良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『わが青春のマリアンヌ』(1955)多くのクリエーターに影響を与えた青春映画の金字塔。

 四十代以上となる僕ら世代には“わが青春の”という枕詞に続くワードは“アルカディア”でしょう。『宇宙戦艦ヤマト』や『キャプテン・ハーロック』、『銀河鉄道999』で有名な松本零士がこの映画から多大な影響を受けたのは間違いなく、本人もこの映画を愛しているそうです。  彼以外で明らかにこの映画の影響を受けているのがアルフィーの代表曲『メリーアン』です。嵐のような激しいギター・リフはもちろん、リリース当時は気づきませんでしたが、この映画を見た後で、このナンバーの歌詞を今思い出してみると、さまざまなシーンを思い浮かべることが出来る。
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 夜霧に濡れる森を抜けて  白いバルコニー あなたを見た  すがるような瞳と 風に揺れる長い髪  時めく出会いに 胸ははりさけそう  メリーアン メリーアン メリーアン  won't you stay for me  嵐の去った 真夏の夜  あなたの姿を 求めて歩く  夢から醒めた僕の 胸に残った幻想  誰もが通り過ぎる 道しるべか  メリーアン メリーアン メリーアン  won't you stay for me   改めて自宅にある『メリーアン』のCDを聴いてみたら、嬉しくなってしまいました。まさにこの通りの映画なのです。なかなか見ることの叶わない現状ではこの曲が持つ美しさと激しさで映画を見たときと同じ感情を味わえます。
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 メンデルスゾーン(クラシックの彼ではない!)原作の題名は『痛ましきアルカディア』です。『わが青春のマリアンヌ』はジュリアン・デュヴィヴィエ監督によるとても美しい作品であり、青春映画の代表的な一本ではあるが、現在は視聴環境に難があります。  この映画には冒険・ロマンス・幽霊話・ファンタジー・青春・思春期の悩みなど多くの要素が詰まっており、若い人がこれを見たならば、ぼくら40歳過ぎの人間が見るよりも多くの憧れやみずみずしい活力を感じ取ってくれるのではないだろうか。  今回、僕が見たのは英語字幕付きのフランス語版DVDでした。この映画は変わっていて、同じタイトルで同じ監督なのに、フランス語版とドイツ語版が同時並行で製作されていて、演者が少しずつ違うというややこしいことになっている。
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 マリアンヌ役のマリアンネ・ホルトとリズ役のイザヴェル・ピアは仏独とも同じですが、主役のヴィンセント役はフランス版がピエール・ヴァネックで、ドイツ語版がホルスト・ブッフホルツです。   大昔にVHSビデオが発売されたきりでいまだにDVDもBlu-rayも発売されていない。この映画を愛するファンは多いので、リリースされれば購入される方も多いでしょう。発売されていた日本語字幕版のビデオでは主演はホルスト・ブッフホルツによるドイツ語版でしたが、今回ぼくが20年ぶりに見たのはフランス語版です。  ドイツ語版のホルストのほうがこの役の年齢設定にはあっているようにも思えますが、彼もヴァネックも同じ年齢だったそうです。ホルストが良いと言っても、ヴァネックが悪いというわけではないので遜色なく十分に楽しめます。ポスターに描かれているのはヴァネックなので、公開当時の我が国ではフランス語版が上映されていたことになります。
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 ビデオがドイツ語版なのは不可解ですが、肖像権とか色々と問題があったのでしょうか。今回の記事ではビデオ時代のドイツ語版の写真を主に使っていきます。こちらの主人公、つまりドイツ人のホルストのほうが単純に男前に見えるからです。ただヴァネックが劣るわけではありませんし、今回ぼくが見たのもフランス語版でした。  ヒロインのマリアンヌを演じたマリアンネ・ホルトは若くて綺麗なフランス女性です。女性が使うフランス語独特の言い回しによる息が抜ける感じがとても官能的です。  小学4年のときに見た『リラの門』の記事でも書いたのですが、フランス人女性がフランス語をしゃべっているときの吐息のセクシーさを再び思い出しました。むせ返るような官能的な女の匂いが画面から漂ってくるようです。たぶんとても良い匂いがするんだろうなあ。
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 彼女の登場シーンはそんなに多いわけではなく、上映時間105分に占める時間はトータルでも15分程度でしかない。また最初にスクリーンに現れるまでに45分も待たされてしまいます。このときで10分少々、次がお祭りのときに車から顔を出すワンショットだけ、そして別れのシーンに出てくる7分のみである。  それでも彼女の印象は強烈で、きめ細かく透き通るような肌、涼しげで虚ろな目の強さ、エレガントな洋服の上からでも分かる豊満な胸(服のデザインかもしれませんが…)、よろめきそうで崩れそうな存在感に男はやられるでしょう。マリアンヌに母性を見るか、理想の女性像を見るかは人それぞれでしょうが、とても魅力的です。
