良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『狂った一頁』(1926)奇跡的に見つかった日本発の前衛映画。未だ発売されず。

 タイトルは『狂った一頁』と書いて、“くるったいっぺーじ”と読みます。『カリガリ博士』に代表されるドイツ表現主義やセルゲイ・エイゼンシュタインが唱えたモンタージュ手法の集大成である『戦艦ポチョムキン』が映画界を席巻していた1920年代はサイレント黄金時代でした。  日本でも前衛的、もしくは実験的な流れに刺激された溝口健二『血と霊』、衣笠貞之助『狂った一頁』『十字路』が公開されました。
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 『血と霊』は杜撰なフィルム管理や第二次大戦の業火が重なり、現状では『狂恋の女師匠』『唐人お吉』(一部は現存。)と同じく、フィルムは確認されていません。  もしかするとどこかの土蔵や外国のフィルム倉庫からひょっこりと出てくるかもしれません。また衣笠貞之助の『狂った一頁』も同じく焼失したと考えられていました。それが1971年に衣笠の自宅から奇跡的に発見され、自らも編集に加わったのちにアメリカで1975年に公開されました。
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 しかしながら、現在は発売されている『十字路』とは扱いが異なり、精神病院を舞台にしているストーリーであったり、気味悪さや興味本位の感覚で精神障害を捉えているのが問題視されているためか未だに正式には販売されていません。  富国強兵が一段落して、どこか停滞していた大正末期から昭和初期の世相であったにせよ、男尊女卑思想が定着していた時代に家庭の中心的な存在であったはずの夫が精神に異常をきたした妻が入院する精神病院に小間使いとして仕えていて、隙を見て助け出そうとするという内容はショッキングです。
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 またそれが夢か現実なのかも判別できないのは難解すぎる。劇中、夫は病院院長を鈍器で叩き殺しますが、次の日には彼は通常通り、患者を診察しているので、すべては小間使いとして働く彼の空想であることが明らかになる。  完全版は70分間という上映時間のようですが、一般的には衣笠貞之助自身によって新たに編集されて、サウンドが付け加えられたバージョンが知られています。
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 ぼくが見たのもサウンド版で上映時間が約1時間の短縮バージョンです。1920年代のフィルムとしては撮影技法に特化した、かなり実験的な作品に仕上げられており、ストーリー性よりも、映像技術の可能性を広げていこうとするサイレント映画黄金時代の勢いを感じます。  多くの人が難解過ぎるとの意見を持っているようですが、実際に見るとそれほど難しくも思いませんでした。実験的な撮影技法の羅列に戸惑うでしょうが、ストーリー展開はちゃんと追って行けます。
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 ここが驚異的で、実はこの作品はサイレント映画なのでセリフが全くないのはもちろん、サイレントでよくある字幕も全くない。  こういったサイレント作品というとぼくが知っているのはF・W・ムルナウ監督の『最後の人』でこれもたしか字幕が一つも入らない究極のサイレント映画でした。字幕なしでも理解できる(人によりかも。)映像にすぐれた作品でした。
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 外国作品、とりわけドイツ表現主義の模倣と言ってしまえばそれまでですが、それまでになかった表現を自分達でもやってみようとする姿勢を持つ映画人たちを称賛すべきでしょう。  なんだこりゃと言われるのは百も承知で撮影して、あまり海外の映画技法や新しい情報がなかったはずの一般客がチャンバラやメロドラマなどの劇映画を楽しみにしているスクリーンにいきなり難解な作品を上映してしまう訳ですから、製作側にも覚悟が要ります。
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 原作は川端康成ですが、おそらく当時の多くの人は作品を理解していなかったというのが真相なのかもしれません。実際、一般の観客だけでなく、映画関係者だったとしてもこのような訳が分からない前衛映画にたいしてどのような反応を当時は示したのだろうか。  ただただ映像自体が珍しかった時代だったので、見た人はそれなりに楽しんだのかもしれない。なんかよく分からないけど、写真が本物みたいに動いていて楽しいなあという程度だったのだろうか。
