良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『かぐや姫の物語』(2013)ジブリのもう一方の雄、高畑勲が放つ、素晴らしい映像美。

 宮崎駿が先日引退を決め、日本映画界がまた寂しくなりましたが、ジブリのもう一方の雄である高畑勲の新作が同じ年内に劇場公開されるとは思いもよりませんでした。  今年の夏に公開された宮崎駿監督作品『風立ちぬ』との同時公開には間に合いませんでしたが、同じ年の公開は『となりのトトロ』と『火垂るの墓』のとき以来25年ぶりとなります。
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 今回、『かぐや姫の物語』の作画は予告編で見る限りは『まんが日本昔話』みたいでかなり懐かしい雰囲気を漂わせつつも独創的で、『ホーホケキョ となりの山田くん』がジブリ作品として公開されたときとは違った意味で驚かされました。  綺麗な紙芝居を見ているような幻想的な作風は上質の和紙や色紙に描いているようです。作画は物語と一体となって、絵巻物的な独特の世界観を生み出しています。
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 なぜ今さら誰でも知っている昔話の『かぐや姫』をモチーフに映画製作に踏み切ったのだろうか。物語はお伽噺ですので、誰にでも理解できます。となると製作の狙いは画面そのものをじっくりと味わって欲しいということだろうか。もしくはあまり知られていないエピソードでもあるのだろうか。  作品ではいわゆる“かぐや姫”では描かれてこなかった彼女の子供時代や彼女の心情を丁寧に描いているのでこれまで有名ではあるものの人気キャラクターとは言えなかった彼女に対して感情移入しやすくしていますので自然と画面に見入ってしまいました。
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 『竹取物語』の映画化というとぼくら世代が思い出すのは当時の美人若手女優として人気があった沢口靖子を起用した実写版がありましたが、ピーター・セテラの英語の歌を主題歌に使うという致命的なミスもあり、あまり芳しい評判を聞いた記憶がない。  『飢餓海峡』の内田吐夢監督で製作する動きもあったようですが実現しませんでした。個人的には女を描かせれば天下一品だった溝口健二監督に撮って欲しかった作品でもあります。
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 それはそうと『ホーホケキョとなりの山田くん』を観たときに感じた、高畑勲監督がジブリ・ブランドのイメージを粉々にするような破壊衝動を秘めている感じはなく、重々しくも、あたたかい感情が沸き上がる素敵な作品に仕上がっています。  綺麗な作画で汚れた目を洗ってもらいに劇場へ向かいましょう。映画館に来てみると土曜日ということもあり、チケット売り場には200人以上が並んでいて、「さすがはジブリ!!」と思っていましたが、よくよく周りの親子連れの会話や列を仕切っているスタッフの誘導を聞いているとお目当てはルパン三世とコナンくんの初日だと判明しました。
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 実際、いざチケットを購入して上映スクリーンに来てみると開始15分前でしたが、ぼくが一番乗りでした。最終的には15人くらいが入ってきましたが、土曜日の一回目としてはちょっと寂しい気がします。  集まっているメンツもおじいちゃんとおばあちゃんの二人組が3組(すでに6名)、カップルが二組(4名)、親子連れが二組(4名)、あとは一人で来ている人が2人だけでした。問題を起こしそうだったのは親子連れで案の定、難しい場面になってきたところで子供の集中力がなくなり、何度かしゃべりだしたり、前の座席を蹴ったりしていました。相変わらず鬱陶しい輩は必ずいるものです。  まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ  まわって お日さん 呼んでこい  まわって お日さん 呼んでこい  鳥 虫 けもの 草 木 花  春 夏 秋 冬 連れてこい  春 夏 秋 冬 連れてこい
