良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』(2012)やっと完結編を迎えたが、まだ続きそう…

 つい先日記事にした『夢売るふたり』を観た後に一時間ほど余裕があったのでランチを食べてから、その日に続けてもう一本、『踊る大捜査線FINAL』にも足を運びました。  前作『踊る大捜査線THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』の出来があまりにも期待外れだったので、今回は行くのを迷ってはいましたが、テレビドラマからのファンなので、完結編という言葉に釣られて、結局観に行くことにしました。
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 フジテレビが公開前の宣伝にやたらと力をかけていましたので、劇場でも一番大きめのスクリーンが用意されていましたが、悲しいことに三割も席が埋まっていません。  観客は正直ですので、どれだけマスコミが無理やりに盛り上げても、昔からのファンは懐かしさとともに映画館まで通うが、新規のファンを獲得するほどの魅力はすでにないのでしょう。
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 もちろんオープニング・テーマが鳴り響き、織田裕二深津絵里ユースケ・サンタマリア柳葉敏郎らの名シーンがフラッシュのように次々に映し出されると一気に15年前に戻してくれる。  ただ、それでも魅力はかなり色褪せてしまって、新鮮味はない。本来であれば、劇場版以降に出てきた小泉孝太郎小栗旬、伊藤惇史(正義の味方チビノリダーの印象が未だに抜けない。)らの新キャラクターがもっと輝いて来るべきなのですが、なんだかんだいっても、美味しいところをドラマ時代のベテランが持っていくので、彼らも内心は快くは思ってないのではないか。
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 特に小栗旬に関してはもともと決まっていたのはいかりや長介が演じたドラマのキー・プレイヤーだった和久さんの甥っ子の役だったことがファンにも知られています。  圧力に負けずに本来の役柄通りだったならば、織田裕二を押しのけて、新たなシリーズの看板役者として活躍できたのは確実なので、あんな役であんな消え方をするのは惜しまれます。役柄が組織側にいても、あの和久さんの甥という設定が付いていれば、小栗と織田を新たな軸にした展開も出来たはずです。
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 様々な圧力やごり押しで幾人かの演者が不遇をかこつさまは醜悪で、ドラマとは真逆の印象を受けます。独立騒動の際の水野美紀への嫌がらせや小栗旬の役柄変更など事件は会議室で起こっていることがファンの目にも明らかになっています。  当時は上手く時代に乗っていた演出ももはや古くなってきていますし、芝居が上手いとは言い難い、無意味なジャニーズ出演がレベルをさらに下げており、彼が物語世界にマッチせず、新規の観客動員に結び付かないのになぜ製作サイドははっきりと断りを言えないのだろうか。
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 彼でなくても良いですし、表情が少なく、台詞棒読みの彼がその犯罪を引き起こす動機と現実感が異常に低く、加えて弱い。エリートが起こす犯罪にしてはレベルが低いし、共感も出来ない。香取が出てくるからバナナがリンクしてくるというのはお粗末を通り過ぎて、あ然とします。  そもそも専門職でもないプロファイラー的な手法で織田が直感だけで犯人を追い込んでいくという展開も無茶苦茶ですし、まったく現実味のない陳腐なやり方ではないか。プロファイル自体がドラマになったのは10年以上も前でしょうし、古臭い印象をさらに強くさせてしまう。
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 深津絵里が民間バスで突っ込んでくる必然はなく、そもそも子どもを巻き込む可能性が大きすぎるし、谷岡ヤスジのギャグ漫画だったならば、全員ペッチャンコになっているでしょう。あまりにもご都合主義的な演出ばかりで、どんどん冷たい目をスクリーンに向けてしまいました。  所々に懐かしいなあと思わせるやり取りがあるのですが、付いていけたのは前半までで、後半以降は柳葉敏郎いかりや長介の台詞を真似させる。この演出に至っては意味不明で、本当の意味でこのドラマは終わってしまったことを古くからのファンにも告げた気がします。
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 新たなる希望というサブタイトルも時代遅れで、スター・ウォーズ・シリーズ自体がもう過去のモノになっているのにこういったタイトルをつけてしまうことが製作者の感覚が賞味期限切れであることを示してくれる。  深津の上司役だったヒップアップの小林すすむも亡くなってしまったこともあり、なんだかモヤモヤした気持ちになってしまいました。先にこちらを観て、そのあとに『夢売るふたり』にしたら良かったなあと後悔しつつ、映画館の観客が疎らでスカスカのスクリーンを後にしました。  総合評価 55点