良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『マドモアゼル』(1966)ジャンヌ・モロー主演、ジャン・ジュネ脚本のエロティック・スリラー。

 一本の映画DVDを発売日前に注文したつもりになっていましたが、Amazonのカートを確定させていなかったことに先週になって、ようやく気付きました。  あらためて注文をしたところ、ようやく昨日になって、前から見たかったジャンヌ・モロー主演、ジャン・ジュネ脚本による『マドモアゼル』のDVDが届きました。Amazonでは注文時に在庫なし扱いにはなっていませんでしたが、なぜか1週間以上も待たされました。
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 まあ、急ぎというわけでもなかったので特に問題でもないのですが、ある商品は注文の翌日に届いてみたり、別の商品は4日くらいで到着したりと納品タイミングがいまいちよく分からない。たぶん出荷の時間と注文する時間が上手く合えば、早目に来るのでしょう。  トラウマ映画館で紹介されていた作品が先月3本まとめてDVDリリースされています。それらのうち、『ある戦慄』は近所のTSUTAYAに入荷されたのを即借りしましたし、この『マドモアゼル』も購入したので、残りは『リチャード・レスターの不思議な世界』のみとなる。
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 個人的には『バニー・レイクは行方不明』『眼には眼を』『愛すれど心寂しく』などを見たいし、またトラウマ映画館とは関係ないが、現在ソフト化されていない『ベン』と『ウィラード』も見たい。  モノクロのジャンヌ・モローブニュエルの『小間使いの女』で見せた退廃的なエロスとは違い、より直接的で獣のようなエロティックな演技でぼくらに迫ってきます。
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 構図はさらに扇情的で、ジャケットにもなっている、跪いたマドモアゼル・ジャンヌが見上げるようにイタリア人労働者(エットレ・マンニ)の股間の下に屈伏している様子をはじめ、映画的に他を圧倒する力を持っています。  フランス(ジャン・ジュネ脚本)とイギリス(トニー・リチャードソン監督)の残酷かつ甘美な部分をブレンドした映画らしく、お子さま向きではない大人のニーズに応える上質な映画に仕上がっています。もっとも彼らを融合させたのはジャンヌ・モローであり、カメラマンのデヴィッド・アトキンの功績がかなり大きい。
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 冒頭で黒衣を纏ったジャンヌはダムとなっている貯水槽の止め栓を故意に開放し、下流地域を水没させ、家畜を殺す。この激流が家屋を呑み込んでいくシーンはハリウッドのような派手さはないが、カメラの視点を下げて、少ない水量を感じさせないように上手く撮られています。  さらに彼女は農家や畑を放火して、歓喜の表情を浮かべる。花嫁が身につけるという綺麗な花弁を折り、花に煙草の火を押し付け、可憐な花を台無しにする。結婚を憎悪しているようにも見える。
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 彼女の行為は次第にエスカレートしていき、家畜用の共同井戸に多量のヒ素を混入させ、家畜を死に追いやる。放火も当初の廃屋ではなく、住人がいる家屋にまで火を放ち、放火殺人まで仕出かすようになる。  今までに見たどのジャンヌ・モローよりも悪質で感情移入しにくいキャラクターを演じている。小学校教師である彼女は時に優しかったり、時にヒステリックだったりと分裂症気味に見える。
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 田舎においては目を引く彼女ではあるが、パリでは何かしらのワケがあるようではある。面白がっている男たちも彼女は所詮パリにはどこにでもいるような平凡な年増の女でしかないことを知っている。  ジャンヌの部屋にあるいくつもの鏡が何度も繰り返し画面に登場する。そこに写し出される彼女はカメラに捉えられている彼女よりもとても醜悪に見える。彼女の本性が醜いのだというメッセージとも取れる。
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 さらに彼女は二重人格者であり、普段他人へ見せる表情とはまったく違う魔性の持ち主であることを観客に理解させるために鏡が一役買っているのでしょう。  中盤から後半に差し掛かってくると、彼女は手鏡を持ち、さらに奥には三面鏡があり、そこに写し出される彼女が鬼気迫る顔で祭りである放火の準備に勤しむショットが出てきます。また川面に映る彼女はまるで地獄の住人のようでもあり、薄気味悪いショットでした。
