良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『クライマーズ・ハイ』(2008)1985年の夏、あの事故は衝撃的でした…。

 最初、タイトルの『クライマーズ・ハイ』というのを目にしたとき、この映画の内容がどのようなものなのかは全く知りませんでした。劇場に行って、ようやくこの作品の題材があの衝撃的だった日航ジャンボジェット機墜落事故であることを知りました。
画像
 1985年のあの夏、僕は高校生で、弓道部に所属していましたが、部活でもあの事件のことはずっと話題になっていました。坂本九が乗っていたらしいとか、阪神タイガースの社長も乗っていたみたいだねとか、助かった少女はチェッカーズのファンだそうだとか、ダッチロールの中で遺書を書いていた人もいたそうだ、など本当に色々な話題がありました。  またあの惨状を興味本位で取材して、世間から猛烈な非難を浴びた写真週刊誌(エンマ?だったかなあ…。あれがきっかけで廃刊になった…。)もあった記憶もあります。何気なく歯医者さんの待合室でパラパラとめくっていると、真っ先に飛び込んできたのが、あの現場の惨状をえげつなく写真に載せた、あの雑誌だったのです。  たしかに事実なのでしょうけど、あれを見て良い気持ちのする人は皆無でしょうし、出版社のモラルも何もあったものではありませんでした。他社を出し抜きたい、ショッキングな写真で話題を作りたいというメディアの劣悪な本質が垣間見えた瞬間でもありました。  また阪神の社長が亡くなった後、タイガースはユニフォームに喪章をつけて戦っていたのも覚えています。しかし、さすがに、この事故の直後は低迷して、20数年ぶりの優勝がかかっていた大切な時期でしたが、広島カープに抜かれて首位を明け渡していたと記憶しております。まあ、阪神の話題はこのくらいにしておきます。
画像
 映画の構成は1985年と現在を交互に行ったり来たりさせながら、あの事故が記者たちの家庭や地方マスコミにもたらした影響や戸惑いを積み上げていき、あの事故が地方のマス・メディアにとって、いったいなんだったのかを探っていきます。また自衛隊や政治家の思惑との絡みもメディアの実際の姿を描いているようで興味深く観ていました。いまでは災害の救助に自衛隊が出動するのは当たり前ですが、当時はそれを好意的に報道するのは半ばご法度という妙な時代でもありました。記事作りにおいて、そういう政治的に微妙だった頃の葛藤も描かれています。  この映画に派手さはまったくありません。楽しい映画でもないでしょう。墜落していく機内の様子、その後の御巣鷹山での惨状などはほとんど描いていません。ただそこをリアルに描いてなんになるのであろう。肉片が飛び散る凄惨な現場を描く必要もない。  この現場シーンは台詞だけで語る場面が多いのですが、この描写をリアルにやるよりはこの演出の方が正解でしょう。観る価値はあります。実際に起こった事故を元に原作が作られていて、その作品の映画化でもあり、しっかりと真面目に作品に取り組んでいます。適当に演じている部分というか緊張感のない部分は見当たりません。  どのシーンも基本的に重い雰囲気の中で撮られているように思える。堅苦しいと感じる方もいるでしょうが、軽い映画ばかり観ているのは映画ファンとしては逃げなのかもしれません。たまにはこういう骨太の映画を観るのもいいのではないでしょうか。
画像
 今回はDVD鑑賞でしたが、劇場で観たときにも気になったのは急に入るスロー・モーションやカメラのぶれ、そして不自然なズームや俯瞰ショットに意味があるのかということでした。一瞬、自分の家のDVDデッキの再生不良なのかと勘違いほどの違和感を与えるカメラには作品への集中を阻まれてしまうでしょう。せっかくシリアスな題材を映像化するのであるから、意味不明の作り手の存在誇示はまったく不要に思える。  サム・ペキンパーが彼の映画でよく使ったスロー・モーション、内田吐夢が『飢餓海峡』で使った強烈なハレーションのように、登場人物の感情の昂ぶりを表したかったのであろうか。  原田眞人監督作品というと、僕が観たのは『金融腐蝕列島[呪縛]』『突入せよ!「あさま山荘」事件 』だけですが、これらの作品同様に今回の『クライマーズ・ハイ』でも社会派の一本を作り上げています。原作とはかなり違うようで、その点を批判する人もいるでしょうが、映画監督にとって原作はあくまでも映画を作る「種」であって、すべてではないということを理解して欲しい。
画像
 もちろん、監督が原作を読み違えてしまえば、目も当てられない醜悪な一本、もしくは理解不足の舌足らずな一本が出来上がるのも事実ではありますが、この監督が描きたいのは物語となる事件よりも、その事件が起きている現場で右往左往したり、もがきあがいてなんとか解決の道を探ろうとする組織自体を描こうとしていることを念頭において観たほうが良い。  今回の映画では登場人物たちの葛藤や事件の本質について、完全に捉え切れているとは思えない。新聞社の緊迫する現場取材や社内の力関係、そして出し抜くことを第一とする他社や真相を隠そうとする警察機関との関係等の描写については圧倒的な迫力がある。
画像
 だが、事故の本質と責任の所在、悲しむ遺族の描写や遺族感情、新聞社社長役の山崎努の存在意義、1985年と現在を行き来して、現在元同僚の息子とロック・クライミングをしている理由など、おそらく原作では大きな意味を持っていたであろう事がまったく意味が分からないままで進行して行くのがよく分からない。  また途中で現場取材をした記者の一人があまりにも多くの死者と死体を目にしたため、精神を病み、ついには道路へ走りこんで、みずから自動車へ当たりに行き自殺(自動車はそのまま轢き逃げしてしまう!)をするシーンがあり、ここを上手く使うと人間の死の意味についてを観客に考えさせる最大の見せ場のひとつになった可能性があったのです。
画像
 つまり事故で死ぬのも同じ、人が死んだのも同じであるにもかかわらず、片方は国を挙げての大報道合戦、かたや地方紙の三面記事に載るか載らないかの小さな事故にすぎないという矛盾をえぐれたはずなのです。規模が違うといえばそれまでではありますが、日航機事故についても何百人もの人命が失われた事故で、有名人が何人かいたために今でもテレビ番組が組まれていますが、もし誰も有名人が乗っていなければ、ただの何百人という「単位」としてしか認識されていない可能性もあったのではないか。  亡くなった方の一人一人に各々の人生があり、各々の家庭や生活があったはずです。「単位」でしか捉えられないのは死の意味を真剣に考えていないからではないだろうか。これは外国で起こった事件や事故の際、必ずイエロー・モンキーの歌の歌詞のように「乗客に日本人はいませんでした!」と同じ、当事者意識の欠如を感じました。  だいぶ話がずれましたが、命の意味を考えさせるという点ではあまり注意が払われていないように思えました。つまり監督が描きたかったのはあくまでもこういう実録モノ?的な題材のときに彼がいつも考える、組織内での葛藤に過ぎず、題材は別に日航事故でなくともよかったのではないだろうかという不信感です。
画像
 ただそれでも役者たちは真剣に演じています。堤真一堺雅人遠藤憲一螢雪次朗尾野真千子(河瀬監督作品によく出ていますね。)らは印象に残ります。反対に高嶋政宏山崎努はあまり効果的とも思えませんでした。とくに山崎はたんなる傲慢なエロじじいでしかなかった。唐突とも思えるナット・キング・コールの『モナリザ』は何の意味があったのだろう。 総合評価 70点