良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『市民ケーン』(1941)最高の映画として知られるが、隠れたフィルム・ノワールの傑作でもあります。

 映画の都と形容されるハリウッドでは映画監督になれるのが早くても30代後半だった1940年代に、当時まだ24歳だったオーソン・ウェルズは見事に監督デビューを果たしました。このデビュー作品『市民ケーン』を評して、後世の映画ファンと批評家たちは「これこそが歴史上、最高の映画である!」「これこそが映画の教科書である!」と過去60年に渡って、『市民ケーン』を絶賛し続けてきました。  もっとも興行自体はこの映画のモデルにもなったランドルフ・ハーストにさまざまな妨害工作を仕掛けられたり、ハリウッド同業者のやっかみから来る的外れな批判に晒され続けたためか失敗してしまい、以降の映画製作での全権委任を奪われてしまったオーソン・ウェルズは次回作『偉大なるアンダーソン家の人々』以降はフィルムをズタズタに編集される、普通の映画監督に納まらざるを得ず、その後も映画制作をしていきますが、シュトロハイムと同じように俳優業へ落ち着いていく。  まあ『イントレランス』の失敗以降、徐々に力を失っていったD・W・グリフィス監督の末路よりはましですが、本来やりたかったことが出来なくなっていく環境の中でも生きていかざるを得なかったオーソン・ウェルズシュトロハイムは映画ビジネスに飲み込まれていった犠牲者でもありました。
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 批評家筋などでは概ね高評価だったにせよ、当時は必ずしもウェルズが望むような正当な評価がされなかったこの作品ですが、口うるさい映画批評家の皆が口を揃えて、半世紀以上の長きに渡って、一本の映画を讃えるにはクオリティはもちろん、当時の批評家に与えたインパクトなどの言われるだけの理由があるはずです。  まずはなんといっても、この映画にはオーソン・ウェルズ監督と撮影監督であるグレッグ・トーランドによる卓越したカメラ・ワークを中心にした撮影技術や編集テクニックが詰め込まれています。  もちろんテクニカルな内容だけではなく、ストーリーの筋道や伏線の張り方がしっかりとしている脚本の良さと生前の彼を知る人たちが彼の人となりをインタビュー形式で語るという場面転換の斬新さが映画技法のテクニックとの相乗効果を生み出している。
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 さらに付け加えていけば、オーソン・ウェルズやジョセフ・コットン(『疑惑の影』も彼でした。)をはじめとする登場人物たちの生き生きした演技、生まれてからあまり月日を得ていないのにかかわらず、トーキーの良さを理解している音や台詞の使い方、そして舞台芸術でもあるセットのロケーションの素晴らしさなど見る人だけでなく、映画製作や舞台芝居を作りだそうとする多くのクリエーターたちにも数多く示唆を与えてくれます。  例えば撮影技術を見ていくと、第二次大戦を迎えようとする、まさに物資が徐々に不自由になろうとする時代に、不必要な贅沢とも取られかねない程の圧倒的な照明の光量を確保したことではじめてもたらされる独特の映像美、つまり画面すべてに焦点を合わせていくパン・フォーカス(ディープ・フォーカス)がトーランドによって提示される。
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 観客各自が自由に選んで見るであろう画面の前景・中景・後景のすべてに焦点を合わせながら、そこからカメラを移動させていくフォーカス送りは見る者をゾクゾクとさせてくれます。多くのシーンでカットを最小限に抑えて、芝居の緊張感を持続させた長回しもこの映画の特徴のひとつでしょう。多くのフォロワーを生み出したパン・フォーカスの手法を一般化させた功績はかなり大きいのではないでしょうか。  この映画を見る上でまず欠かせないのは光と影の使い方でしょう。フィルム全編を通して、スクリーン上では真っ暗闇の中ではたしかに俳優たちが蠢くように演技をしていますが、あるときはハイ・キー照明によって出来たコントラストのために非常に明るかったり、またはほとんどが影に覆われてしまい、結果としてどちらの表情も判別することが非常に困難でした。
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 カメラ・アングルも観客を威圧するローアングルや登場人物を醒めた目で見るハイアングルからのロング・ショットが併用されている。それらにクレーン・ショットや奇妙な構図なども相まって、固定カメラではなく、移動カメラを多用しているためにキネティック・パワーが当時の作品としてはかなり強い。暗闇のなかで人物も動けば、カメラも動くので観客はリラックスして観ることは出来ない。  観客はいつも見るようなお気楽なコメディやラブ・ストーリーとは桁違いの集中を求められ、演出によりさらに不安感を募らされ、常に緊張し続けなければならない。なぜここまで極端なハレーションや真っ暗闇の中でフィルムが続いて行くのだろう。比較的明るい人生を描いているはずの前半部分でさえも、よく見ていくと暗黒の映像が支配的に映る。  数多く印象的な映像が散りばめられている前半部分でも一番瞼に焼き付いているのは青雲の志に燃えるケーンが新聞社を牛耳っていく過程で宣言書にサインしようとするそのときに訪れました。それは1分間以上に渡って、主役であり人生の表舞台に立つ瞬間のケーンに当てられる極端な影である。
