良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『寄席の脚光』(1950)イタリアの巨匠、フェデリコ・フェリーニの監督デビュー作(共同名義)。

 フェデリコ・フェリーニ監督の代表作『8 1/2』の“1/2”が何を指すのだろうと思った映画ファンは数少なくはないでしょう。この“1/2”は彼ひとりの監督作品ではなく、アルベルト・ラットゥアーラとの共同監督だったこの作品『寄席の脚光』やその他のオムニバス作品を意味したものである。  映画作家独自のフィルムへの想念や内なる衝動がもっとも強く焼き付けられるのは処女作でしょう。一番搾りに個性が表れることは多く、その後に技巧が磨かれて、成熟していくのが巨匠と呼ばれる監督たちなのかもしれません。それがたとえ短編であったとしても強い個性は溢れ出てきます。  ハリウッドのように仕事が細かく分業化されてしまい、監督の権限がかなり規制されてしまうとなかなか個性は発揮されにくいのは残念ですが、ヒッチコックのように彼しか編集が出来ないように撮影するメソッドを持った映画作家ならば、スタジオ・システムのなかでも作品の水準を意のままに保つことも可能でしょう。
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それでもそのような映画人は稀でしょう。そんなアメリカとは違い、というかスタッフ不足やスタジオの消失などが重なり、すべて自前でやらざるを得なかったのが第二次大戦敗戦国の実状だったのでしょう。  それでも戦後のファシズムへの反動や復興ムードも手伝ってか、ネオレアリズモのような斬新な気風が生まれていたイタリアでフェデリコ・フェリーニロッセリーニの『無防備都市』などの脚本を手伝った後に監督デビューを飾ります。  その記念すべき第一作目のタイトルが『寄席の脚光』です。題名を聞いても、ピンとこない方がほとんどでしょう。現在この作品はDVD化されていませんし、自分の記憶ではここ十年くらいは放送されたのは見ていません。
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 また放送されたとしても、かなり稀なのではないか。世界的に人気のあるフェデリコ・フェリーニ監督作品の中でも、なぜかこれだけが視聴困難となっています。  他には『カサノバ』もDVDセットを購入しないと視聴できないようにされていますが、金銭にこだわらなければ見ることはできます。まれにVHSがヤフオクで出品されていることもあります。しかしながら、この『寄席の脚光』に関しては大昔に販売されていたポニー・キャニオンのVHSテープの出物を待つしかない。  しかも、これがほとんど出回らないのも事実で、ぼくも7年くらい前からヤフオクAmazonをチェックしていますが、見つけたのは一度だけでした。出品者もこの作品の希少性を理解している人が少ないようで、3000円台で出ていることもあります。しかし、映画マニア同士で競り合いになると高騰する可能性もあります。
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 そして幸運にもぼくは前者の例、つまりノーマークのときに落札できたので、3000円台で落札しました。なかなか見ることが出来ない方のためにも、どんか作品だったのかを書くべきかと思いましたので、今回はこの『寄席の脚光』について書くことにします。  処女作においてもフェデリコ・フェリーニ監督作品によく現れる特徴がいくつも出てきています。サーカスへの憧憬は『8 1/2』『道化師』に見られるように古くからの映画ファンにはよく知られていますが、この作品の登場人物と舞台はまさに旅芸人一座のお話です。  楽しいサーカスを題材に取り入れつつも、一方で悲哀に満ちて、どこかシニカルな視点を忘れない。かといって突き放した訳ではない。感傷的に成り過ぎずに、しかも冷たくもないという絶妙なさじ加減なのです。
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 甘味と苦味のバランスが良いコーヒーのような作品群に思えます。イタリアらしいマンマ(頼れる女性)への依存心は当たり前のように顔を出す。歴史の古いイタリアという国なので数千年の長きに渡り、国家の浮き沈みを経験し、男女の揉め事や色恋を解決してきていますので、本質を見抜く能力や立ち回る本能は身についている。  こうした国の映画作家なので、人生には喜びよりも悲しみや苦しみのほうが多いことを知っているし、少ない喜びを味わい尽くすことが生きていく極意であることも理解しているのではないか。
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 翻って、わが日本も数千年の歴史を持っていて、良き伝統や慣習がたくさんありましたが、急激にあらゆる面で劣化してきている。  戦後世代が悪いという人も多くいますが、バブル崩壊後、つまり平成と元号が変わり、年月が経過するにつれて、劣化速度が異常に速くなってきているように思う。  自分に都合のいいときだけ欧米かぶれの人でなしのリストラだの法律だのを振りかざすのは間違えている。何かあったらすぐに他人のせいや国のせいにするのは不毛である。
