良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『恐怖と欲望』(1953)キューブリック監督、幻の劇場映画デビュー作品。これぞ封印映像。

 『2001年 宇宙の旅』『時計仕掛けのオレンジ』『ロリータ』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』など超有名作品を何本も手がけた、ニューヨーク生まれの巨匠、スタンリー・キューブリック監督による初長編映画という位置付けにあるのが今回紹介する『恐怖と欲望』です。  こう聞いて、「えっ?キューブリック監督のデビュー作は『非情の罠』だろう?」と思った映画ファンは相当マニアックな方だと思います。一般的にはキューブリック監督作品というと、『非情の罠』からだと思われています。ツタヤにも在庫があるのはこの作品からです。
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 しかし、実際のデビュー作品は『恐怖と欲望』なのです。この作品は不幸にも、産みの親であるキューブリック監督自身によって忌み嫌われてしまったために、『拳闘試合の日』『空飛ぶ牧師』『海の旅人たち』などとともに現在は映画祭や映画フォーラムの目玉として数回上映されたのみで、現在、そしておそらく未来永劫、正規ルートでは一切観ることが出来ない、いわゆるお蔵入り、もしくは「幻の~」と呼ばれる作品群でもあります。  当然ながら、我が国でも未公開のまま、半世紀以上が経っています。今回ぼくが見たのは字幕なしの英語版でしたが、いわゆるキューブリック監督らしいキレと狂気を感じさせる映像がいくつもありました。物語としては戦争モノではありふれた脱出劇でしたが、そこはキューブリックらしく、心理面の崩壊を舌足らずながら描こうとしていました。
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 台詞は難解で、さらに英語のみなので苦労しましたが、寓話的な反戦映画という印象を受けた作品でした。あくまでも、その後のキューブリック監督の成し遂げた偉業の数々に想いを馳せながら観ているので、ちょっとした映像表現にハッとしたり、頷いたりしながら観ていけるのですが、もしこのまま無名で消えていった映画監督の作品であったとすれば、せいぜい風変わりな作風だなあ、と感じるくらいなのでしょう。  極論してしまうと、この映画において大切なのはストーリーとかではなく、キューブリック監督の映像センス、そのものでしかない。不安を煽るカメラワーク、フェチシズム要素を含む女性の撮り方、なんだか落ち着かない構図などに後年にわれわれが見ることが出来る才能の片鱗がある。  粘着質としか言いようのない死体の映し方(しかもクロース・アップが何度も出てきます。)、若い女を拘束した上で、サイコ野郎が臭いをかいだり、舐め回したりする様子は見ていて気持ちの悪い映像です。襲撃してすぐに死体の横でシチューを貪り食う描写、しかもそのときモノローグで人生への幻滅を語るなどナンセンスなシークエンスが続いていく。
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 話は変わりますが、あのビートルズのデビュー・ナンバーは『抱きしめたい』でも『プリーズ・プリーズ・ミー』でもなく、ダサい『ラブ・ミー・ドゥ』です。もし彼らがこのデビュー・シングルで大コケしていたならば、誰も思い出さないバンドの一つでしかなかったでしょう。後の偉業を知っているから、みなが無理やりに価値を見出そうとするのです。  この『恐怖と欲望』もある意味、そうなのです。つまり、最初から色眼鏡で作品に接していることに気づかねば、冷静に作品を鑑賞することが出来ない。黒澤監督だから良いはずだ、溝口作品はすべて素晴らしい、小津監督の悪口を言うのは映画ファンではない、などというのは権威主義であり、彼ら生粋の映画人がもっとも嫌う権力(溝口はすり寄っていきましたが…。)側に立ってしまうことを自覚すべきである。
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 どうしても、思い入れが強くなりすぎると、自分の尊敬する監督作品には必要以上の意義を探し出そうとしてしまう。こういう思いが上手く作用すれば、新たな魅力を探し出したという功績が認められるかもしれませんが、たいていのものは権威への擦り寄り程度で終わってしまう危険を孕んでいる。  どうしても巨匠の幻の作品といってしまうと、妙にありがたがって美化してしまいがちではありますが、きちんと見ていきたい。ただもちろん、この作品が駄目といっている訳ではありません。キューブリックらしさは存分に出ています。この作品で彼がコントロール出来なかったのは予算・音響でした。  ミッチェル・カメラには録音機能はなく、後日、すべての音に関する部分はアフレコで処理されました。しかもそのレベルは高いものとはならずに、どこか不自然な仕上がりとなっています。逆にそのへんがキューブリックらしい居心地の悪さを生んでいるとも言えなくはありませんが、出来として考えると良いとは言えません。
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 「世界中のどこにもないが、どこにでもある戦争を描く。」という空想世界という設定の下に語られていきます。敵地に深く入り込みすぎて、敵襲を受けて墜落させられた軍用機に乗っていた小隊の生き残り4人の敵地からの脱出劇を描いていきます。4人はそれぞれキャラクターが違っていて、若い上官(コービー中尉)とベテランの副官(マック軍曹)はいわゆる軍人タイプで、あとのふたりは厭戦気分でいっぱいの者(フレッチャ二等兵)と精神的に弱い者(シドニー二等兵)の4人です。  脱出のために筏を組んで川下りをするシーンがありまして、それがまるで『地獄の黙示録』を思わせるものでした。印象に残るのは敵軍用機を奪って脱出するシーンで、奪うときの敵軍への夜襲でした。問答無用で無慈悲に撃ち殺したあとに彼らの顔を確認すると、それが自分たちの顔だったこと、そしてその現場に飛び散ったピザパイ?が映し出され、それを兵士が貪り食うというのが印象深い。
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 また唯一出演する女優、ヴァージニア・リースの扱い方がキューブリック的なのです。「モノ」として見ていて、綺麗な彼女を拘束した上、台詞が一つもないままにあっさりと精神的に異常をきたした兵士に殺されて終わってしまいます。綺麗なモデルさんのような彼女はキューブリックによって、何のためらいもなく、感情移入させるような描き方をまったくされないままにあっさりと殺されてしまいます。  瀕死の重症をマック軍曹が負ったものの4人はなんとか危地を脱しますが、4人とも人間性を失ってしまいます。生物的には生きていますが、人間性という内面は殺されてしまったも同然でした。ここらへんがキューブリック監督のテーマだったのでしょうか。  総合評価 65点