良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』(2010)神は大きな贈り物をくださるだろう。それは神自身である…

 昨日の夜は大昔に録画してあった、あるビデオを見ていました。それを録画したのは1994年ですので、今から数えるとすでに16年も前でした。そこに入っている映像はF1・サンマリノ・グランプリを中継していたフジテレビのものでした。  ときおり写る、まだ若かった頃のフジテレビのアナウンサーたちの顔の表情も一様にこわばっています。この年、この週末のレース会場はとても不吉で、初日にはバリチェロが命に別状はなかったものの大クラッシュを起こしてしまう。  さらに次の日にはラッツェンバーガーが事故死してしまいました。全パイロットが程度の差はあるでしょうが、嫌な気持ちのままで最終日に臨んだことでしょう。そして最終日になって、ついにあの大事故が起こりました。  もっとも優秀だったはずの彼がなぜ減速をせずにコンクリートの壁に激突したのかは今でも謎のままです。マシン・トラブルがあったのか、コースの道に問題があったのか、反射光でも目に入ってしまったのか、突然の体調不良に襲われたのか、またはそれ以外の要因があったのかは不明です。
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 ただその大事故の結果、不世出の天才レーサーであり、我が国では“音速の貴公子”という異名を取ったブラジルの英雄アイルトン・セナは34歳の若さで人生を終えました。時代の英雄だった彼は愛してやまなかった母国ブラジルで国葬され、彼を愛してくれた国であり、生前とても慕っていた本田宗一郎が生まれた国であり、第二の故郷とも言える日本でも死後にセレモニーが行われました。  我々日本人には深く理解するのが難しいかもしれませんが、ヨーロッパの人々が絶対的な支配をしているF1の世界で、南米はブラジルの出身であるアイルトン・セナは常に異端児であり、その歯に衣を着せない言動やプロスト絡みの問題行動などもあったために数多くのトラブルに巻き込まれていきました。  人種や出身が絡むと人間は偏狭になってしまうようです。何かあっても、常にセナが悪者扱いされているようにぼくら一般のF1ファンも感じていました。サッカーの世界でアイルトン・セナアラン・プロストの確執を例えてみれば、ユヴェントスディエゴ・マラドーナミシェル・プラティニが入り、同じチームで10番を張り合うような状態だったのかもしれません。そんなこんな色々なことを振り返りながら、その日は眠りました。  で、今日は仕事の都合で新大阪に行かねばならなかったのですが、その仕事を済ませた後はフリーになりましたので、梅田駅まで地下鉄を使い、HEPナビオ(ナビオ阪急)にある東宝シネマズで上映されているこの映画『アイルトン・セナ 音速の彼方』を見に行くことにしました。
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 この作品が上映されているのを知ったのはいつも楽しく映画のお話をしている『寄り道カフェ』のシュエットさんに教えてもらったからでした。時間を作ってでも必ず観たほうが良いとのことでしたので、なんとかやりくりして、ついに梅田までやってきました。  今日は面倒くさい仕事が新大阪でありましたが、 「仕事が終わったら、すぐに梅田に行って、映画を観ればいいや!」と気持ちを切り替えたので、かえって仕事中も楽しく過ごせました。  映画のあとは毎月通っているリンパ流しのオイル・マッサージを受けに行く予定です。女の人ばっかりなんで最初の頃は戸惑いましたが、知り合いがきっちりやってくれるので、最近は平気になりました。  肩こり症なので、色々な治療法を試すのですが、最近はリンパ流しにはまっていて、月一か月二くらいのペースで通っています。やっているときは激痛が走りますが、やってもらうと身体がとても楽になるので、ちょっと高いのですが、疲れがとれないよりは良いので、続けています。  さあ始まりました。席はまばらでしたが、すぐに画面に集中しました。セナ側の言い分ばかりが強調されているのかなあと思ってはいましたが、存外冷静であったのには驚かされました。
