良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『まごころを君に』(1968)知性を得たのにふたたびすべてを失う残酷な結末。もう戻れない。

 学生の頃に『まごころを君に』というタイトルの映画をテレビで見たことがありました。もちろんビデオも普及していなかった当時の僕らが見たのはテレビ放送の日本語吹き替え版です。どんな作品なのかも分からずに見続けていくとあまりにもシリアスな内容に大きく衝撃を受けました。  大学生の頃、あちこちに乱立していたレンタルビデオ屋さんの棚にこの作品のビデオがひっそりと並べられているのを何度か期待しましたが、見つけられずにいつかは見られるから大丈夫だろうと思ったきり、存在を忘れていました。
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 それがふと“エヴァ”のタイトルでこの作品を思い出し、『まごころを君に』のタイトルを探していましたが、TSUTAYAでも発見できなかったので、地味だからソフト化されていないのかもなあと一人合点していました。  つい最近、ネットで調べると、なんとビデオ時代からタイトルが『アルジャーノンに花束を』という別題がつけられていたことを知りました。DVDが出ているようでしたので、近所のTSUTAYAに探しに行きましたが、在庫がなかったのでお取り寄せで注文しました。
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 しかしながら、二週間以上経っても到着しなかったのでお店に問い合わせたところ、どこにも在庫が残っていないのか、入荷不能のようです。  こうなると余計に見たくなるのが映画マニアの悲しき性で、ヤフオクAmazonを捜索して、懐かしいジャケットのVHSビデオを落札しました。
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 DVDでも良かったのですが、やっぱり昔のザラザラした映像の質感にこだわり、あえてビデオを選びました。1960年代後半から1970年代中期までのいわゆるアメリカン・ニュー・シネマの時代の作品を見るならば、あまり綺麗な映像にブラッシュアップしてしまったブルーレイなどは時代の雰囲気を失ってしまう気がします。  出演者はクリフ・ロバートソンが主役のチャーリー・ゴードンを演じ、アカデミー賞を取る。クレア・ブルームが演じた恋人兼先生のアリス・キニアンも新鮮でした。音楽を務めていたのがラヴィ・シャンカールというのもポイントが高い。特に後半の盛り上がりでの彼の音楽は素晴らしい。前半はなんだか違和感がありましたが、だんだん慣れてきます。
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 被験者を自らの出世のための道具としてしか扱わないリリア・スカラとレオン・ジャニーが演じた科学者やディック・ヴァン・パタン(バート)、スキッパー・マクナリー(ギンピー)らが演じた悪質な労働者も良い味を出しています。  内容は知能障害のある無邪気な青年チャーリー(クリフ・ロバートソン)が医学の進歩により、いったんは優れた知性を手に入れるものの、結局は元通りの知能障害の状態に戻ってしまうという哀しいエンディングです。
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 描写で興味深かったのは手術前には左利きで手元もおぼつかなかったクリフが手術後には右利きに変わり、スラスラと記述していく様子にこだわりを感じます。右手を使っているときには主に論理思考を司る左脳が活発で、直感的な右脳が活発な時は左利きというのは見ていて唸りました。  細かくて申し訳ないのですが、字幕にもかなりこだわりがあり、精薄者のときにはひらがな表記でクリフのセリフが字幕スーパーに出ていたのが、手術後には知識を吸収するに従い、徐々に漢字ばかりになっていくのが小説と同じで製作者の意図を感じます。  分割画面を多用していて、各々がどういう風に考えているのかが全く違うのだということを示唆しているように思えました。お互いが目を見るタイミングだったり、頷いたりするタイミングや表情が微妙に違うのはなぜだろう。
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 この映画の悲惨さは深刻で、精神薄弱者は笑いの対象として描かれていて、かつて知性を取り戻す前は自分もそうだったクリフ・ロバートソンがバーで給仕する薄弱者を笑いものにするスノッブなセレブ達の表情を見て愕然とするシーンにはゾッとします。  なぜ人は身障者は笑わないのに、精薄者を笑うのだろう?   知性を得たクリフのセリフです。
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 手術の効果は一時的なものでしかなく、アルジャーノンの死を境に悲惨な境遇にふたたび突き落とされてしまうという救いの無さは今の映画ビジネスには求められていない。アルジャーノンはベンとは違い、人間にたいして反抗したりしない。  周りの人々のクリフへの対応がまた醜悪で、心の底ではさんざん彼を馬鹿にしているのに表面的には友人を装っている欺瞞は見ていて目を背けたくなりますが、現実の厳しさを映し出しているのでしっかりと見続けねばならない。
