良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(1991)妻が撮った『地獄の黙示録』のドキュメント。

 今回は『地獄の黙示録』の補足として、コッポラの妻が映画撮影中に回していたカメラをもとに製作されたドキュメンタリーを書いていきます。DVD化されていない現状ではなかなか見る機会のない作品で、陽の目を見ないものになってしまうのでしょうが、妻をはじめ身内が撮影していたので、スタッフもカメラを気にすることなく、かなりリラックスして自然にカメラに収まっている。  1979年に世界中の映画ファンに大きな衝撃と戸惑いを与えたフランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』は2001年に特別編が公開され、50分余りの未公開シーンがようやく復活したことにより、映画ファンの間でふたたび話題になりました。  しかし今回は特別編についての記事ではありません。じつはこの映画では本編用とは別にもう一つのカメラとテープ・レコーダーがコッポラの妻であるエレノアらによって回されていて、それら身内のスタッフの手による映像に、新たに撮られた出演者やジョージ・ルーカスを始めとする関係者たちのインタビューを加えて、一本のドキュメンタリー映画として1991年に『ハート・ダークネス/コッポラの黙示録』として公開されました。
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 90年代当時はまだ特別編が公開される前でしたので、このドキュメンタリーに入っているフランス人のコロニー・シーンは新鮮でした。アメリカ人が自国に攻め込まれた訳でもないのに、縁もゆかりもない東南アジアで戦う理由に疑問を感じるなかで、フランス人たちは植民地に根付いているので、二世以降は祖国で彼らの土地を守るために戦うのは当然というロジックが提示されている。  先住民であるベトナム人からすれば、欧米人はどちらも侵略者にすぎないので、彼らの仮説、つまり彼らの祖国であるという考え方自体が間違いなのだと突き付けてくるであろう。  戦う理由が明確に示され、白人の身勝手さも示される重要なシーンではありましたが、コッポラはこの部分の予算を渋られてしまう。映画会社はこのシーンのセットには金を掛けても、コッポラの望み通りの俳優たちをブッキングすることに難色をしめしたのです。
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 レベルの落ちる出演者を用意されたことに苛立ったコッポラはこのシーンを全くなかったことにしてしまう。ですから特別編にこのシーンが収録されたことは個人的には意外ではありました。おそらく他のスタッフや身内が辛抱強く、コッポラを説得したのでしょうか。  まあ、今では普通に特別編に収録されているシーンではありますが、もし特別編がなければ、このドキュメンタリーでしか見ることの出来ないシーンであったので、今以上にこのドキュメンタリーのDVD化が望まれていたことでしょう。  出演者たちのモチベーションの低さや金銭への執着がフィルムで露呈されているのも興味深い。マーロン・ブランドの体重オーバーと台詞をまったく覚えていないことは有名ですが、彼は撮影前から手付けに100万ドルを受け取っておきながら撮影をキャンセルしようとするくせに、貰った100万ドルは返さないなどというムチャクチャなことをコッポラに告げます。
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 デニス・ホッパーの薬物依存症もひどく、原作を読んでいないし、台詞も入っていません。コッポラと両者の口論の様子もカメラに収められている。またその様子をつまらなさそうに口を開けて欠伸をしているマーティン・シーンの顔も新鮮でした。  大型台風などの天候にも苦しめられ、カーツの王国のセットも半壊し、作り直しを余儀なくされる。外貨を獲得したかったマルコス大統領は自ら協力を約束しながらも、フィリピン国内はゲリラに翻弄されていて、内憂外患のフィリピンを露呈する。
