良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『散り行く花』(1919)完全主義者として映画史に君臨するグリフィスのメロドラマの傑作。

 映画を観に行くときの基準にはさまざまな理由があるでしょうが、主演俳優や主演女優が誰なのか、お気に入りのスターが出演しているのかで決める人も多いでしょう。そのほかでは監督で決めたり、宣伝で決めたりすることもあるでしょう。  ある種のジャンル映画では主演に選んだ女優の持っている存在感で骨子が成立する作品があります。映画の父と呼ばれたD・W・グリフィス監督が惚れ込んで使い続けたのが伝説の女優、リリアン・ギッシュでした。
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 彼女の美しい瞳を見るためだけに映画館に通ったファンも多かったのではないでしょうか。薄幸な少女を演じたリリアンはこのときにすでに26歳でしたが、可愛らしさは尋常ではなく、年齢を感じさせません。  オリジナルのタイトルは『Broken Blossoms or The Yellow Man And The Girl』で、イエローマンというのはさすがに今では使用できないでしょうが、当時は第一次大戦後であり、アメリカ人にとっては黄色人種は脅威であったことの裏返しでしょう。
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 今から数十年前、淀川長治さんが映画は日常生活で汚れた心を洗ってくれるという趣旨の言葉を語っていたか、もしくは著書で読んだ記憶があります。  どんな映画にもその効果があるかどうかは別にして、氏が思い浮かべていたであろう作品は古今東西の愛の映画だったり、綺麗な映画だったのであろう。
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 そんな彼ならば、この『散り行く花』をどのような思いで観たのであろうか。映画史に残る、偉大なる監督であったD・W・グリフィスによるメロドラマであり、映画史上でもっとも重要な女優のひとりであるリリアン・ギッシュが泣きの女優とでも言えば良いようなエモーショナルな演技で観る者を圧倒してきます。  グリフィス監督に抱くイメージは『イントレランス』『國民の創生』『東への道』『嵐の孤児』など大作映画を撮る完全主義者の大御所といったところでしょうが、実な『ホーム・スイート・ホーム』やこの『散り行く花』などのこじんまりした作品にも見所が多い。
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 ジャン=リュック・ゴダール監督もこの映画を深く愛しているようで、『勝手にしやがれ』でのラスト・シーンでリリアン・ギッシュの死に際をオマージュしたり、自身の映画理論を映像化した大作『映画史』の先頭のシーンでこの映画のタイトルをコールし、“BROKEN BLOSSOMS”をタイピングしていきます。  映画の質という意味では出来栄えが良かったものの、KKKを賛美する人種差別的内容が物議を醸した『國民の創生』や同じく質としては素晴らしかったものの大赤字を出した『イントレランス』のあとを受けて、大作至上主義を捨てて、リリアン・ギッシュのスター性にフォーカスを合わせて製作したのがこの作品でした。
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 そのため人種差別についても、舞台をイギリスに移し、大方のアメリカ人と利害が一致する黄色人種に対してのイギリス人の人種差別に言い換えてはいます。少々卑怯にも思えますが、さすがに『國民の創生』での上映禁止運動にウンザリしていたであろうグリフィスとしてはトラブルを前もって避けるために、予防線を張ったのでしょう。  内容はメロドラマではありますが、父親(ドナルド・クリスプ)による激しいDVを受けるリリアン・ギッシュと彼女を慰める中国人(リチャード・バーセルメス)という構図でストーリーを展開していく。父親役を演じたドナルド・クリスプの出来が素晴らしく、野蛮な彼の迫力はサイレントとは思えないほど躍動感があり、とりわけモブ・シーンでもある彼のボクシング試合のシーンが良かった。
