良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ベン』(1972)ベンと少年の心の交流と残酷描写が同居する奇妙な続編。

 前作『ウィラード』が予想以上にヒットして多くの観客を動員したためか、翌年の1972年には早速、フィル・カールソン監督による続編『ベン』が公開されました。  『ウィラード』のラスト・シーンであるベンたちによるウィラード粛清場面から始まるこの映画は一夜でアーネスト・ボーグナインブルース・デイヴィソンがネズミに食い殺されたことをショッキングに書き立てるマスコミの取材と警察のやりとりを通して状況が語られていく。  ストーリーに救いがなく、とても陰鬱な終わり方だったオリジナルの『ウィラード』との相違点は心優しい少年(リー・ハーコート・モンゴメリー)とベンの純粋な友情、そしてより攻撃的になったネズミたちによる人間襲撃シーンの増加でしょう。
画像
 友情についてはウィラードもソクラテスを親友扱いしていましたが、彼らに餌を与えることを条件におのれの歪んだ怒りを発散するために利用しようというずる賢い大人の打算が見え隠れしました。ウィラードにも友人はいませんでしたが、彼には邸宅という遺産(実際は母親の死後に彼女が生前に借金を重ねていた事が発覚し、ほぼ無一文になり、会社も追い出される。)があり、身体的欠陥はありませんでした。  一方でこの映画の少年モンゴメリーは心臓病の持病があり、学校にも満足に通えず、友達もいない。彼の気を紛らわせるのはピアノと人形劇舞台でした。そんななかで、前作の『ウィラード』と同じように餌付けが上手く行ってから、彼の唯一の友人となったのがベンです。  ウィラードに裏切られて、人間不信に陥ったはずのベンですが、彼は根っから人間が好きなようで、前回同様に餌付けされていく。この作品でのベンも黒人少年、もしくは異人種のメタファーなのでしょう。
画像
 モンゴメリー少年は心優しくナイーブで彼らを利用しようなどという気持ちはまったくない。子どもとベンの友情がメインの作品であり、見た後は心が暖かくなるのですが、不思議なことにネズミたちによる残酷な人間襲撃による犠牲者は続編である『ベン』のほうが圧倒的に多い。  それでもこちらの作品がどこか暖かく映るのは主人公役のリー・ハーコート・モンゴメリーが持つ雰囲気のおかげでしょう。そしてもうひとつ、決定的に暖かい雰囲気が漂うようになったのがマイケル・ジャクソンがこの映画『ベン』のために歌った、その名もずばりの『ベンのテーマ』によるものです。  ベン 君こそ 僕の求めていた友  お互いに惹かれあい 本当の友だちになった  もうひとりじゃない  心を許し合える 友だちがいるから  君は生涯の友  ベン 君はいつも人の目を逃れ  行き場所のない君  過去を振り返っても いやな思い出ばかりだろう  でも 忘れないで  ベン 君にはぼくがいる  いままで ずっと ひとりぼっちだった  でも 今は違う 君がいるから  ベン みんな 君を嫌うけど そんなことはかまわない  ぼくは本当の君を知っている みんなにも分かって欲しい  暖かい目で見てくれたら  ベン 君の素晴らしさが分かるのにね  劇中でも、少年がピアノの弾き語りをしながら、スロー・テンポで楽しそうに歌うこのナンバーの存在があまたの動物パニック映画と『ベン』とで一線を画す要因になっている。
画像
 ホラー映画ファンからすると、この映画でもっとも不満なのがこの歌かも知れない。せっかくの都会的動物パニック映画がこの歌のハート・ウォーミングな破壊力によって、一気にお子さま向きにシフトされてしまうことに苛つくでしょう。ただ、もしこのマイケル・ジャクソンと主人公の少年がこの歌を歌わなかったら、前作よりも輪をかけて気持ち悪いだけの不潔な映画という印象しか与えられなかったかもしれません。  もちろん映画の出来自体だけで判断するならば、『ベンのテーマ』は必要がないという意見もあるでしょう。でも二作続けて陰鬱な気分で映画館を後にしたくはないでしょうから、劇場でこの映画を観る人には必要なテーマでした。  公開から随分と時間が経ってから、家庭用ビデオやテレビで見てから、罵詈雑言を好き勝手にしゃべるだけならば、オリジナルの『ウィラード』のテイストを踏襲する、さらに暗い映画を求めるのでしょうが、劇場であの陰鬱な気分をまた味わうには少々覚悟と体力が必要です。  そう思えば、残酷なシーンは前作を上回るものの、マイケルやモンゴメリーの歌で中和される『ベン』のほうが見やすい。人形の家に登場するベンの人形があまりにも似ているのは普通に考えると出来すぎで突っ込みどころのひとつなのですが、ここは気づかない振りをしておきましょう。
