良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『最後の脱出』(1970)近未来のロンドンが無法地帯に!コーネル・ワイルドの異色SF。

 『最後の脱出』は大昔にテレビ放送で一度見たきりになっていた近未来SF映画で今でも強く印象に残っています。  深く記憶に刻まれている理由としては以下のようなことが思い浮かんできます。それはストーリー展開の深刻さとオープニングで流れる主題歌があまりにも暗いことでした。
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 「草も生えない~♪鳥も歌わない~♪」  「笑い声も聞こえない~♪」  「夢も希望もない~♪この先どうなるか誰もわからない~♪」  「若いころ、地球は緑でいっぱいだった~♪」  「子供のころ、海は青かった~♪」  「花は咲き乱れ、木々は生い茂っていた~♪」  「ちっちゃいころ、空は青かった~♪」  「ぼくらは火星を探索し、月面で歩いた~♪」  「もうすぐ星へも旅できるだろう~♪」  「でも草も生えない、愛も過去のことだ~♪」  「きみとぼくの愛も終わるだろう~♪」
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 どうでしょう。あまりの暗さに幼少期の僕がどれだけのショックを受けたかわかるでしょう。輪をかけるようにサブリミナル映像的に環境破壊や貧富や人種の差による扱いの違いをこれでもかこれでもかと畳みかけるように見せつける。動物や家畜の死骸や汚染されてドロドロに濁った海や川を映し出し、それでも化学物質を垂れ流すことを止められない人類の強欲さが描かれる。  また久しぶりにオープニングの映像を見ていくとあることに気づきました。それは紙芝居風の画がこのテーマ曲が流れているときに映し出されていることです。
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 これはもしやコーネル・ワイルドではないかと思い、注意深く見ていると監督が彼であることが判明しました。彼の作品であると分かった後ではその後のトラウマ的展開も納得がいきますし、なんだか記憶に残っている多くの原因が分かりました。  ふつう映画の主人公は悲劇であろうと喜劇であろうと観客が感情移入しやすいように等身大で現実的なキャラクターが設定されることが多い。
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 不特定多数の人が見る映画という娯楽ではモラルの問題があるので主人公たちは正義感だったり、目的達成のための強固な意志を持っています。  また悪漢が活躍するギャング映画などのジャンル物があったとしても、主人公はほとんどの場合は悲劇的な結末を迎える。
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 ここに他の映画との相違点があります。この映画の主人公ナイジェル・ダベンポートは最初は常識を持つ父親であり、良き夫、そして善良なロンドン市民として登場する。  そんな彼が新種ウィルスによる穀物(米、麦、トウモロコシ)絶滅が招く世界的な食料危機と戒厳令発動や疫病蔓延を阻止するために中国政府が行った毒ガス散布(あくまでも映画上。)など社会不安による秩序崩壊が起こるなかで、生き抜いて兄が経営する郊外の農場まで向かっていく。
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 その大目的、つまり絶対法則は生き残ることであり、このために徒党を組み、警官を射殺し、食糧や自動車を奪ったり、あるいは奪われたり、妻や娘を強姦される。  厳しすぎる新世界で生き抜く知恵を身に付けていく内に大人数の頭目となって加害者グループである暴走族との再度の邂逅を果たす頃には戦闘力も増していて、彼自身の精神も荒んで獣性が増し、彼らを返り討ちにして復讐を果たし、ようやく兄の農場までたどり着いた頃にはただの野獣と化してしまう。
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 スコットランドの農場にたどり着いた際にいきなり兄のグループからの射撃を受けるが、これはただ誰だったかが分からなかったというだけではなく、本能的に敵性グループだと判断されたからではないか。  仲間をすべて農場に入れてもらうという要求が受け入れられないことを察すると彼らを襲撃して殺害し、自分たちグループが農場を占拠して物語は終わる。残酷であるがリアルな恐ろしさが見た後も残ります。
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 ただし驚きはありません。オープニングで監督はコーネル・ワイドであることが判明していましたので違和感はない。ああ、納得。彼ならば、こういう人間性の暗部や恥部をえぐり出すのは得意です。  『ビーチレッド戦記』『裸のジャングル』を撮った彼ならば、こういう展開に持っていっても不思議はありません。そういえば挿絵のようなオープニングの作りが彼の映画らしい。