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 レースの勝者は彼の死後も毎年生まれていますし、彼の記録もどんどん抜かれていくことでしょう。しかしまったく記憶に残ってはいません。  マンセルやシューマッハーが何勝しようが、ハミルトンが最年少で年間王者になろうが、ぼくの記憶に残っているのはアイルトン・セナアラン・プロストの確執であり、コースの周回レコードは叩き出すもののいつもマシン・トラブルを起こしてしまうネルソン・ピケでした。  さて映画なんですが、まずはオープニングで1978~1980年までのゴー・カート・レースで活躍しているアイルトン・セナの嬉々としている様子をホーム・ビデオが捉えていく。  そう。セナは貧乏人ではなく、裕福な家庭で育てられたのです。レースが楽しくてしょうがないという彼の本性が流されたあとに、映像は次に1984年のモナコに飛ぶ。  弱小チームであるトールマンのパイロットとなっていたセナは降り続く雨でぬかるんでいる公道コース特有の悪条件の中、ニキ・ラウダ後のF1界で、すでに名声を得ていた第一人者であり、その後に因縁のライバルとなるアラン・プロストのすぐ後ろとなる二位に躍り出る。
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 あと数周でトップになろうというまさにそのとき、プロストはオフィシャルに合図して、雨を理由にレースを止めさせる。結果、プロスト一位、セナ二位が確定する。まだこれが因縁の序章になるとは誰も思わなかったでしょう。  モナコには縁があったようで、彼はロータスで優勝し、マクラーレンでも優勝しました。モナコでの彼の奮闘はコックピットに設置されたオン・ボード・カメラに克明に記録されていて、全編を通して、このカメラからの迫力ある映像が随所に挿入されています。モナコのコースの狭さは半端ではなく、コックピットから見えるコースの路面と風景には観客の顔が間近に迫ってきていて、素人目にもその場所にいることの危険性が理解できる。  大画面で見るモナコ鈴鹿、そしてスペインの映像はぜひ劇場で見るべきものだと思います。映画は基本的にセナ側の言い分を中心にしていますが、これはF1への警告を兼ねているのかもしれません。  またアラン・プロストに対する憎悪は剥き出しになっていますが、たしかにそう思われても仕方のないことをプロストはやり続けています。競技面ではかなわないプロストは当時のF1会長がフランス人であることをフルに利用し、政治的にかつ執拗にセナに圧力をかけていく。
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 映画はトールマンからロータス、そしてマクラーレン・ホンダからウィリアムスという移籍の過程でアイルトン・セナアラン・プロストの避けられない確執からくるさまざまな争いを映し出していく。もちろんイヤなことが多い分、ヨーロッパ以外の世界中のF1ファンの人気と同情は彼に集まり、セナは正義で、プロストは悪役という図式がマスコミにより出来上がっていく。  この映画のなかには日本人には懐かしい映像が随分多く入ってきます。セナにインタビューする岡田美里マチャアキの元嫁)、SHOW-YA寺田恵子がシャウトする『限界LOVERS』が印象的だったタイヤのCM(しかもこのCMではセナとプロストが握手するのです!)、そしてフジテレビのF1中継などです。  ドキュメンタリーとしての部分が中心になりますが、アイルトン・セナの成績は1988年、1990年、そして1991年の三回に渡り、年間チャンピオンに輝き、不動の人気を得る。このころはプロストと3年に渡り鈴鹿で争い、ほとんどが嫌な印象を残していました。  なかでもプロストの姑息なクラッシュとその後のゲームス・マンらしい言いがかりにより、劇的なセナの優勝を失格扱いにして、六ヶ月のドライバー資格停止に追い込んだ1989年は特に後味が悪い。当時からフジテレビでの中継を見ていましたが、この頃はファンでもセナ派とプロスト派がはっきりと分かれていました。
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 1992年に電子サスペンションとコンピューター制御システムが導入されるとドライバーのテクニックはさして必要ではなくなり、マシンの性能のみで結果が決まるようになると、セナは勝てなくなりました。  二年間、このような状況であがき、ついにこの制御システムの持ち主であるウィリアムスへの移籍が決定しましたが、途端にこのシステムは使用禁止となり、その年のウィリアムズはマシン開発が遅れ、常にマシン・トラブルがチームとセナを悩ます。  宿敵であったプロストフェラーリを解雇された後に最後の大勝負としてウィリアムスと契約を結び、電子サスペンションとコンピューター制御システムを最大限に利用し、年間チャンピオンに輝き、ついに引退し、セナの前から姿を消す。  宿敵は去ったものの、ルール変更により、結果的に不安定なマシンに乗り続けなければならなかったセナが最後にああした形で最期を迎えなければならなかったのは必然だったのかもしれません。  セナへの憎悪はプロストだけではなく、ネルソン・ピケをはじめとする多くのドライバーや協会関係者にもあったのは明らかで、カメラはドライバーズ・ミーティングなどでの険悪な様子もしっかりと映し出している。  それと編集の結果ではありますが、不吉な言葉が数多く飛び出してくる後半、それも1994年5月1日、イモラの最後の日に、熱心なクリスチャンだった彼は聖書を開きます。