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 しかしながら、さすがに四十歳を過ぎると、甘いも酸いも経験してきたからか、なんとなく平坦にも感じてしまう。それでも目で殺す魔性の女であることは間違いない。この映画での彼女を見ていて、そしてこの映画のストーリー展開を見ていて思い出したのは日本の有名な怪談のひとつ、「牡丹燈籠」です。  あのお話も魔性の女に魅入られた男が夜な夜な彼女に会いに行くものの、精気を吸い取られていき、徐々に衰弱していったところを坊さんに見られる。坊さんが見たのは廃墟かお墓だったかは忘れましたが、人魂が飛び交うその場所で、一人で狂わされている男だったというお話です。  もうひとつ思い出したのは溝口健二の『雨月物語』で、これも怪異譚に連なるお話でした。どちらも魅力的な魔性の幽霊に魅入られる内容です。この『わが青春のマリアンヌ』では彼女が幽霊なのか、幻なのか、実在の女性なのかは明らかにはなりませんが、どこか幻想的で、謎めいた女性として描かれる。
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 彼女が幽霊ではなく実在の人物なのだとほのめかされるカットがあります。それは強盗団がまず最初に屋敷に忍び込んだときに持っていった魔除けの二羽の白鳩を忘れてしまったいたのが、最後にマリアンヌを探しに戻ったときにも鳩たちが鳥籠で羽ばたいているカットです。  二羽の鳩は炭鉱のカナリアと同じ役割をしていて、霊的な存在に反応し、人間に知らせてくれるとのことでしたので、彼らが生きていることはマリアンヌがそこにいたことの証拠になる。  ただし実際に劇中で、マリアンヌに会ったのは主役のヴァネックのみで、短い間ではあったものの彼の親友だった、この映画のストーリー・テラーを務めたジル・ヴィダルもマリアンヌには会っていない。回想録としてこの不思議なお話をするのがマンフレッド役のヴィダルなのです。
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 そのほかにもうひとり印象的だった登場人物にイザヴェル・ピアがいます。校長の姪っ子(イザヴェル・ピア)は惜しげなく二度に渡って、花の蕾のような初々しい全裸をさらしているが、マリアンヌは一切露出がない。  嵐の夜に幽霊屋敷と呼ばれるマリアンヌの館からヴァネックが帰ってくる前のシーンで、落雷のために大木が寄宿学校(城)の部屋の窓を突き破るカットが挿入される。  大木(屹立したペニス)が部屋の窓(女性器)を突き破り、突き刺さったままになるというのは明らかに意味深長である。このカットの前には激しい嵐に翻弄されながら湖を渡ってきたヴァネックとマリアンヌのキス・シーンがあり、さらにそのカットの前にはすでに数時間が経っていて、ヴァネックは寝てしまっていたというシーンもある。
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 つまり大木が窓を打ち破るのは少年だった彼が謎の女性であるマリアンヌと経験を済ませたという暗喩であり、嵐と共に雄雄しく城に帰ってきた彼の興奮状態はまだ治まっておらず、そのあとイザヴェルが全裸で迫っても無視するのは大人の女性と恋に落ちたあとでは、年下の成熟していない女の子イザヴェルには何の魅力も感じていないということなのでしょう。  おそらく高校生くらいの年齢設定であるヴァネックから見ると魅力的なのは年上の女であり、年下は子どもにしか見えない。彼は母性を強く求める少年でしたので、どうしても年上の女性に安らぎを求めてしまうのでしょう。それでも最終的にはマリアンヌは消えてしまう。  彼にとってこれはショックでしょうが、もう母親を必要としない大人の男に成長したヴァネックにとってはマリアンヌは理想の女性像ではあるが、より現実的になっていく。
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 謎めいていて、透き通るように美しいマリアンヌが象徴するのは理想的な女性像のようです。『銀河鉄道999』のヒロインのメーテルのモデルになっているのがマリアンヌです。  はじめて見たのがいつなのかで印象がかなり変わってしまう作品で、できれば思春期に見るのがベストかもしれません。青臭いと取るか、瑞々しいと取るかは見る人によりはっきりと分かれてしまうでしょうが、絵画的な城内シーンや深い森の奥に静かに聳え立つ城の威容を見るだけでも価値のある作品です。
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 ヴァネックは動物を魅了する超能力を持っているという設定で、小鳥が肩にとまったり、番犬でも彼にかかると大人しくなってしまったり、彼を迎えに鹿たちが霧の中で待っていたりとファンタジー要素も強い。ラスト・シーンで雄雄しい牡鹿が彼を見送るのは印象的です。  幻想的な森の映像をより強く記憶に残すのが音楽です。一度見たら忘れられないほど印象深いのにまったく邪魔にならない音楽が素晴らしい。ヴァネックがギターをつま弾きながら歌うオープニングがシンプルで牧歌的でした。  深い森に差し込んでくる優しい陽光、ゆったりと森の中を移動するカメラは森を散策しているようで深呼吸したくなります。あたり一面に立ちこめる霧に包まれ、湖に囲まれた古城の威容、鹿や水鳥が行き来する豊かな自然、そしてついに舞台となる古城の寄宿学校にカメラは到着する。
