良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『愛を乞うひと』(1998)大女優、原田美枝子の凄みを味わいましょう。ギターが切ない…。

 正直言って、黒澤明監督が『まあだだよ』の公開後、体力的な問題から映画製作をしなくなり、そして亡くなる前後の邦画にはあまり興味が無かった時期がありました。その流れを断ち切ったのがこのシリアスな作品です。  タイトルからオープニングに掛かっている、あのなんとも切ないギターで奏でられるテ-マ曲は何故あれほどに力強いのだろう。のちに母親が我が子を抱きしめるだけで愛情を表現するという映像がとてもセンセーショナルだった、児童虐待撲滅キャンペーンのCMで何度も繰り返し流れていたので、ご存知の方も多いと思います。あのテーマ曲がこの映画のすべてを代弁しているのではないでしょうか。  1990年代の邦画の中では屈指の一本となるのは原田美枝子の代表作ともいえる、この『愛を乞うひと』であろうと確信しております。娯楽性は一切ありません。しかし脚本、演技、演出、そして音楽の力が一体となって、観客に135分の長尺をひたすら凝視させるほどの圧倒的な作品を生み出した。  主演の原田美枝子が出演した映画には名作が多いが、この作品も『大地の子守歌』『青春の殺人者』『乱』などに並ぶ代表作の一つでしょう。個人的には原節子香川京子と並び、大好きな女優さんの一人です。  平野秀行監督にとっても代表作品であろう。日本映画の看板女優である原田美枝子を主演(一人三役)に迎え、脇役を野波麻帆熊谷真実國村隼うじきつよし中井貴一らで固めた演技陣はこの作品を彩るに相応しい。  ストーリー構成も素晴らしく、過去と現在を行き来する作り方は効果的でした。そして何よりも過去では母親役で、そして現在では野波麻帆の母親役として登場する原田美枝子の演技の切り替えの見事さには驚かされる。両方の彼女に生命が宿っていて、強烈な母親と優しい母親、そして最後に登場する年老いた老婆となった母親の三役を見事に演じ分けている。  同じ人格でもこれだけ変えられるのです。ある意味恐ろしい。環境次第で人間はどのようにも変わるのではないかというのはリアルな恐怖です。監督の皮肉を込めた演出なのでしょうか。現在普通に暮らしている人でも環境が悪化すれば、どうなるか分かりませんよというメッセージは痛烈です。  映像のトーンも非常に暗く、陰々としたムードが漂っていて、ここで語られる物語の深刻さを映像と光で語っている。昭和二十年代後半や三十年代のアパート室内の明かりの暗さは同じ時期の『ALWAYS 三丁目の夕日』の明るさとは対をなす。  「あの頃は良かったねえ!」では済まされない深刻な暗さもまた確実に存在していました。アンチテーゼとして、昭和成長期の明暗の両方を見て、そして判断してほしい。  「昔は良かったねえ!」は事実ではないのです。ただ単に情報網が発達していなくて、猟奇的な話や性的虐待が表面化していなかっただけに過ぎない。  愛を乞うというタイトルがすべてを表している。乞うとは物乞いの意味であろう。無様になっても、どんなに苛め抜かれてもなお、他者からの愛を得ようとするのは人間の弱さではなく、どうにもならない性でもなく、むしろ生命の強さであろう。  これほど虐待されてもなお、わが母親を心の底から憎みきれず、けっして報われることのない愛情を持ち続けている娘の心情を表面上では解っても、真には理解できない人が大半であろうと思われる。体験しないと理解できないこともあるのです。彼女が長年に渡って、味わい続けた忌まわしい痛みは条件反射のように他者とのちょっとしたやり取りで顔を出す。  それは連鎖する暴力として、次代の子孫に伝えられるのではなく、コミュニケーションの歪みとして、一般の家庭で育った人とは明らかに違う形で現れる。母親となった原田が困った時に野波に向ける無意味な作り笑いはその象徴であろう。  その原因となる「乞うひと」は娘の原田ではなく、母親の原田である。苛烈に娘を苛め抜く原田はとてつもなく恐ろしい鬼婆のようである。しかしそれは彼女が夫であり、彼女を残して台湾へ帰ってしまった中井貴一に向けた大きすぎる愛情への裏返しであるが、この反動はあまりにも大きく娘に圧し掛かってしまう。  映画では母親である原田が娘をひたすらと、そしてどんどんエスカレートしていく虐めの凄まじさと痛みを画面で見せ付けてくる。嫌悪感を抱く方も出てくるほどの凄まじい虐めシーンが延々と繰り返されます。観ていてかなりキツイ映像も多い。  ただそれはそれとして、自分が虐待を受けたからといって、それをすべて他者の責任にしてしまい、自分を正当化する人々には与することは出来ません。幼少期に受けた虐待や愛情の無さのために犯罪に走ったなどというのは言語道断の言い訳であり、これほど卑怯な弁明は無い。  心理学やカウンセラーは治療や成長のために使うツールであって、犯罪者が言い逃れをするために悪用されるべきものではない。サイコは犯罪者であり、同情するのは大間違いである。文学などでも精神的に弱い者を正当化したり、美化するものも多いがあくまでも「お話し」として割り切って読むべきものであり、それを生き方の規範にするのは間違っている。  ドストエフスキーの小説『白痴』に出てくるムシュイキンのように純粋なのは素晴らしいことかもしれませんが、現実問題としてそれでは生活が出来ないのは明らかです。  だいぶ横道に逸れてしまいましたが、映画を観て色々なことに思い巡らすのは正常な反応であり、映画のことを語っているだけでは視野の狭い映画ファンになってしまいます。こうした意味ではこの映画が問いかけてくるテーマはとても重たく、またすべての人が逃げられないテーマである。  印象的なのはお互いに名乗ることもなく、淡々と再会を果たし、そして淡々と別れて行くラスト・シークエンスでしょう。積もり積もった、積年の溢れる感情を母親にはついに出せなかった娘の原田美枝子が、自身の子供である野波麻帆と二人きりになった時(バスの中)にはじめて感情を抑えきれずに号泣する場面の凄みを味わって欲しい。  スカパーでは放映されましたが、地上波ではどうだったのでしょうか。こういった問題作品こそ、放送すべき映画であると思いますが、重たいテーマと暗い作風には放送局は二の足を踏みそうですね。  何でも臭いもの、見たくないものに蓋をしてしまい、知らぬ顔を通すのが現在のわが国の常識になっていますが、政治問題だけではなく、家庭問題も「臭いものに蓋」が罷り通っている現状は非常に危険であり、10年後、20年後を想像するのも恐ろしい。 総合評価 85点 愛を乞うひと
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