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 「神は大きな贈り物を下さるだろう。それは神自身である。」と書かれていたそうです。  映画は正味2時間で、1991年も年間チャンピオンとなった後、制御システム問題が起こった1992年以降となる後半の数十分間は徐々に重苦しいムードになっていく。音楽は暗いピアノ曲になり、ついに運命の瞬間を迎える。  カメラはサンマリノGPでのポール・ポジションを取ったセナの駆るウィリアムスの車体に取り付けられたオン・ボード・カメラの映像に切り替わる。数分程度の映像だと思うのですが、何度見てもかなり長く感じます。ぼくはこれから起きる出来事をもう数十回以上は当時から見ていましたが、やはり心臓がドキドキするのを抑えられませんでした。
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 事故後はピットの様子や各国の中継の模様が映し出される。プロストの顔も困惑していました。また冒頭で書いたフジテレビの中継も映像として収録されていました。  ピクリともしない彼はそのまま亡くなりました。すでに息が切れているセナの遺体を運ぶヘリコプターの映像は今も覚えています。彼は国葬され、世界中のF1ファンは悲しんだのではないか。ぼくはセナが亡くなってからF1を見なくなりました。  あとで知人に聞いてみたときにシューマッハーやマンセルが勝っていたことを聞きましたが、まったく気にもしませんでした。ハミルトンが数年前にデビューしてからしばらくは見ていましたが、あまり魅力は感じませんでしたので、また見なくなっています。  話は変わりますが、彼が亡くなってから3ヶ月経った七月の終わりの日曜日、ロマーリオドゥンガを中心とするサッカーのブラジル代表はロベルト・バッジョが孤軍奮闘していたイタリアを破り、1970年にソンブレロを被ったペレがメキシコで宙に舞って以来、24年振りにワールドカップを手に入れた。
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 彼らはアメリカでのワールドカップに備える合宿中、メンタル・トレーニングの一環としてあるビデオを見せられる。それはセナがF1でブラジル人として活躍して、貧困に喘ぐ国民にどれだけ勇気を与えたかという映像と死後の国葬でどれほど多くの国民が涙したかをビデオで見せられたそうです。ワールドカップ獲得後、ブラジル代表はセナに優勝を捧げました。  そんなことを思い出しているうちに、映画はエンディングを迎え、数々のオフ・ショットが挿入されていきます。セナ財団の活動内容なども知らされました。そして最後にこの財団の管財人の名前が紹介される。彼の名前はアラン・プロスト。憎しみあった彼らですが、彼らだけが理解できる各々の宿命や性質があるからこその就任だったのでしょう。国葬のとき、彼も当然ながら出席します。  かつての友、家族やガールフレンドたち、信頼していたスタッフや仇敵もみな彼の墓前に集まり、思い出に浸っています。なかでもガール・フレンドのひとりであるブラジルのタレントが彼にキスの雨を降らしていた映像を思い出しました。  年間チャンピオンを初めて取ったときのゲストとして彼を迎えた彼女はセナに1988年分、1989年分、1990年分、1991年分、1992年分、1993年分と言いながらキスを浴びせる。彼女のキスに1994年分はありませんでした。故意ではないでしょうし、意図したものでもありませんが、後から振り返り、その意味を考えるとなんともいえない気分になります。  見ているぼくらも映画を振り返り、そのシーンを思い出しながら、セナのことを考えていました。ぼくが持っているF1年間ダイジェストビデオのコレクションも1993年で終わっています。
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 というより1994年のサンマリノGPを最後にF1中継の録画もしなくなりました。それほど音速の貴公子がぼくら世代に与えたインパクトは絶大であり、いまだに彼の姿を追い求めてしまいます。セナならば、あのコースにどう突っ込んで行ったのだろうかとかね。  なにはともあれ、このドキュメンタリー映画の出来栄えは素晴らしく、生前の彼の走りを見たことのある人であるならば、思っている以上に眠っていた感情を揺すぶられます。それは彼への想いであり、本当はF1に再び熱狂したいという思いなのかもしれません。 総合評価 90点  
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