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 撮影技法としてはスローモーションの多用、高速パン、特殊レンズの多用、二重露光、コマ落とし、ダッチ・ティルトの原型(斜め構図の撮影。)、クロス・カッティングなどさまざまな技法を試しています。ちなみに撮影助手として円谷英一(のちの円谷英二です!)が参加しています。  特にダッチ・ティルトの原型的なショットは不自然な斜めの角度で対象を捉えることで観客の不安感を増幅し、居心地の悪さを与えます。精神病院での出来事や患者の精神状態の異常さを覗き込むような禁断の映像を見るという普通ではない体験を際立たせています。
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 これ以外の他の撮影テクニックも異化作用を持たせていて、意図的なモンタージュによって作られる、畳みかけてくる狂人の攻撃性には恐怖を感じるでしょう。  ドリー撮影の使い方はかなり工夫されていて、画面奥から手前に移動車を引いてくるとともに合成画面を画面手前から奥へ引っ込めていく。すると片一方は手前に浮き上がってきて、もう一方は奥へ引いていく。
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 歪んだレンズは特異な空間である独房のような精神病棟の異常さをよく表しているのであろうが、こういう映像や暴動を起こす精神異常者の群れの恐ろしさは患者への間違ったイメージを植え付ける可能性があることなどが、この作品をなかなかソフト化に向かわせない原因かもしれない。  鉄格子の使い方も印象的で、患者を隔離する鉄格子、その患者たちをまとめて隔離する病棟と診察室との鉄格子があり、さらに建造物と敷地とを隔てる扉、そして敷地と一般社会である娑婆とを隔てる正門と高い壁。
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 そしてカメラは衣笠監督が見せたいもの、つまり作品世界を映し出すが、カメラ自体が出ている人々とスクリーンを眺めている観客を隔てている。  今回はサウンド版でしたが、実際はサイレントだったこの作品でもっとも“音”を感じるのはオープニングで、真夜中に豪雨が降り注ぎ、激しい嵐という天候で若い女が踊り狂う場面が来るのですが、クラシックの楽団(楽器のみ)が激しく演奏する様子と踊り狂う女、そして嵐の稲光がリンクするさまは圧巻です。
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 この映画の劇中、もっとも強烈な印象を残すのはずっと独房に閉じ込められていながら、ひたすらに舞踏を踊り続ける若い女の動きであり、彼女の舞踏がとにかく凄まじいのでぜひ見る機会があればしっかりと注目しておいてください。  劇中の狂人たちはこのように多くの障壁で一般社会と隔離されているが、この状況は彼らが外部と遮断されているのか、それとも多くの危険から彼らを守っているのか。
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 一般社会に暮らすわれわれ健常者と呼ばれる多くの国民の方が実は危険に囲まれているのではないだろうか。どちらが安全に毎日を過ごしているのだろうか。  もし昔にタイムスリップ出来たならば、伝説的な映画が実際にはどのような受け取り方をされたのかにとても興味があります。八時間にも及ぶシュトロハイム監督の完全版の『グリード』はどんな作品だったのか、溝口健二の『血と霊』や『狂恋の女師匠』は淀川長治さんが生前語っていたような傑作だったのだろうか。
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 見てしまえば、なんてことはないのでしょうが、残念ながらぼくらは失われたフィルムを見ることは出来ません。見れた人が羨ましい。  綺麗で素晴らしい音響と大スクリーンに映写される、毒にも薬にもならない暇潰しのシネコン作品か、はたまたタバコの煙が立ちこめ、酒臭くて、トイレの変な臭いが充満して、音が割れ気味で小さなスクリーンではあるが、心に残る素晴らしい作品を見るか。  どちらを選ぶかは非常に難しい。ただし言えるのは昔の映画を映画館に行かなくても、自宅で鑑賞できる現在の状況は素晴らしいのは確かです。
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