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 この顔と上半身を覆いつくす影が暗示するのは彼の人生の不透明さであり、未来そのものであり、彼の内面でもある。光と影の極端なコントラストは画面構成全般にも貫かれていて、不安定で挑戦的な構図には焦りを覚えます。  こういう感覚はいくつかのフィルム・ノワールの傑作に多く散見されます。各々の製作年度は違いますが、『マルタの鷹』『深夜の告白』『ローラ殺人事件』などをご覧ください。この映画『市民ケーン』が製作され、公開された時代はまさに戦争への不安感と苛立ちがもっとも強く、将来への展望が見えにくかった1941年でした。  つまり、この映画はじつはフィルム・ノワールの系譜に繋がる一本なのではないか。これがフィルム・ノワールであるという視点に立てば、“薔薇の蕾”はマクガフィン的な狂言回しであることを理解できますし、結果としてもっとも欲しかったのは愛情であることが陳腐だと憤る必要はない。
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 むしろこの作品全体のストーリー展開のシンプルさと敢えて多くの情報を語る必要性、つまり答えを観客に提供してくれるという大サービスをしてくれているオーソン・ウェルズに感謝すべきなのではないか。  映画という芸術においては常に観客に納得のいく解答を用意する必要はない。どうなるのだろうという余韻と後ろ髪を引かれるような思いを味合わせていけば良いのです。なぜならこれはフィルム・ノワールなのです。  またストーリーだけを追いかけて、孤独のうちに死んでいくケーンの生きざまのみに拘ってしまい、映像が持つ意味、つまりオーソン・ウェルズと撮影監督であるグレッグ・トーランドが映像に込めたメッセージが我々観客に問いかけてくる瞬間を見過ごしたまま、119分間を過ごすのはあまりにも勿体無い。
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 サイレント時代に完成していたセリフに頼らない映像言語を理解した上で映画制作を行ったオーソン・ウェルズの偉大さを考えてほしい。今見ると古臭いとか言う人にはなぜこれが古臭く見えるかという理由を考えてほしい。  この作品に影響を受けたクリエーターたちがなんらかの形で、意識するしないにかかわらず、その表現方法を使用し続けた結果、この映画での撮影技術の多くが古く見えるのではないか。今見ると陳腐だと言う者は映像がリュミエール兄弟エジソン、そしてジョルジュ・メリエスから出発したものであり、まだ百年ちょっとしか経っていないことをまったく理解してはいない。  昨日があって今日がある。今日があるから明日が来る。そう考えると映画を取り巻く環境は厳しくなる一方であろう。それ以外にも映像の組み合わせにも注目して欲しい。共産ロシアのエイゼンシュテインによって提唱されたモンタージュ理論は海を越えて、民主主義国の映画製作者にも多くの影響を与えている。
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 オープニングからラストを迎えるまでに観客のエモーショナルな部分へと映像が作為的に訴えかけてくるテーマは何だろう。権力を握っても、莫大な富を得ても、ついに孤独の虚しさから逃れることは出来ない。成功者に見えても、心の闇は彼の人生から消えることはない。この映画はアメリカ人の価値観にどういうメッセージを送ったのだろうか。  家族を大切にして、毎週日曜日に教会に通うという、精神と物資が豊かな生活を送るのが彼らの理想でしょうから、信仰を大切にするシーンや幼少から成長していくシーンがまったく描かれない点をとっても、この人物ケーンが普通の生活を送れなかったことを表しているように映る。  条件付けは出来ても、無償で自らが愛することはなく、また他人から愛されることもなく、誰も信じることが出来ずに莫大な財産のみを持つことをベースにした威圧でしか存在を示せないことを映画全体が語りかけてくるようでした。長々と書きましたが、つまり編集によるつなぎが観客の感情や価値観をどのようにコントロールしていくかについてです。  エイゼンシュテインは図形のイメージも多用しました。今作のウェルズも工事中の鉄橋を見せるのだが、この橋は巨大で重厚で真っ黒であり、しかも工事中のその橋の形は十字架に見えます。不吉なその後の未来を象徴するようなその構図は随所に出てきます。人物に限らず、モノにも向けられる、大きすぎるクロース・アップは気味が悪い。
