良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『愛人関係』(1973)フランス産、悲恋のサイコ・スリラー。脚本に難があるものの光る部分あり。

 アラン・ドロン出演のラヴ・ストーリー&サイコ・スリラーで、この作品での彼のクレジットは一番目ではありますが、主役として物語を牽引しているわけではなく、どちらかというとミレーユ・ダルクを支える助演でした。  若い頃に脚光を浴びた二枚目スターが年齢を重ねても、引き続き栄光のキャリアを持続していくときには多くの場合、主役から助演へのシフト、演技派俳優への転換などを図らねばならない潮時がやってきます。  アランドロンに関してはこの作品などは彼にとって、ちょうどそうした過渡期に当たっていたのではないか。存在感を示しつつ、なおかつ抑制の効いた演技で物語世界に溶け込んでいかねばならない難しい立場となります。  それでも興行を行う上では宣伝のためにビッグ・ネームを一番上に持ってきますので、観客からすれば、この作品も彼にスポット・ライトを当てた映画の一本なのだと思ったのでしょうが、製作にもかかわっていた彼はあえて脇に回ることで自身のキャリアのあり方を模索したのでしょうか。  実際、この作品を見ていくと、ストーリーを動かしていくのはアラン・ドロンではなく、ヒロインを演じたミレーユ・ダルクでした。ドロンは彼女に引きずり回されるようなというか、陰で支える役回りに専念しており、積極的にストーリーを転がす動きはしない。ラストで物語を閉じる役目を負ってはいましたが、それ以外は行いません。  道化役のようなクロード・ブラッスールもがんばっていました。とくにブラッスールは何を考えているか分からない謎のヒロインと渋い二枚目ドロンの二人とは好対照な明るさを出していて、主要な登場人物三人で光と影がはっきりと分かれている。
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 見たのは昨夜で、そのときのドロンはあまり強い印象を残さず、どちらかというと地味な立ち位置をキープしていたというイメージしかなかった。ラスト・シーンにしても、自分が愛した、精神を病んだ悲劇的なヒロインを警察に渡すのが忍びないので心中する男(弁護士役なのに。)の切ない末路を描くという誰も救われない物語でした。  ストーリー展開と独特の時間をなぜていくようなリズムに気をとられてしまい、冷静に見ていられない作品でもあります。最近のハリウッド映画にどっぷりと浸かっている人がこれを見れば、かなり退屈でしょうし、30分くらいで見切ってしまい席を立ってしまった方もいたかもしれません。  また最後までついて行った方もハッピーエンドとは程遠い結末には違和感を覚えるかもしれません。そもそも、ほとんどの大人がこの世の中は嫌なことばかりであると理解しています。大人にしか分からない映画、つまり見る人を選ぶ作品でした。
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 作中では精神を病んだ彼女には何件もの殺人容疑が掛かっており、病気のために殺人罪は適用されないが、もう一生涯を病院で暮らすこととなり、社会には戻ってこれない。それでも愛した彼女の将来を悲観し、治る見込みのない彼女を守るためにドロンは風光明媚な展望台に連れて行き、拳銃による心中を選ぶ。  ミレーユとドロンが心中するシーンは映像としてはありませんが、拳銃の動きと銃声で表現されているので、展望台でそのあとに何が起こっているかはどんな人間でも解る。ドロンは悲劇の人と理解されるのでしょうが、一緒に死を選び、あの世でともにあろうという行動を見ると、一概に不幸であるとは言えないのではないか。  弾丸が愛情表現だというのは悲劇的ではありますが、映画として受け入れられないような結末ではない。バカげた思い違いかもしれませんが、悲しく衝撃的な幕切れではあります。  これも物語の終わらせ方のひとつでしょう。なんだか後ろ髪を引かれるような気まずい余韻を残す作品で、見た日よりも次の日にじわじわきました。
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 ただし、当時のアラン・ドロンミレーユ・ダルクの関係をワイド・ショー的に利用した、下世話な邦題『愛人関係』が作品理解への妨げになっている。余計な先入観を見る前から与えてしまっているので、この映画に限らず、邦題に良くありがちではありますが、配給元のタイトル決定者は映画は後々まで残っていくのを理解し、将来の映画ファンにバカにされないように猛省すべきでしょう。  ただしこの映画にはドロンも製作に携わっているようですので、ごり押しでミレーユ・ダルクを使い、彼女を売り出しているのも事実なので、映画会社のみを責めるわけにも行かない。スタローンが糟糠の妻を捨て、モデルだった大女(ブリジット・ニールセン)に奔り、彼女を自身が主演する映画に起用していた時期がありましたが、あれと同じなのでしょうか。  40年近く前の映画ですので、かえって今になってこの作品にまっさらな頭で向き合う方がより深く作品の本質に迫れるのかもしれません。じっさい、映画の外の醜聞など何十年も経ってしまえば誰も覚えていないし、関係もない。  原題『LES SEINS DE GLACE』、つまり“空虚な心”とでも言い換えればいいのでしょうが、こちらのタイトルを理解した上で作品を鑑賞したほうがしっくりきます。感情を表に出さずに、しかも殺人を犯すほどの激しい衝動を内面に秘めるヒロインは1970年代では異質に映っていたのではないだろうか。
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 今でこそ、精神を病んだキャラクターを主役に持ってきて、その異常性やそんな登場人物にも普遍的な部分があることを物語るような作品を受け入れる土壌が観客側にもあるでしょうが、当時はどうだったのだろう。  感情をあまり表さなかったミレーユの最後の笑顔は意味深長でしたので、リボルバーの弾丸による唐突な結末がより印象を強くする。アラン・ドロン出演作では『地下室のメロディ』でのプールに沈んでしまった札束を映し出すラスト・シーンも強烈なイメージを残しました。  そのほかではフィリップ・サルドによるサントラが秀逸で、作品を盛り上げ、ワン・ランク上に導いています。薄暗い照明も素晴らしく、アメリカ映画にない落ち着きを感じました。でもドロンが乗っていた車がアメ車に見えたのは気のせいだったのだろうか。 総合評価 60点