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 基本的にクロース・アップが与えられているのはリリアンですが、父親が激昂し、彼女を追い詰めていくときに一度だけ彼のクロース・アップがあり、実はそのクロース・アップの印象が一番強い。もちろん怯える彼女の眼のクロース・アップも劇的でした。  グリフィス監督は彼女を美しく撮るために最大限の努力と敬意を払い、シルキー・タッチの柔らかい光を得るために、天上に絹を張り巡らせ、レンズに油を塗り、さらには彼女の顔をもっと見たいからという理由から出来た映像テクニックであるクロース・アップにたどり着きました。
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 また彼女のブロンド・ヘアをより綺麗に映し出すためにハレーション気味の光量の照明を髪に当てていきました。つまり彼女の魅力を最大限に引き出すために作られたのがこの映画だったわけです。  リリアン・ギッシュを美しく撮影するための技術が結果的に映画芸術全体に多大なる貢献をしたというのが真相なのかもしれません。クロース・アップ以外にグリフィスが生み出した技術にはカット・バック、クロス・カッティング、アイリス・イン、フェイド・イン、フェイド・アウトがあります。この技術、言い換えれば映画の文法を作り出したからこそ、彼は映画の父と呼ばれているのです。
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 グリフィスのリリアンへの異常なまでの執着やこだわり、それは美しく穢れなき少女を永遠にフィルムの中に閉じ込めることに成功しました。  絶望的な深い悲しみに浸り、路地に腰掛ける少女は身体を斜めに傾けて、うつむいて佇んでいる。男(グリフィスだけではなく、そういえばチャップリンもロリータ趣味で有名でした。)が少女に抱く処女性への憧れがこのシーンに現れる。
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 なんと美しく儚いシーンだろう。中国人の若者役を演じたパーセルメスは異教徒であるから、白人の女性、それも少女に手を出してしまったため、束の間の幸せすら残酷に奪われてしまう。  異教徒が表現しているのは価値観が相容れないということでしょうから、ロリータ趣味もまた同じように排他的な扱いを受ける嗜好だったわけです。異教徒とロリータ趣味のために、一般的な市民から二重に虐げられる運命にあったのがパーセルメスの役どころだったのでしょう。
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 青雲の志は破れ、アヘン窟に落ち込んでしまっているアジアから来た黄色人種の移民に向けられるのは差別的な眼差しと扱いしかない。  社会の底辺でなんとか生き抜こうともがき、ついに力尽きようとしていた時に、弱者であった二人は出会い、ささやかな愛を探るが、心無い者によって、すぐに引き裂かれ、互いに絶命する。誰も救われない物語であるが、力強い愛の映画なのです。  父親による果てしない暴力も見所の一つで、穢れなき少女を虐め抜くというサディスティックな嗜好も同時に語られる。無理に笑顔を作ろうとして、二本の指で口角を上げるシーンが印象的でした。
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 グリフィスにとってのリリアンは純潔さや聖なる女性の象徴であり、『イントレランス』でも神々しい聖母としてのイメージを持たせて、彼女を贅沢に起用していました。  グリフィスに幸運をもたらしたミューズはリリアンであり、彼女と一緒に映画を製作しているうちは彼も大物として創生期の映画界に君臨していました。
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 その後、ユナイテッド・アーティスツの参加やリリアン・ギッシュとの決別(スターになった彼女にギャラが払えなくなった。)、新技術であるトーキーに対応出来なかったこと、そして彼の大君としての誇りと頑固さが時代への柔軟な対応を奪ったためか、寂しい晩年を送らざるを得ませんでした。  功績が大きいのに、恐竜のように滅びてしまうのは悲劇的でした。彼は場末のホテルでひっそりと息を引き取ったそうですが、映画の父の死に様としてはあまりにも寂しい。劇中での悲劇の主役はリリアン・ギッシュでしたが、人生の悲劇の主役はグリフィス監督でした。  しかしなにはともあれ、美しい映画を観て、薄汚れた心を洗いましょう。大人にはつらいことが多々ありますが、良い映画を観て、心をリセットしましょう。『街の灯』や『生きる』もいいでしょう。 総合評価 85点