画像
 純粋な子どもである少年は気づかぬうちに、ベンたちを操るようになっていくのだという暗喩でしょうか。実際に彼らを操り、殺人まで犯して自爆したウィラードは少年の成れの果てなのだろうか。  下水道の奥底にベンが作ったネズミの王国シーンではウィラードの地下室帝国を凌駕する多数の住民が少年を迎える。ベンの一鳴きで少年への攻撃を止めるネズミの大群はかなり気持ち悪い。一方で、感心するのはどうやってあの大群に演技をつけたのだろうかということです。  もちろん、ネズミたちが演技をしているという感覚があるわけではないでしょうから、丹念に動きを見守りながら、労力をかけて撮影して行ったのでしょう。  大群場面を見ていくと、スーパー・マーケット襲撃場面の不気味さは今見ても十分に迫力があり、不潔感と異臭が画面から伝わってきます。数千匹はいるであろうネズミの大群が食品売り場を食い散らかす様は圧巻で、もし実際にこのようなシーンを夜警のバイトとかで一人きりで見たら、腰を抜かして、一目散に逃げ出すでしょう。
画像
 人間の生活を脅かし、襲撃や略奪を繰り返すようになったベンたちはアジトを焼き討ちされ、ほとんどの仲間たちが散弾銃と火炎放射により、貯水槽まで追い立てられて溺死させられたり、炎に焼かれて虐殺されていく。ベンも大怪我を負い、命からがら逃げ出していく。  この続編『ベン』は『ウィラード』と同じく、現在はDVD化されていませんので、大昔のVHSがあるのみです。これがまたオリジナルの『ウィラード』よりも入手困難で、ぼくも二年以上探し回りましたが、結局一回もオークションでの出品を確認出来ませんでしたし、少なくとも5年以上はCS放送を見つけられませんでした。  今回はたまたまこのVHSを持っていた知り合いに貸してもらい、なんとか日本語字幕版を見ることが叶いました。最近では動画サイトに英語版(字幕なし!)がアップされていましたが、こういったサイトの性質上、すぐに削除されたり、根本的に画質が最悪だったりするので、早くDVD化されて欲しい作品のひとつになっています。  最近は旧作がどんどん復刻されて発売されることが増えているので、もしかすると近いうちにリリースされるかもしれません。ただ『ウィラード』もそうでしたが、ご飯時には向かないので深夜にひっそりと見るのが正解なのかもしれない。
画像
 販売されない理由として考えられるのはマイケル・ジャクソンの『ベンのテーマ』の楽曲使用料が異常に高いためか、スーパー・マーケットを襲撃するシーンでケロッグのプレーン・タイプやコーン・フロストが喰い散らかされていくシーンが不潔で、マイナス・イメージになることに難色を示したのかもしれません。  まあ、気持ちが悪いネズミどもではありますが、それでも傷ついて瀕死の重傷を負ってでもモンゴメリー少年に会いに戻って行くベンと彼を迎えたモンゴメリー少年の真の友情に触れるラスト・シーンには考えさせられる点が多い。純粋に傷ついたともだちのベンを応急救急セットで治療しようとする彼には嘘偽りはない。  どんなに評判が悪い友だちでも、当人同士だけが分かり合えることはあります。友だちが助けを求めて駆け込んできたときに無償の友情で彼(または彼女)と向き合う勇気があるのか。  重病に冒されたモンゴメリー少年は身体は弱いが、とても強い意志を示しました。姿形や評判ではなく、自分がどう思うか、そしてどう行動するのかという問題を突きつけてきます。ウィラードは友人ソクラテスを見殺しにしてしまいましたが、モンゴメリー少年はベンを見捨てずに助ける。この差は大人とこどもの純粋さの違いというだけではなく、人間性そのものの相違でしょう。  総合評価 70点