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 欲得を抜きにして、冷静に考えると、ほとんどのことは自分で蒔いた種だったことに気づくはずです。文句ばかり言っていても、なにも先に進まないし、時間を無駄にするだけです。  働いている人は誰に言われずとも分かることですが、仕事にミスはつきものです。問題はそういうミスが発生したときの対応に尽きます。大人の価値はリカバリー能力の高さとスピードの速さなのではないか。  またトラブルもつきものなので、それを当たり前だと観念し、前向きに構える精神構造というか、思考法を身につけるように教育していけば、少々のことでは怯まない大人となるのではないか。
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 話を戻します。フェリーニらしさという点で見ていくと、頼りない中年男が優柔不断でウロウロする姿もお馴染みの光景でしょう。若くて野心的な女性を援助するものの、結局はただ踏み台にされるだけの彼の姿に涙しない中年男はいないでしょう。綺麗ごとを並べても、結局はお金がモノを言うという結末もビターですが、ペーソス溢れる笑いが苦味を緩和しています。  イタリア映画音楽の巨匠、ニーノ・ロータとはまだ仕事をしていませんが、楽しげなクラシックやジャズ音楽と映像の融合は彼らしい。どこかノスタルジーが漂う作風はすでに出来上がっています。  ジュリエッタ・マッシーナが演じた旅芸人の音楽芸はヴェルディらのクラシックを使っている。ナポレオンやヴェルディの物真似芸なのですが、いったい誰が似ているか似ていないかを判別できるのだろうか。当然、観客もブーイングの嵐なのですが、建国の英雄ガリヴァルディの物真似をしたときだけみなが拍手する様子は微笑ましい。
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 戦争に敗れ、アイデンティティを見失いそうになっている彼らにとっては原点に返るためにもガリヴァルディという旗印はとても大切な人間だったのでしょう。  その次のポイントとしては妻であるジュリエッタ・マッシーナが最初の作品からすでに参加している点も見逃せない。綺麗な女優さんとは言い難いが、なんとも言えない味がある。甘いも酸いも知り尽くしたような眼差しを観客に向ける彼女の魅力は他の女優に変えがたい。  この作品で興味深いのは百分弱の上映時間を一部と二部に分けていて、一部が旅芸人一座のみすぼらしい道中と新しいスターになる素質を持つヒロイン(カルラ・デル・ポッジョ)の登場を描いている。
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 彼女をモノにしようとしている中年男(ペッピノ・デ・フィリッポ)のしがない主人公である座長は自分がそうであるが故に彼女に群がってくる男たちの魂胆を理解している。  彼らを寄せ付けないために父親気取りで彼女をスターにしようと売り込んでいくが、彼女にとっては彼のような中年男は世に出るためのきっかけにすぎない。  彼女は“親切”な座長を利用しているにすぎず、恋人などとはまったく思ってもいない。中年男が逆上せあがって、勝手な妄想を膨らませて勘違いしているだけなのだ。
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 冴えない中年男の間が抜けた疑似恋愛とその顛末を描いたのがこの作品です。金がまったくないにもかかわらず、自分の生活もままならないにもかかわらず、彼女を売り込もうとするさまは間が抜けている。まさにピエロの映画だと言えます。コメディの中にこそ悲劇がある。  中年男はジュリエッタ・マッシーナと婚約していたものの若い女に逆上せていた彼は一度はジュリエッタを捨てる。しかし分不相応な恋に奔走し、貢いだ中年男も結局は体よく彼女に逃げられてしまい、元の鞘に収まっていく。  ほろ苦いコメディで、フェリーニらしさはそこかしこに漂っています。ハッとする斬新な構図もあちこちに散りばめられています。郊外の金持ちの家から追い出されていく道すがら、真っ直ぐに伸びる一本道とその脇に植えられた木々が同時に捉えられるショットは印象的です。
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 一文無し状態のときにはイタリアの地方城郭都市内部にコソコソと狭い門から入っていったのが、人気が出てきて戻ってきたときには立場が変わり、都市全体を俯瞰するショットから大きな入り口へと帰還してくる自慢気な様子が画面を見るだけで理解できる。  ちょっとしたカットにネオレアリズモ的な雰囲気が残っているのもなんだか嬉しい。ジュリエッタ・マッシーナの優しさと存在感の大きさ、しがない旅芸人一座とフリークスのような奇妙な登場人物たち、豊満な肉体を持つ大女、間が抜けた中年男などフェリーニらしさはすでに充満しています。  共同監督作品だと知らずにこれを見ていても、さして違和感はないだろう。当時のイタリア映画界の新鮮な魅力を存分に楽しめる佳作です。DVD化されるか、放送されるかしたときには是非ご覧ください。たまにヤフオクに出品されるかもしれませんので、そのときは即買いをオススメします。  いったいなぜこのような佳作が試聴困難な状態になってしまっているのか不可解ですが、権利関係で揉めているのでしょうか。 総合評価 78点