『マッド・ボンバー』(1972)これを普通にテレビで見られた時代はもう戻らない。
1970年代後半、まだ小学生の頃にテレビ(たぶん12チャン)で見て、強烈な印象が残っている作品のひとつに『マッド・ボンバー』というかなりイカれた映画があります。
主人公には一人娘を暴行魔ネビル・ブランドに強姦された挙げ句に殺害された父親役としてチャック・コナーズを起用している。ただチャックは善良な市民の被害者ではなく、じつは爆弾魔という設定が他とはかなり違っています。
正義のヒーローではなく、悪漢同士の復讐の物語です。彼らの間を取り持つのは警官役のヴィンス・エドワーズです。主要な出演者がみな一癖も二癖もある個性的な役者ばかりなのでかなりアクが強いというか強い体臭を撒き散らしている。
このゴツゴツした映画の見所は爆弾魔チャック・コナーズによるビル爆破シーンともうひとつ。見た者の深層心理に深く刻み付けられるような見せ場があります。それは主人公のチャック・コナーズが追い詰められた末に自決によって爆弾魔である自身の肉片を飛び散らせるラスト・シーンです。
こればっかりは実際に作品を見ないと分からないでしょうがかなりのインパクトを与える。また小学生の高学年だった当時はエロ満載の性描写にドキドキしながら、親の目を盗んで、秘かに見ていました。
内容がかなり酷いのでソフト化は無理だろうなあと一人合点し、ビデオなども探すことなく現在まで来ましたが、なんとビデオが出ていたのはもちろん、DVDまでしっかり発売されていたのでかなり驚きました。
過激な暴力やセックス描写があるので、あちこちに編集が入っているのだろうなあと思いつつ、どうせならば画質が良いであろうDVDを購入しました。
4800円が高いか安いかはよく分かりませんが、ヤフオクではDVDが8000円近くで出品されていたので、比較的安い方なのでしょう。この作品で覚えているのはチャック・コナーズのあまりにも個性的すぎる顏です。
今回、30年以上振りにこの映画を見ましたが、今でも禍々しくも荒々しいパワーを持っています。最近の腰抜けな映画製作者には絶対にモノに出来ない作品です。
たとえハサミが入っているにせよ、ソフト化がされていること自体が奇跡に思える。よくお蔵入りすることなく、無事にリリースされたものです。
あらためて30年以上経ってから作品を見ると記憶違いがいくつかあるのに気が付きました。まずは爆弾魔チャック・コナーズがあちこちに爆弾を仕掛ける主要な動機は暴行魔への復讐ではなかったことが第一です。
第二は彼の娘は強姦されて殺害されたのではなく、ヘロイン多量摂取が原因で自らが引き起こした中毒によるショック死であったことでした。強姦されて殺される女性と中毒死した娘がごっちゃになっていました。
そういう訳で、なぜ冒頭で学校爆破が行われたのかが30年ぶりにようやく合点が行きました。爆破の場所は一人娘が通っていた高校で起こった事件であり、教師側の管理不行き届きを逆恨みして爆破したというのが真相のようでした。
病院が爆破された理由は中毒症状で死にかけていた娘が担ぎ込まれたのがこの病院であり、彼女を救えなかったから爆破したのでしょうが、モチベーションがよく分かりませんでした。
ここで暴行魔ネヴィル・ブランドに犯行を目撃されてしまうわけですから、痛恨のミスかもしれない。ホテル爆破も無関係な移民らしい男性従業員を巻き添えにする。
歩きながら、タバコの空き箱をポイ捨てするオッサンを叱り飛ばしたり、公道に自分の高級車を我が物顔で占有する成金に因縁をつけ、お説教をする偏屈な正義感を持ち合わせてはいるくせに、のんびりと散歩しながら目的地まで到着すると、平気な顏をして、何も関係がない人々を爆弾で吹き飛ばす。
町中を破壊し、汚している自分については何の罪悪感もなく、むしろ神の使いと思い込む狂人ぶりを見せつける。自己を正当化して、やりたい放題するのを正義とは言わない。
昼下がりの自宅で、ご機嫌でぱくぱくとドーナツをかじり、ラジオでカントリー&ウェスタンを聴きながら、プラモデルでも作るように手製爆弾を量産していく様子が一番恐ろしく、まさに狂気を感じさせるシーンでした。
このときに食器棚に自家製爆弾を作り置きしている様子が写し出されるのですが、棚の中から彼の様子を撮るという不自然極まりないショットがあり、ゲンナリさせられます。
