良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ざくろの色』(1971)パラジャーノフのたどり着いた映像美の極致。ほぼ台詞なしで魅せる。

 劇場の大きなスクリーンで観ると赤と黒の鮮やかさ、くすんだ青と壁の色の豊かさがよくわかる。一回目は寝てしまうだろう。二回目は眠たくなるだろう。三回目は耐えられるだろう。四回目は計算された美しさに気づくだろう。そしてようやく五回目に意味を考えるに違いない。  セルゲイ・パラジャーノフに限らず、彼の盟友アンドレイ・タルコフスキーや映画史上でも重要なセルゲイ・エイゼンシュタインなどに代表される旧ソ連の映画監督はさまざまな制約や迫害を受けながら、それでも映画史に残る作品群を世に送り出してきました。  ある者は謎の死を遂げ、ある者は幽閉され、ある者は海外で活路を見出だしてきました。今回取り上げたセルゲイ・パラジャーノフ監督も苦難に満ちた映画人としてのキャリアを送ることになりました。
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 代表作『火の馬』での十字架や礼拝などの宗教観を前面に出してくる作風が共産主義当局の怒りに触れてしまい、逮捕されてしまった彼は以後15年ものキャリアを棒にふり、活動できない状態で1980年代中盤以降のペレストロイカを待たねばなりませんでした。  現在、彼の作品群の多くは我が国でもDVD化されていますが、ほぼ廃盤になってしまっていて、取引価格がほとんど1~2万円を越えてしまっている。
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 また言語がロシア語なので、動画サイトにアップされていても、台詞を理解するのは非常に困難なので、見ていても楽しめない。僕自身も現在、手元にあるのは大昔に手に入れたビデオ・テープの『火の馬』『ざくろの色』『スラム砦の伝説』の三本です。  そんな折、地元関西では有名な名画座である九条シネ・ヌーヴォで彼の特集が組まれ、ほとんどの中編や長編作品群を上映しているのです。
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 上記の三本を含め、『石の上の花』『アシク・ケリブ』『アンドリエーシ』も上映予定作品に入っており、短編やドキュメンタリー作品及び『村一番の若者』『ウクライナ・ラプソディ』の二編を除いて、一挙に鑑賞できます。  予習として『火の馬』『ざくろの色』『スラム砦の伝説』をまずは見直してからスクリーンに向かっています。今晩見たのは『ざくろの色』です。
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 製作は1968年で、公開は1971年でした。この作品はもっとも映像美に優れたセルゲイ・パラジャーノフの代表作として認知されている傑作ではあります。  しかし不幸にも1969年に完成したこの作品はソ連当局に没収されてしまい、今現在ぼくらが見ているのはユトケーヴィッチによる不完全な再編集版でしかない。
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 収録時間にして75分間であり、オリジナル版がどれほどの上映時間でどのようなシーンがカットされてしまっているのかはパラジャーノフについての書籍を調べなければ、容易にうかがい知ることは出来ません。  ちなみに冒頭には三つのざくろを置いた布の下から赤い汁が沁み出してくる有名なシーンがありますが、カットされたのはまさにこのシーンの続きであり、それは果汁が徐々に染みを広げていき、最終的には古いアルメニアの地図の形状になっていくというものでした。
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 他には青年期のシーンが主にカットされたようで、それらの多くはエロティックな表現の場面が切り刻まれてしまったようです。第二章にはそれでも残っているエロティックなカットがありますので、これらは痕跡なのでしょう。  が、それでも残存する75分間バージョンを見ていても、十分に彼が持つ卓越した映像感覚を味わえます。カメラはほぼ動かずに真正面から登場人物を捉え、小細工はしない。
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 普通ならばつまらないと感じるかもしれませんが、圧倒的な美意識に基づく映像構成は何が映画かを各々の映画ファンへ問いかけてきます。  観た人が映像重視の映画ファンなのか、それとも物語重視の映画ファンなのかという立場を明らかにさせる試金石なのかもしれない。『アンダルシアの犬』のような挑戦的な映画です。
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 パラジャーノフが挑んだ魔術的な映像実験にはひとつひとつのカットをまるで絵画かと錯覚させる構図の妙があります。全編通して見ていくと絵画展へ出かけて、絵画と接しているような感覚なのです。  作品は中世アルメニアに実在した詩人サヤト・ノヴァの生涯を描いていますが、この作品は彼の伝記ではないと映画の冒頭で述べられています。
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 この『ざくろの色』という作品は詩人サヤト・ノヴァが述べた詩的イメージをパラジャーノフが映像化したものという位置づけです。  「わが生と魂は苦難の中にある。」と繰り返し問い掛けてきます。  詩人サヤト・ノヴァの生涯は8つのパートに分割され、幼少期、青春時代、老年期、死に際などの出来事が映像化されていきます。パラジャーノフの映画の多くは各パートごとに分けられていて、主題が字幕に入ります。具体的には以下の通りです。