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 森の動物たちもこの物語の主人公の登場を待ち構えるように学校の玄関前に集まってくるのですが、一体どうやって撮ったのでしょうか。台詞をいっさい使わずに物語の舞台をギターの音色とともに観客に見せて、物語世界に引き込んでいきます。  ドイツやオーストリアの山奥の自然が豊かに描かれているのも特徴で、深い森の奥にひっそりと満ち溢れる静かな湖の美しさ、霧が立ち込める城の全景、森に差し込む木漏れ日の美しさは一見の価値があります。動物たちも魅力的で、牡鹿の逞しさや水鳥が楽しそうに泳いでいる様子は生命力を感じ取れるでしょう。
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 アルゼンチンから来た少年ヴァネックを歓迎するために開かれた演奏会ではイザヴェル・ピアのピアノをフィーチャーしたモーツァルト(たぶん。台詞にヴェルディモーツァルトの思い出とともにというのがあり、ヴェルディには弦楽のイメージが強いので、そう思いました。)の曲を演奏する。  その返礼にヴァネックがスペイン語?(英語字幕が出ないので、何語でどういう内容が歌われているのかが意味不明。フランス語なのか、アルゼンチンから来たという設定なのでスペイン語と推測。)の歌を弾き語りで披露するシーンはカッコいい。  月の明かりはぼんやりと明るく、彼の美声とギターに引き込まれたように鹿が窓越しに眺める。彼はしかもこのときにタップ・ダンスをしながら、リズムを取っているのです。
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 俯瞰で捉えられている様子はテレビの音楽番組の収録のようで、昔ビデオで見たスキッフルを歌うロニー・ドネガンを思い出しました。聴衆のノリがスキッフルのそれによく似ています。1955年のヨーロッパ映画なので、ジーン・ヴィンセントバディ・ホリーらの瑞々しいロックはまだ入っていなかったのでしょう。  思い出してみると、中高生時代には転校生で大人びていて、ミステリアスで運動万能、歌が歌えてダンスが出来て、その上にギターまで弾けるとくれば、女子からも男子からもモテモテになります。  主人公は思春期ならば、周りの皆から崇められるのは確実でしょう。主人公のヴァネックはもともとフランス人だったのが親の都合で、アルゼンチンの地方都市ロザリオの大草原パンパでガウチョ(アメリカで言うカウボーイ)の生活を送っていたが、父が急死してしまい、母親が別の男に奔ったために彼の存在が邪魔になり、孤児院のような寄宿学校に預けられる。
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 物語の最初では母親への甘えが顔に出ていたが、さまざまな経験や運命的な出会いを経て、大人の男に成長していく物語です。ヴァネックはギターが弾けて、ガウチョで動物と話が出来る。南米の遠い異国アルゼンチンからやって来た彼は閉鎖的な環境においてはカリスマであり、引っ張りだこになっていく。  何も変わらない山奥の寄宿学校に束の間いただけの彼が20年以上経過しても、僚友マンフレッドの記憶に強烈に残っているのは当然でしょう。そして彼の回想録でアルゼンチンから来た少年が美化されていたとしても不思議ではない。思い出話とはそんなものです。  過去・現在の時間軸とヴァネックの視点とマンフレッド(ジル・ヴィダル)のそれが交互に浮かんだり消えたりしていくので、視点と時間経過が解りづらく感じる方もいるでしょう。また強盗団の言い回しが古くさく、あまりにも子供っぽいと思う方もいるでしょう。
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 それでもこの映画には必ず少年時代の思い出を呼び起こし、共感させてくれます。いつ見ても新鮮な魅力に満ちていて、また見たいと思わせる力があります。フィルムに閉じ込められたマリアンヌは少年を幻惑し、中年の親父をほんの束の間ではあるが若返らせる。  ただ花の蕾のようなイザヴェル・ピアに目が行ってしまう者は多分ロリコンだろう。まあ、四十を過ぎるとマリアンヌに惚れようが、イザヴェルに惚れようが、どっちもロリコンと言われてしまうのがツラいかもしれない。  ヨーロッパ映画の魅力的な部分に浸りきるにはもってこいの作品といえる。早く日本語字幕版 DVDが発売されると良いなあと思いつつ、すでに10年以上の歳月が過ぎ去ってしまい、覚悟を決めて、英語字幕版を購入しました。  NHKのBSで八年前くらいに放送されましたが、見事に録画を失敗してしまい、その後は機会を失いました。もうひとつ引っ掛かるのは主人公ヴァネックが歳を食い過ぎていて、半ズボンはさすがにキツイなあということでしょうか。 総合評価 85点