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 彼の映画にはいつも苦味というか、なんとも割り切れないエグ味があるので、見終った時にスカッと爽快感を味わうことはありません。どこか引っかかる感じや後ろ髪を引かれるような思いがついつい顔に出てしまう。  知恵を持つ人類がその知恵を悪用する方向性へ特化していく過程では弱肉強食の論理が大手を振るう。戦国時代や三国志の時代に現れる山賊や暴徒と同じように、無法者が群れをなして、強い者にやられたら、自分たちよりも弱い者を襲撃していく。
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 新たな権力構造のピラミッドは次第に出来上がっていき、各地域を支配する。より多くの人民や兵士を食わせられる者が小さな勢力を吸収したり、強奪したりしながら、基盤を強固にしていく。
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 こういった映画では弱い者は強い者の庇護がなければ、殺害されるか若い女ならば強姦されるかしかない。ナイジェル・ダベンポートの妻役(ジーン・ウォーレス)と一人娘役(リン・フレデリック)はこういう映画のお約束で暴走族に強姦されてしまう。
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 そこまではよくある光景なのですが、この作品で凄いのは娘を汚されたジーン・ウォーレスが生き残りの暴走族を猟銃で撃ち殺す描写です。ルールが変わり、強い者が支配する世界では生き残るという法のみがすべてで勝者による暴力はすべて肯定される。  人間の深部に眠っている野獣の本能は失われることはなく、インテリであったとしても環境次第では前面に押し出されてくる。ジーンは農場へたどり着くまでの数日間で苦悶し、ナイジェルに「もうたえられない!」と訴えるが、戦場においては冷徹に敵を狙撃する。
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 それは仲間を守るためという大義名分を伴い、自らの残虐行為をすべて正当化する。すべての戦争の勝者は自分たちこそが正義だと主張する。敗者にならないためには中立を保つという考え方もあるでしょうが、武力と意志を伴わねば無意味なのではないか。  製作年度は1970年ですが、コーネル・ワイルド監督の暴力描写は昔から徹底的にリアルであり、戦闘シーンや強姦シーン、また強姦されて瀕死の重傷を負う裸に剥かれた若い女性を救うこともなく、彼女の求めるままに射殺するシーンなどもあり、そのまま現在の放送コードで放送するには無理があるのかもしれません。
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 どう見てもティーンエイジャーのリン・フレデリックが強姦される過程ではパンティをはぎ取られ、ヌードになってしまいます。彼女って、そういえば『フェイズⅣ 戦慄の昆虫パニック』でも主人公のオッサンと援助交際のようなラブ・シーンを演じたりしているのでかなり使い勝手の良い女優だったのでしょう。  コーネル・ワイルドの映画を見るといつも普段はあまり考えないことを気づかせてくれます。ただし残念ながら、この映画はビデオ時代もソフト化されることはなく、日本版DVDも発売されてません。
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 残された方法は海外の映画サイトにアップされている映像を丹念に探し続けていくしかありません。もちろん字幕などはありませんので、英語版の映像を真剣に集中して見る必要があります。  ただそれほどこの映画に関しては言語のバリアは強くない。なぜならば映画を熟知しているコーネル・ワイルド監督は撮影方法による映像に言葉をしゃべらせていますし、地図などをさりげなく使って、土地勘が観客にも分かるように構成しています。
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 コーネル・ワイルド作品を観ていて思うのは偶然かどうかは分かりませんが、『裸のジャングル』と『アポカリプト』、そしてこの『最後の脱出』と『マッド・マックス』とは類似点が多く、メル・ギブソンが両方に関わているにも見逃せない。もしかすると『マッド・マックス』制作時にコーネル作品に触れたメル・ギブソンが後年、自身の映画制作時に多くのエッセンスを取り入れたのかもしれません。  視聴はかなり難しい『最後の脱出』ですが、映画内容のガイドラインを記載しているサイトもありますので、英語版オリジナルに挑戦する猛者の方は参考にしてみてください。見れば分かるコーネル・ワイルドの映画であれば、英語版でも緊張感や絶望的な世界観が伝わってきます。  同じく、日本語版DVDが販売されていない『ロリ・マドンナ戦争』や『傷だらけのアイドル』も丹念に探せば、動画サイトにたどり着きます。再生する分には違法ではないので日本語版DVDが発売されるか、CS放送に出会うまではこれらで我慢しましょう。 総合評価 80点
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