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第一章 詩人の幼年時代  性への目覚めであり、浴場を覗いていた彼の背後には沁みだした水の流れが迫ってくるが、これは性欲の表れだろうか。女の乳房と貝殻が同時に配列される。貝殻は女性器のメタファーなので、かなり分かりやすい。  胸に配置された貝殻の突起はクリトリスであり、そこへ這い上がっていくレースは舌による愛撫であろうか。美しい映像とエロティシズムに溢れる映像が混ざり合っています。
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第二章 詩人の青年時代    サウンドと映像のコラージュが全開になってきます。民族音楽の多用もパラジャーノフの特徴の一つであり、当局に睨まれた要因でもあります。
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第三章 王の館  民族衣装の多用はソ連という巨大な支配者へのささやかな抵抗にも思えるが、変わり者だった彼のこと、もしかすると綺麗なデザインや色彩が好きだっただけなのかもしれない。  ひとつの巨大な共産主義帝国だが、中身は多民族を切り従えた結果であり、支配されてはいてもアイデンティティは失われない。
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第四章 修道院へ入る  冒頭で修道院の建物だけを映し、背景は黒く塗り潰している。この斬新なイメージはここへ入ってしまうとその中のみしか世界が存在しなくなってしまうという意味だろうか。
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 狭い枠の中だけしか考えられない、固定概念や教条主義に支配される恐怖だろうか。従順な羊の大群が逆らうことなく、葬儀の場に入っていく。ソ連下で管理された庶民の暗喩なのだろうか。
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 総主教の葬式での多数の羊の群れは従順だが判断力のない使徒たちを皮肉ったものだろうか。宗教批判ではなく、共産主義への体制批判であろう。  多くのパラジャーノフ映画にはざくろと羊の群れというカットが頻繁に挿入されているが、どういう意味を持たせたかったのだろうか。
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第五章 詩人の夢  あなたは炎  あなたの服は黒い  詩人の幼年期の回想と両親の死への哀悼が音楽と映像で語られる。ここまで観てきた人はあることに気づかれるかもしれない。  じつは主役である詩人、恋人の王妃、死の天使、尼僧、そしていくつかのパントマイムを演じているのはたった一人の女優、ソフィコ・チアウレリなのです。パラジャーノフお気に入りの女優で、グルジアを代表する女優でもあります。
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 男と女を同時に演じ分けられる彼女の凄味を味わいたい。性別を超えた魅力を見て欲しい。道理で詩人と王妃が同時にツーショットで捉えられることなく、カットを割って、画面が積み上げられていったのでしょう。
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第六章 詩人の老年時代    年老いた詩人は修道院を追い出されるように去っていく。映画を撮る機会を奪われる自身を暗示しているようです。
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第七章 死の天使との出会い  舞踊と音楽、それらを結合させる映像の凄み。若い女たちの乳房を弄ぶ死の天使。 第八章 詩人の死    死してようやく修道院の狭い考えに囚われていた感覚が外界へ向く。
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 構成は以上のように全8章から成り立ち、それぞれにサヤトの詩の一節が盛り込まれていきます。言葉は奥が深く、さまざまなアイデアが浮かぶでしょう。  1968年製作開始で完成したのは1969年ですが、台詞は極限まで削ぎ落とされて、登場人物や映画作家の感情や主張は映像の構成とスグラン・マンスゥリアンが担当したオリジナリティー溢れる美しい音楽で語られます。
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 この映画における音楽の貢献は絶大であり、音から登場人物の感情を読み取れる。つまり映画として理想的な手法に挑んだ実験的色彩の強い作品なのです。それだけに完成品が葬り去られたことが悔やまれます。  無知で傲慢ですぐに暴力でなんでも思い通りに解決しようとする、いわば遅れてきた独裁政治でしかない社会主義共産主義は滅びるべきであろう。
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 はじめてこの映画を見たときはかなり戸惑い、判断停止状態、つまり寝てしまいましたが、数回見直すうちにパラジャーノフ独特の魔術のような芸術性の奥深さに引き込まれていくのが自覚できました。  物語として接すると失望観が広がるでしょうが、映像魔術の新たな形態の模索なのだと気がつけば、大いに魅了されるでしょう。
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 もしかすると、完成品は膨大なフィルムの在庫が眠っていたであろう当局の管理倉庫からソ連崩壊の折にでも持ち出されていたかもしれない。  数十年後には持ち主が変わり、ヨーロッパをフィルムが転々とするうちに陽の目を見る日がやって来るかもしれません。その日を期待して長生きしよう。ついでにオーソン・ウェルズの『ヴェニスの商人』や溝口健二の『狂恋の女師匠』も出てこないかなあ。
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 総合評価 90点