきたウィラードでしたが、今はどうしているのだろうか。ラフィン・ノーズはまだ現役で地方のライブハウスを転々と回っていますし、有頂天のリーダーだったケラはケラリーノ・サンドロヴィッチ(だっけ?)として演劇界で活躍しています。
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 それだけにメジャー・デビューする前はもっとも人気が高かった彼らがまったく音沙汰がないのは華やかな時代を知っているだけに少々寂しい。  ウィラードというワードを検索すると、ぼくにとってはなつかしの映画とバンドがヒットするというのが分かったのは楽しい出来事でした。また、今回もしっかりとオヤジらしいオヤジのアーネスト・ボーグナインが出ているのもポイントが高い。ぼくが見てきた映画には結構高い確率でボーグナインとジョージ・ケネディが出演しています。なんでだろう?  この作品での彼は脂ギッシュで、雇っているオバハンOLに手を出すようなオッサン役でとても憎々しい存在として映画の世界に君臨していますが、ネズミたちの圧倒的な数の前に為すすべなく、ビルの窓から飛び降りて死に絶えます。しかも取り付いたネズミたちは屍骸となったボーグナインを喰い続ける。 総合評価 70点