ネヴィル・ブランドもクズ野郎を熱演しています。犯罪者のくせに警察と取り引きして助かろうとします。チャックが指名手配されてしまうきっかけとなったモンタージュを作ったネヴィル・ブランドは警察からは保釈される。
が、あまりにも手薄すぎるセキュリティの隙をチャック・コナーズに突かれて、自宅敷地に侵入されてしまい、嫁を撮影したポルノ・フィルムでマスター・ベーションをしている真っ最中に爆殺されてしまう。
凶悪な強姦殺人犯にしては呆気なく始末されます。チャック・コナーズがつぎに爆破しようとしたのは前にトラブルが原因で辞めた会社です。
執拗に脅迫文書を送りつけるコナーズは普通に考えたら、すぐに容疑者が特定されるはずですが、そうはならなかったのが1970年代のアメリカだったのだろうか(笑)。
暴行魔の捜索場面に至ってはロサンゼルスの街中にはレイプ魔しかいないのかと錯覚させるくらい、容疑者が続々と逮捕されてきます。
冷静に見るとツッコミを入れたくなる奇妙なカットやストーリー展開が満載なのですが、チャック・コナーズ、ネヴィル・ブランド、そして刑事役ヴィンス・エドワーズが揃いも揃って狂人なので彼らの異様な迫力に圧倒されてしまい、それほど気にはならない。
それでも笑えるシーンがいくつも用意されている。なかでも暴行魔ネヴィル・ブランドが拳銃をこめかみに押し当てられた状態で無理矢理にヴィンス・エドワーズ刑事に強要されて、警察への協力として犯人のモンタージュを作成していく場面はあまりにもご都合主義の強引さに呆れてしまう。
はじめはまったく違う顏なのが徐々にパーツを変えていくとチャック・コナーズその人になってしまうのだ。でもそれはそれで良いかもとサラッと流してしまいそうになります。
またチャック・コナーズの人となりが全編通して描かれていきますが、オープニングのたった10分間で彼の偏執狂的な一面、潔癖症の体質、そしてあまりにもセコすぎる経済観念が明らかになる。
まったく共感を呼ぶタイプではないし、道を歩いていてこういう人に出会ったら、まずは白い目で見るか、無視して通りすぎるでしょう。でも気になる。
あの顏、あのデカさ、そしてあの細かさは気になってしょうがない。アイデアとして優れているのは凶悪犯を逮捕するために、同等の凶悪犯を利用して、本ボシでより危険な爆弾魔チャックを捕らえようとする思考法でしょう。
ただし問題点があります。さすがに1970年代当時の価値観と現在のそれではあまりにも違っているので、結果として過激な映像表現のあちこちに自粛のハサミが入れられている点です。
ネヴィル・ブランドによる迫真のレイプ・シーン(昔は確かにあったはずのエロ・シーンのほとんどがカットされています。)、ヴィンス・エドワーズによる犯人射殺シーン(銃弾が犯人にヒットすると風穴が開く!)もなくなっています。
そしてチャック・コナーズの自決による爆破シーンの過激な描写(血肉がもっとえげつなく舞っていたような記憶があります。)、つまり本来の見せ場の多くが観客にもすぐにそれと解るくらいにカットが入ってくる。
まるでゴダールのようなブツ切りカットの連続で、一瞬自分が見ているのはヌーヴェル・ヴァーグだったのかと勘違いしそうになります。結構それが効果的にかつ映画的にテクニカルに見えてしまうのがかえって笑えます。
バート・I・ゴードン監督は別名でミスター・ビッグと呼ばれる変わり者で、特撮映画ファンにはお馴染みの『SF巨大生物の島』などで虫やネズミを巨大化させて喜んでいるようなつまらない作品を連発していた人です。
そんな彼がどうやって、このようなハイ・テンションのバイオレンス映画をモノに出来たのかが不可解です。あと少々気になってしょうがないのがオリジナル英語音声では爆弾魔をボマー、暴行魔をレイピストと呼んでいる点です。
“ボンバー”という音感のイメージが強すぎるので、本来はそうなのだと分かっていても違和感が拭えない。ボンバー・ヘッドがボマー・ヘッドではなんだか締まらないのと同じです。
またレイピストと言われると、なんだかタイピストやピアニスト、アルピニストのように専門家みたいに聞こえてしまう。ある意味では専門家なのでしょうが、卓越した技術があるわけではないでしょうから、これもなんだか奇妙な感じで聞いていました。
カットが多少入ろうとも、なんだかんだ言っても、一応は正規ソフトが発売されていて、作品のエッセンスが楽しめるだけでも満足すべきなのかもしれない。
総合評価 80点