良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『拳闘試合の日』(1951)スタンリー・キューブリックが初めて監督した、ドキュメンタリー映画。

 孤高の天才、スタンリー・キューブリックが監督した最初の映画というと、ほとんどの人は知らないか、映画マニアでも『非情の罠』を思い浮かべるでしょう。現在、一般の映画ファンが観ることができる作品はマニアックな映画祭を除くと、フィルム・ノワール的な『非情の罠』から始まり、その間に『2001年 宇宙の旅』『時計仕掛けのオレンジ』『現金に体を張れ』など多くの傑作や問題作を挟み、ついに遺作となってしまったトム・クルーズニコール・キッドマン夫妻を起用した『アイズ・ワイド・シャット』までの全部で12作品です。  しかし、1955年に『非情の罠』を公開するより前に、スタンリー・キューブリック監督にはすでに製作していた幻の作品群(5本)が存在します。その5本とは『拳闘試合の日』『空飛ぶ牧師』『海の旅人たち』『恐怖と欲望』、そして題名不明のドキュメンタリー(これのみ未見。)を合わせての5本です。  その中でも、今回紹介します『拳闘試合の日』こそがキューブリック監督の幻のデビュー作品なのです。もっとも、この作品はドキュメンタリーであり、上映時間も15分程度の小品です。制作費は3900ドル(1951年当時。)で、キューブリックは友人や知人から資金を調達しました。
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 こうしたスポーツ、特にボクシングの当時の記録映像といえば、一般に引きのロング・ショットで、リング全体を捉えるものがほとんどで、映像そのものが珍しかったこともあり、あまり制作者の意図について語られることなど皆無でした。後に書きますが、彼らしい捻りも所々に利いていて、興味深い点もあるのです。  しかしながら、現実問題として、この短編ドキュメンタリーはなかなか買い手がつかず、ようやくにRKOが手を挙げた時には4,000ドルと買いたたかれました。つまり、キューブリックのために、この映画が生み出した利益はたったの100ドルだったのです。それでもこの短編のなかでも、彼らしさを垣間見る瞬間がいくつかあります。  まずは時間設定で、あるミドル級ボクサーの試合が行われる一日を、緊迫感を盛り上げるために時間を圧縮しているのです。朝六時に起床し、兄弟と食事をする。夕方四時には試合のための用具の準備を済ます。そして試合前の最後の食事をする。夜八時には車で会場入りする。九時四十五分には控え室でワセリンを塗るなど最後の準備をする。十時に試合が始まる。そしてわずか四十七秒の秒殺で試合を決める。  先ほど記したように、このフィルムは15分の短編なのです。このなかで、キューブリックが非凡なのは時間経過の圧縮です。最初の朝食シーンから次の計量までは十時間の間隔があったのが、試合前の会場入りするまでが4時間、控え室で準備を終えるまでが一時間四十五分、リングに上がるまでが十五分、試合を決めるまでが四十五秒と徐々に間隔が短くなっていく。短編という制約のある中での劇的な効果を狙っています。
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 撮り方も個性的で、片方のコーナーの椅子の下から真向かいの対戦相手を見上げるショット、リングの照明が眩しいなかでのキャンバスに寝転がって撮ったと言われる仰角ショットがとても迫力があり、腰から上を大写しにして、両者の攻防を見事に切り取る望遠の映像は見応えがあり、その目論見は成功しています。こうした撮り方をフィクションではないドキュメンタリーで敢行したキューブリックの意図にこそ、この映画の大きな意味があります。  立場的に、自分でコントロール出来ないプロ・スポーツの試合でも、その個性を感じさせるフィルムをものにしてしまうのが、ただものではない。後に一般的な第一作目となる『非情の罠』でのボクシング・シーンでも似たような仰角ショットが用いられています。  なかなか観ることの叶わない珍品ではありますが、ご覧になる機会があれば巨匠の一番出汁を堪能してみるのも楽しい経験となるでしょう。 総合評価 60点