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 それでも丁寧な仕上がりはちょっとしたイライラを忘れさせてくれますし、製作時間をかなり掛けていることもあり、最近のジブリ作品中では作画においては最高レベルだと思います。暖かさと厳しさ、激情の場面では暖色に満ちていた画面が水墨画のような画に切り替わり、風を切る線も太く、荒々しくなっていく。  姫が虚飾に満ちた都から逐電するシーンでは華やかだが心がない都(暖色が多い)と激しい怒りが支配し、疾走する姫の姿(白と黒、そして赤のみ。)が印象に残ります。カラフルな色合いのシーンよりも色彩が少ない世界の方がより強い感情が描かれるのが興味深い。
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 春夏秋冬の季節の移り変わりと姫の成長をリンクさせていくので月日の流れが分かりやすく、里山の自然の描写を見ていると個人的に大好きで毎月必ず歩いている三輪山の山野辺の道を思い出す。季節ごとに鳥、虫、けもの、草、木、花を堪能できる三輪山は昔どこにでもあった風景を楽しませてくれます。  物語の設定、つまり大自然で野原を駆け回っていた少女が都会の上流階級の暮らしの中でもがきながら、悩んでいくという流れは『アルプスの少女ハイジ』を思い出します。
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 捨丸に当たるのはペーターなのだろう。またロッテンマイヤーさんを彷彿とさせる教育係の相模も出てきます。ただこの物語にはクララは出てこない。姫につくお世話係の女童が柳原可奈子(もしくはキンタロー)にそっくりなので、ずっと彼女を思い浮かべて笑いそうになっていました。  このキャラクターは製作サイドのイチオシのようで映画館の売店では彼女をモチーフにした商品を多く見かけました。女童(めのわらわ)と読みます。今回の最大の目玉は実は声当て作業で俗にいうアフレコではなく、プレスコを採用しているためにより自然にセリフが耳に入ってきます。
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 出来上がった画面に、つまり型が決まっている映像に声を当てていくのではなく、まず先に声を録音してからそれに合わせて画を描いていく手法をとっています。効果的な方法で多くのアニメ映画で不評となっていた声の問題をクリアしている。よりリアルに物語世界に入っていくことが出来たのはこのプレスコの影響が大きい。  テーマは人間として生きていくとはどういうことなのかを描き出します。お姫様として何不自由なく暮らすことが果たして生きていると言えるのか。何も悟りを得られずにただただ時間を浪費してしまうかぐや姫ですが、時間を無駄にするというのは多くの人たちが直面している罪でもある。
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 また仮に樵衆に付いていったとしても、存在が浮かび上がるであろう彼女に未来はあったのか。どちらにしても人生は物質的もしくは精神的に苦労するように出来ているので、ただ嘆くのではなく、その場その場をしっかりと生きてゆけば良い。  嫌だ嫌だと言いながら、いざお迎えが来ると取り乱し、いつまでもそこで暮らしたいというのは煩悩であり、強欲です。死んでしまいたいと漏らしたり、不満ばかりを言っているとお迎えという罰を受ける。お迎えシーンはよく見ると笑えてしまう。
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 雲に乗った月の神様御一行が神楽を奏でながら嫌がる姫を拉致していく。アダプションみたいですが、天女の羽衣を纏わされるとすべての記憶を失ってしまい、月へ帰っていく。  声優陣も主役(朝倉あき)をオーディションで選んでいるので、有名俳優ありきで作品世界を台無しにすることもなく、音楽を担当した二階堂和美や主人公の歌声がシンプルでとても心地よい。神楽で女の人が歌っているような温かみがあります。『わらべ唄』『天女の歌』は高畑勲自らが作詞を手掛けています。
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 大画面でこの美しき映像美と力強いメッセージを受け取ってください。個人的には『風立ちぬ』よりもこちらが好みですし、上映期間中に再度観に行きたいなあと久しぶりに思える作品でした。今年はこれで映画館行きを終えるべきか。余韻を楽しんで新年を迎えたい気持ちもあります。  そうはいってもこれからお正月映画シーズンに入っていきますので、なんだかんだと映画館まで観に行ってしまうでしょう。映画が好きだから。
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総合評価 82点