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 その他にも交互に違う場所での行動をカメラに捉えて編集することで緊張感とスピードを上げていくクロス・カッティング、フィルムをぶつ切りにせずに、あるフィルムから次のフィルムが浮き上がるように繋げていく二重露光を利用したり、黒い対象を画面全面に映し出すことでそこを編集点として使用し、スムーズな場面転換を図る技量など探せば次から次に映像に彼の映画への執着というか貪欲さを見ることが出来ます。  モノクロの特性を最大限に生かす技術とそれを追求する努力もみるべきポイントでしょう。白と黒の間には灰色があります。光(白)と影(黒)の混ざり具合で無限の色を表現する色彩感覚の鋭さには舌を巻きます。
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 まだまだ語り尽くせません。カメラと被写体の角度で様々な意味を持たせながら台詞に頼らず感情を表現していく映像言語感覚の鋭さと分かりやすさ、RKOを製作会社に選択したことも映画の質を上げる上で有利に働きました。  RKOといえば、常に資金難の問題や経営陣の不安定さというマイナス面があったものの、『キングコング』など怪獣映画を手がけたスタッフの力量は群を抜いていました。しかもこれはホラーや特撮などのジャンル映画ではないのに特撮シーンが多用されていることなど、見るべきポイントを見ていくと枚挙に暇がない。  見てもらえば解るでしょうが、この映画には現在でも特撮で使用されるマット技術やミニチュア、映像の光学的加工などが多くのシーンで用いられています。しかしながら、これだけの映像技法や特撮技術を詰め込みながら、じつはこの映画の制作費は70万ドルであり、当時としては平均的な予算であったそうです。ちなみに彼と同じ時代にエド・ウッドがいくつかの怪作を連発していたと思うと感慨深い。  物語に入っていきますと、映画の場面構成はまずはケーンの臨終シーンから始まりますが、何十年も経過した今でも映画ファンによって“薔薇の蕾”とは何だったのかと語られるほどの名オープニングとなりました。
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 つぎに架空のニュース映像で15分以上に渡って、ケーンの人生を振り返るのだが、この説明シークエンスで観客すべてに登場人物の大まかな人物設定を自然な形で理解させる。架空ニュースはミソではありますがアイデアとしては最適であり、観ていく上で最低限必要な情報が与えられている。  そのあとはケーンと親しかった人物や敵対した人物が次々に時系列を無視したかなりユニークな形で各々が彼について語っていく。すでに亡くなっている人の手記から探っていくシーンもあれば、かつての妻が場末のバーで飲んだくれているシーンからの語りもあり、語るための切り口を見ているだけでも独特です。  生前の彼を各々接していた時期が異なる者がインタビューに答えていくという形なので、時系列はバラバラですが、基本的にはフラッシュバックが多用されています。後見人が彼との伝説的な出会いを振り返るシークエンスでは雪橇のエピソードが語られた後に、つまり8歳のケーンとの出会いのシーンのあとに、一気に17年もの年月を飛び越えるフラッシュフォワードまで登場します。
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 今回、記事にするに当たり、久しぶりにこの作品を見ました。一回目見たときに気付かなかったことが続々と出てきましたので、さらに二回ほど見ました。青年期の溌剌としたケーン、中年になった傲慢なケーン、そして晩年のすべてを失ったケーンと三世代の彼を見事に演じ切ったオーソン・ウェルズの演技力に改めて脱帽し、しかもこれを製作したのが24歳だったことにも驚愕し、これ以後監督業が上手く行かなくなる不条理に憤り、これも運命だったのだろうなあと諦める。  さまざまなことを思いつくままに語ってきましたが、何度見ても新しい発見が必ずある映画、それが『市民ケーン』なのです。今書きながらも「ドロシー・カミンゴアがいる場末のバーに入っていくカメラがかつての若かりし頃のポスターを映してから、クレーン・ショットを利用して、ガラスの屋根を突き抜けて、呑んだくれて落ちぶれた今の彼女を映すために室内へ入って行ったな…」と思い出しました。  また「ザナドゥでの多くの鏡に映し出されるケーンが表すのは分裂症的な病んだ様子を描きたかったのだろうな…」とか「雪橇で遊んでいた少年ケーンは屋外、つまり自由な世界で遊んでいるはずなのだが、画面内では窓枠に追い込まれていて、ちっぽけな存在であり、実際に彼の生死を握っているのは冴えない大人たちなんだな…」とかがすべて映像で示されています。  見ていない方は死ぬ前に見るべき一本であると断言出来ます。 総合評価 100点
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