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 ゲリラを掃討するとの軍の指令により、撮影中でもお構いなしにヘリが作戦に向かってしまうという適当さに苦しめられ、出演者たちのモチベーションの低さに苦しめられ、映画会社の予算問題に苦しめられたコッポラが追い詰められて、精神的に極限状態に陥って、常軌を逸するような行動を取るのはしょうがないとこれを見たら納得し、さまざまな問題点があったことを理解するでしょう。  もともとこの作品はジョージ・ルーカスが監督し、ジョン・ミリアスが脚本を書くことが決定していたのがコッポラにお鉢が回ってきた作品です。結果論で言えば、コッポラはこの企画を受けて正解でしたが、当時は五里霧中だったのではないでしょうか。
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 インタビューがまた興味深い。なんといっても伝説の映画の当事者たちの肉声を聞ける機会は今でこそDVDのオーディオ・コメンタリーなどがあり、珍しくはありませんが、当時はそう多くはありませんでした。結果として、この映画の撮影には1976年に始まってから8ヶ月の時間がかかり、予算は2000万ドルに達し、編集に2年近くかかり、公開されたのは1979年でした。  このような撮影はもう二度とは出来ないでしょうし、そもそも企画が通らないでしょう。ちなみに最初にこの映画の原作であるコンラッドの『闇の奥』を映画化しようとしたのは1939年のオーソン・ウェルズでした。もし彼が撮っていたら、どのような作品になっていたのだろうか。『偉大なるアンバーソン家の人々』の完全版と並び、映画ファンの興味は尽きない。  2000万ドルの予算というと、円高の今では18億円くらいでしょうが、1970年代の貨幣価値ならば、50億円以上にはなるでしょうし、人件費や物資調達の容易さを考えれば、さらにこれ以上の使い道はあったろうと推察出来ます。
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 そういうことも併せて考えれば、この『地獄の黙示録』がメジャーの映画会社の企画として成立し、映画監督の自由裁量で、ある程度は好き勝手に撮影出来た最後の時代だったと言えるでしょう。  宣伝活動や興行収入などの金にまつわる話ばかりが目立つ現状からすれば、同じ金の話題でも映画の質を高めるために必要な予算を取ることに四苦八苦していた時代のほうが精神的に健全だったのではなかろうか。  しかし、まあ色んなことを話題にできる映画ではある。音楽と映像との補完性についても、もし詳しい人がやろうと思えば、ドアーズの『ジ・エンド』の歌詞が父殺しと母への近親相姦を扱っていることに注目し、ウイラードとカーツとの関係性について新しい意見を述べることも出来るでしょう。
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 映画の最初と最後でこの曲を流す意味についても、色々考えるのも楽しい。例えば映画の内容は『ジ・エンド』の世界観のなかで存在している悪夢なのだとか、まるで妄想ではありますが想像を働かすのは自由です。  また『ワルキューレの騎行』の使い方についても、ただ流すだけでも大迫力のシーンであるのに、曲の2つ目の盛り上がりになっていくコーラスが叫ぶパートに掛かるタイミングで、キルゴアのヘリ部隊が一斉に攻撃を仕掛けるという演出センスの素晴らしさは言葉に表すのが非常に難しい。  この映画の映像はとても強烈な印象を残すが、一面ではさまざまな憶測や見方が出来ることから解るように、じつはとても隙だらけの作品でもあります。つまり遊びを許してくれる度量の広い映画なのです。見たことのない方、敬遠し続けた方にこそ見て欲しい。どこかに必ず受け入れてくれる瞬間が来ます。そこを探しましょう。
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 『ジ・エンド』のオリジナル・テイクは『ハートに火をつけて』のレコードのB面5曲目に、つまり最後の締めに収録されていました。ちなみに『ハートに火をつけて』はA面の最後に収められていますので、彼らの代表的な二つの楽曲の位置は聴く者により強く印象に残る。アルバムを根気よく聴いた者にだけ至福が訪れる。この映画ではオープニングとエンディングで二度も流される。終わりの物語を始めて、再び終わりの歌が流される。無限のループであり、恐怖は終わることがないということなのでしょうか。  映画の本編はもちろん強烈な映像の塊ですが、本編よりも興味深いドキュメンタリー映画もあるというのをはじめて知りました。『地獄の黙示録』を深く知りたい方には必見の映画でしょう。 総合評価 90点