『涼宮ハルヒの消失』(2009)ついに劇場版までが登場した。しかしハルヒは脇役のようでした。
ついに去年はハルヒの劇場版までが公開されました。製作年度は2009年で、公開は2010年となります。最初にアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』を見てから、すでに数年が過ぎていました。
ただ、テレビ放送をリアルタイムで見ていたわけではなく、レイヤーさんが街を歩き出したり、レンタル屋さんでずっと貸出中になっていたり、動画サイトなどで多くの画像を見るようになってからなので、ファン歴としてはせいぜい三年位でしょうか。
近所のTSUTAYAでは新作を三本借りると、二泊三日が三泊四日になるので、そのサービスの調整用にと、それまでさほど関心のなかったアニメのDVD『涼宮ハルヒの憂鬱』の第一巻目(エピソード0)となる『朝比奈みくるの冒険』を見たのが始まりでした。
みんみんみらくるぅみーくるんるん♪のやつです。一般にも知られるようになったツンデレと萌えを上手く盛り込んで、オタクを囲い込むような狙い撃ち設定とよく考えているプロットの楽しさも手伝い、新作がレンタルに並ぶ度にすぐに借りるようになっていきました。
DVDでテレビ第一シリーズがいつのまにか終わり、第二シリーズがいつのまにか始まっても、ずっと借り続けました。去年の春先に、悪評もあったエンドレス・エイトの後のエピソードが発売され、TSUTAYAで借りていた頃、劇場版が公開されているという話も聞きましたが、僕が住む田舎の映画館ではついに掛かりませんでした。
公開は2月でしたので、それから10ヶ月が経った、暮れの12月の休みの日にふとこの劇場版のタイトルである『涼宮ハルヒの消失』が新作となって、一番目立つところに鎮座しているのが目に入ったときは即借りしました。
長門有希をキー・パーソンに持ってくる手法はこのアニメではさほど奇をてらった演出ではありませんでしたが、エンディング・テーマを彼女の声優が歌ったのが驚きました。まあ、微妙ではありました。
てっきり平野綾が歌うか、声優陣が勢揃いして、『ハレ晴レユカイ』のような賑やかなエンディングを迎えるものと思っていたのが、まさかの茅原実里の歌で、しかもアカペラでした。長門ファンにはオイシい劇場版だったのでしょう。
これまでの展開を知らずに見ても、そこそこ楽しめたでしょうが、知っていれば、さらに楽しく見ることが出来ます。あのエピソードがここに繋がってくるのかとか、あの娘がここで復活してくるのかとかを楽しむには全話コンプリートしたのちに見たほうが良い。
コスプレやしょこたんのような芸能人に多大な影響を与えたアニメのひとつが『涼宮ハルヒの憂鬱』ですので、食わず嫌いになることなく、ヱヴァや『らき☆すた』とともに押さえておきたい。これらを見て、それでも時間が余っていたら、『ひぐらしの鳴く頃に』や『うみねこの鳴く頃に』に挑戦しましょう。
アニメの劇場版というとテレビ・シリーズの総集編的なマニアをイラつかせる作品が多々ありました。ヱヴァにしても最新シリーズの序と破は完成度が高く楽しめましたが、何回も失敗しているエンディングへと向かう急(Q)以降がどうなっていくのかは依然不透明なままです。
その点、このハルヒの劇場版は人気のある原作本の映画化でしたので、サプライズはないものの安心して観ていられたのではないだろうか。ぼくは原作未見でしたので、純粋に一ファンとして楽しめました。
ただこの映画は見る者を選ぶ、一見さんお断り的な作品でもありますので、テレビ・シリーズの笹の葉ラプソディなどのいくつかのエピソードは見ておいたほうが良い。
ハルヒの映画化なのに、主役が傍観者的な視点でこれまでのエピソードを語ってきた、“キョン”君だったのは意外でしたが、長門にスポット・ライトを浴びせたり、キョンを殺しかけて長門に破壊された朝倉さんが復活していたりするのも併せると、オタクファンが喜びそうな焦点のズラし方なのかもしれません。
個人的にはキョンが刺されたときに彼にとりすがる朝比奈さんたちのカットが一番笑えました。タイム・トリップしているときに同一時間に同一人物が存在するのは本来SFではタブーのはずですが、そこはハルヒがねじ曲げた次元を扱った物語なのでOKなのでしょう。
禁足事項にも引っかからず、情報統合四面体もうるさくは言わなかったのかもしれません。今回、古泉くんはあまり活躍せず、ネコのしゃみせんも喋らずにエンディングを迎えたのはちょっと残念でした。
総合評価 70点