『アンストッパブル』(2010)題名は“止まらない”だが、止まっちゃいます…。
映画が始まり、画面上にデンゼル・ワシントンがゆったりと出てきて、どうやら彼が主役らしいという基本情報を理解した時点で、この乗り物系パニック映画のラストはハッピーエンドになることがすでに確定的事項になる。
『デジャヴ』でもそうでしたが、良心的な人柄がにじみ出る彼の顔つきと目つきを見ていると最初はこんな人の良さそうな彼に大きなトラブルが解決できるのだろうかと危ぶむ観客もたくさんいるのでしょう。
しかし心配は無用で、彼の演じるキャラクターは常に成長型なので、劇中の中盤くらいから事態をコントロールし始め、終わる頃にはスペシャリストと化して堂々としているはずです。前に出ていた同じような鉄道モノだった『サブウェイ123』はなんとも酷かったので、今回は大丈夫だろうか。
作品の構成はかなり単純で、貨物列車の運転手の度重なる判断ミスと不注意が原因で時速100キロ超で疾走する貨物列車を政治的な妨害もテロリストや犯罪者の介入はもちろん、鉄道会社の危機管理対応すらほとんどないまま、誰もがすぐに思いつきそうな解決策に気づくまで、80分以上を費やして、ただ止めるだけの映画です。
それだけではあまりにも殺風景だと感じたためか、メインの出演者たちであるデンゼル・ワシントンとクリス・パインの気まずい家族との私生活描写をまぶしています。
しかしながら、家庭は崩壊気味で、すでにお互いに無関心だったり、別れようとしていた彼らは現代のマスト・アイテムである携帯電話でコミュニケーションを取ろうとするが、どうにも上手く行かない。
しかし同じくマスト・アイテムであるテレビ局の放送で自分たちの家族である父や夫が奮闘しているのを見ると、急に家族愛が復活し、周りも安っぽい“USA!”礼賛ムードに包まれていき、ほんのちょっと前までは社会の片隅で這いつくばっていた陽の当たらない男たちを我が町の英雄に祭り上げていく。
それらもいつかどこかで見たストーリー展開であり、新鮮味がなく、無理やり劇的に展開させようとしていくものの、どうにもドラマチックとは言い難い。責任者がなぜか捕まることも尋問されることもなく、みなと一緒にテレビを見て、デンゼルたちを応援しているのは首をかしげるでしょう。
バラバラだったのがすぐにテレビに皆が反応し、すぐにまとまるのは音よりも、言葉よりも映像の方が力強く、心を揺さぶると言うことなのでしょう。また情報を最も知るべき立場にある鉄道会社の管理者たちよりもテレビの視聴者の方が情報を素早く得ているのも今回の地震後のわが国の状況に似ている。
ただし見どころはあります。疾走する貨物列車を捉える映像にはスピード感と怒涛の迫力があり、見る者を飽きさせない。少なくとも、コンチャロフスキーが黒澤明監督の脚本をグチャグチャにしてしまった『暴走機関車』のような残念さはこの作品には見られない。
映画の見所のひとつである繁華街の駅の手前での急カーブ走行の下りは40キロ以下でないと走行できないとさんざん言っていたが、なんとなくマンガのような動きで乗り切ってしまう。まあ、予定調和にしようとすれば、ここで列車転覆及びその後の火災と化学物質ばら撒きをやってしまうわけには行きませんので、それはそれでしかたがないのでしょう。
全体を通していくと、決して手放しで褒められる内容でもない。特に必要性が感じられないのが事故収拾後に関係者が市長か知事の表彰を受ける場面でした。
ずっと皆がバラバラの場所で事態の推移を見守っていた訳なのですから、家族が携帯をかけるショットから決死の行動で街を救った英雄たちが彼女たちの電話を受け取っている様子を台詞なしで、喜んでいるパントマイム的な演技に繋いでおけば、渋い演出で味のある佳作として残ったのかも知れないと思うと、なんとも残念ではある。
映画のラスト・シーンではすっかりヨリが戻っているクリス・パインと家族の断絶が嘘のように修復されているデンゼルの家族たちとのショットはどこか空々しい。嫉妬と勘違いから警察官である自分の友人に銃を向けるような男に、一度切れてしまった相手への信頼感や愛情が戻るとは思えない。
画面を見ると、貨物列車は上手から下手に向かって、ただひたすらに暴走する。デンゼル運転手は集積所へ到着するまでは同じ方向に進み、引き返すときは下手から上手に戻ってくる。
避難用の引き込み線での衝突サスペンス・シーンまでは貨物列車とデンゼルたちは画面中央で衝突してくる軌道の映像作りとなっている。ぶつかりそうになるまではクロス・カッティングの編集がされていて、サスペンスを煽る。
そして衝突回避のシークエンスのあと、つまり貨物列車が彼らの列車を通り過ぎたのを追走するときには彼らも上手から下手に向かうことになる。
自分たちの列車で猛追していく途上、後ろ向きで運転しているデンゼルと暴走列車と自分たちの追走車両を連結しようとするときのクリスとの会話のカット・バックもイマジナリー・ラインが配慮されていますし、暴走貨物列車の運転席へ向かうデンゼルを捉えるショットにも気配りがされていて、観客が戸惑わないような工夫がなされている。
当たり前といえば当たり前の気遣いなのですが、出来ていない映画が多いので、こういうところの編集や気遣いもついつい褒めたくなってしまう。必要か不必要か判断に迷う家族とのシーンはともかく、暴走する列車を主軸に怪物扱いをして、パニック映画を1本作ってしまう懐の深さはまだハリウッドにはある。
黒澤明脚本の『暴走機関車』が頓挫せずに無事に撮影されていたら、いったいどんな位置付けのパニック映画になっていたのだろうか。少なくともコンチャロフスキー版よりは十分に楽しめました。
総合評価 75点