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 肉体労働者のなかにも階級が存在し、自分達よりもさらに下の階層を作り出し、虐めることで憂さ晴らしをしている様を、人間の醜さを観客に見せつけます。  『レナードの朝』では医者役のロビン・ウィリアムスが処方した抗パーキンソン病薬を服用することで驚異的な回復を見せたロバート・デ=ニーロが久しぶりに人生を謳歌するものの結局は元の植物人間状態に戻ってしまいます。
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 ただ悪意のある人物は圧倒的に『まごころを君に』に多い。医療関係者役や患者役が大半を占める『レナードの朝』か、低所得者層がチャーリーの周りを囲む『まごころを君に』では病気への理解度に雲泥の差があり、一般社会の態度も似たり寄ったりだったのではないだろうか。また科学者のエゴは『まごころを君に』のほうがえげつない。  元に戻りたくないロバートソンは猛勉強して対策を探ったり、心の支えだったアリスに強引に(強姦まがい!)プロポーズしたりするが、一度は拒絶される。彼は知性を得るだけではなく、思春期もいっぺんにやってくるのです。当然不器用な伝え方にしかならない。性急な伝え方は反発と誤解を招き、もっとも聞きたくない「だれがあんたみたいなバカを受け入れると思うの?」と言われてしまう。
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 彼女を諦め、天才的な知性を得たロバートソンは必死に病気を解明しようと努力するものの病気の進行を止められない。クリフのもとに戻ってきたクレアではあったが、どうなるかという絶望的な未来を知っている彼は彼女の将来を熟慮して拒絶してしまう。ここらへんの対応は『レナードの朝』でも繰り返される。  悲しみはまたやってくるが、今度は失意と絶望が迫ってきます。何も分からない状態だった手術前ではなく、希望のすべてが徐々に失われていく退行の絶望感は余人には分からない。
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 彼はふたたび知性を失っていきますが、持っていたものが徐々に無くなる痴呆症とは違い、せっかく手に入れた知性を無理矢理に奪われるのは恐怖であろう。  映画のハイライトである学会発表のシーンではクリフはまるで見世物のように科学者の前に引き出され、あれこれ質問をされる。この世界の未来は限りなく暗いという仮説を立てるクリフだが、一方では希望を持っているという生きていく苦しみを味わっています。
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 完全に実験動物であり、アルジャーノンとチャーリーは同列でしかない。特に精薄者だったころの映像を大勢の人の前で流すという無神経さは医学ポルノなのではないか。  運命や周囲の人間の残酷さと過酷さを真正面から取り上げたこの作品の幕引きはハッピーエンドとはなりえず、絶望的な気持ちが込み上げてきます。
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 特にラスト・シーンではオープニングと同じようにチャーリーが子供たちとシーソーで遊んでいる様子を悲しそうに見つめるクレアの視点で見た笑顔のチャーリーのストップモーションとその後に続く製作者のエンドロールが数十秒間の無音状態で閉じられる。  このとき、観客はたった今、自分が見た映画の沈黙の意味を真剣に考えねばならない。単なるお涙頂戴映画ではない厳しい現実は見た人しか分からないでしょう。  単なる感動作品にはない苦味を味わう映画です。人生の悲喜こもごもを知ってしまったからこそ、それを失う喪失感と恐怖は耐え難い苦痛としてチャーリーにのし掛かってきます。
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 何も知らなかった頃にはもう戻ることは出来ず、精神薄弱者としての彼を待ち受けているのはこれまで以上の嘲りであり、悪質な嫌がらせかも知れない。まがいなりにも以前の彼にはあった仕事も失い、研究対象としての価値も無くなってしまう。  圧倒的に高いポテンシャルを持っていることを周りの労働者たちに知られてしまった訳ですから、もし職場に戻れたとしても、妬みやざまあ見ろという賤しさからのイジメは前よりも酷くなることが予想できますし、恋人だったクレアが持つ感情も以前とは違う。  展開が性急すぎる場面も所々ありますが、映画のテンポを下げてダラダラやるよりはいちいち見せなくとも理解出来るだろうという観客の鑑賞力への信頼もあったのでしょう。すべての感情をセリフや場面で表現する必要などないのでこれで良いのではないか。 総合評価 85点