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 あまりにも繰り返し、実像と虚像が写し出されるので、カメラという神の視点を与えられて、安全地帯にはいるものの、邪悪な所業の一部始終を見るはめになる観客は彼女が隠している恐ろしさにおののくことになります。  見る前はこれを悲劇的なラブ・ストーリーなのではないかと思っていたのですが、見続けていくと、エロティックな要素が濃いサイコ・ホラーに変わってきます。
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 ジャンヌらしく、フェチな描写も数多く、ブニュエルの『小間使いの女』で足を老人にキスされていた彼女がこの映画では自らが奴隷の立場になって、男の作業靴に頬擦りしながらキスをし、男のシンボルの前に跪く。  ジャケットにもなっている男の下半身越しにひざまずく彼女のショットはスチール写真であり、本編には出てきません。それでもこのショットは強烈な印象を見る者に与えます。
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 森で労働者の男が蛇の鎌首をしごきながら彼女の顔に近づける行為、「怖くないよ。」と話しかけることが何を意味するかは誰でも分かるでしょう。  社会的に模範でなければならなかった教師という肩書きと貴婦人の気位の高さを持っていても、一皮剥けば、牝 の性衝動は抑えきれない。
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 彼女は連続放火をすることでセックスの代償行為とする。燃える炎は性欲の強さであろう。それだけでなく、嫉妬に狂い、独占欲の強い彼女は自分から肉体関係を求めて労働者に身体を与えながら、強姦されたと嘘をつき、彼を死に追いやる。  暗闇で自分が貪るように男に犯される彼女は恍惚の表情を浮かべる。好きな男に身体を与えたはずの彼女なのに翌朝には彼に死を与える。
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 マドモアゼル・ジャンヌの正体に早くから気づいた労働者のひとり息子(キース・スキナー)は蔑んだ目で彼女を見つめる。社会的に高い地位にある女のいやらしさをまざまざと見せつけられる。  犯罪者扱いされて虐殺された外国人労働者の息子として自分の境遇を受け入れざるを得ない悔しさはジャン・ジュネ自身の投影なのでしょう。すべてを知る彼は彼女に向かって、軽蔑の唾を吐く。観客の心を代弁するかのようでした。
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 ジャンヌ・モローはこの作品の出演時にはすでに四十歳前ですので、当時の感覚ではかなりの大年増です。行き後れたオールド・ミスが抑圧された性衝動の代償行為として選んだのが近隣農家への放火や家畜の虐殺というのは衝撃的ではありますが、ないことではない。  ただ他と違うのは罪を犯した自分は逃げ切り、立場の弱い者を犠牲にしても、平然と元の暮らしに戻っていくところでしょう。キリスト教圏においては彼女は現実世界では逃げ切っても、地獄で贖罪しなければならないという考えも成り立ちます。
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 観客には神の視点が与えられます。各々は彼女にどういう審判を下すのだろうか。作中では描かれないが、森での情交時に嵐が起こり、雷鳴が轟くシーンがある。  雷が彼らのいずれかに落ちれば、それは天罰のイメージなのでしょが、ホラー映画では悪魔の登場シーンである。彼女に落ちれば天罰でしょうが、ここでは悪魔の本性を表す場面と理解すべきなのでしょうか。
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 野蛮で粗野な男を嫌悪するか、見た目は美しいが中身は悪魔の女に同情するか。誘っているのは女だが、傍目には強姦された憐れな女のように見える。一概に冤罪とは言い切れませんが、現実にも起こり得ることです。  ハリウッド映画などでは悪は必ず裁かれなければならないという脚本の決まりがあった時代でしたので、公開当時にこのヨーロッパ映画アメリカで観た映画ファンはさぞ驚いたのではないでしょうか。
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 アメリカや日本の勧善懲悪やハッピーエンドを期待する向きには好まれないでしょうが、十代でこういった毒のある映画から衝撃を受けると、それは免疫となり、普通の作品には物足りなさと嘘っぽさを感じてしまうかもしれない。  人生の恥部や人間の業の深さを抉り出せたのが当時のヨーロッパだったのでしょう。ミヒャエル・ハネケラース・フォン・トリアー作品にはこういう毒の強さが受け継がれているようにも思います。毎回、このようなショッキングな作品ばかりを観るのは疲れてしまいますが、年に数本は彼らの毒気を味わいたい。 総合評価 88点
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