『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』(1982)僕らのガンダム、赤い彗星との最終決戦へ!
地球世紀1980年、小学生だったぼくらはふいに西方(当時は神奈川に住んでいました。)の名古屋から現れた白い機動戦士の活躍に夢中になっていた。
10才のチルドレンだったぼくらは素直にニュータイプの存在を信じ、野球をする合間にプラモデルでザクを量産していた(永井一郎風に読もう)。
何も考えていないこどもの頃から大好きな作品ではありましたが、ずっと書いてこなかったガンダムについて、先日ようやく劇場版第二作目に当たる『機動戦士ガンダムⅡ哀戦士』の記事をアップしました。
こうなると次に進みたくなったので今回は地球世紀1982年に公開されて大ヒットした『機動戦士ガンダムⅢめぐりあい宇宙編』を書くことにします。
さっそく見直そうと、TSUTAYAさんとGEOさんに行って、第三作目を探してみると悪名高い特別編しか置いていないことが分かり、仕方なく自宅のライブラリーをごそごそ発掘しているとビデオの山から大昔のビデオ版がボルジャーノンのように出てきました。
ところどころに帯状ノイズが入り、はっきり言うと映像は綺麗ではありません。しかし改変していない素のビデオなのでまったく不満はありません。
VHS特有のギシギシ来る重量感を楽しみつつ、とりあえずは「頼むから、巻き込まないでくれ!」と念じながら再生を始めると機嫌良く動き出してくれたのでまずはひと安心しました。
内容は何度も繰り返し見てきたモノですので特に新しい発見があるわけではありませんが、懐かしさがこみ上げてきて、ザンジバルやビグザムが轟音を轟かせ、ゲルググやリック・ドムが健やかに宇宙(そら)を駆け巡る様子についつい嬉しくなってきます。
小学校の卒業前に友達と一緒に地元の映画館に観に行ってから、今年ですでに34年の歳月が流れています。ふとGoogleのストビューを思い出し、昔住んでいた町の映画館近くまで道を辿りながら、かつて劇場があった場所に画像を合わせていくと残念ながらすでにそこには映画館はなく、時間制の駐車場に変わり果てていました。
前にも何度か小学校の頃に遊んでいた街や広場を探しましたが、何もかも変わっていたことを思い出し、もう二度とストビューを見るのはやめようと思いました。最初に見たときに真っ先に驚いたのはガンタンクが消えて、ガンキャノンが二台に増えたことでした。
普通に考えると量産されないプロトタイプだったはずのガンダム、ガンキャノン、ガンタンクがなぜあのタイミングで一台増えたのかが謎です。ただし当時の僕らはバカまっしぐらの小学生で何も考えることなく二機のキャノンを受け入れました。
まあ、さすがにジオン派のぼくはゲルググを二個買って、シャア専用と量産型に塗り分けるくらいはしましたが、キャノンのプラモを二個買って、108と109(ギャル御用達の服屋みたい。)に塗り替えるというバカなことはしませんでした。
が、連邦好きの友人はやらかしていましたし、あとで家に行ったときに自慢気に二機を見せてくれましたが、コイツはアホで1/72に108と塗り、1/144に109(ハヤトのほうがカイよりも小さいからいう理由でした。)と塗っていました。
僕もアホだったので、疑問に思うこともなく、とくに反応はしませんでした。僕らの世代は何も考えないヤツが多かったのでしょう。かなり脱線しましたが、久しぶりに見ました。
第三弾はいきなりドレン大尉のキャメル・パトロールが木馬と接触し、善戦空しく全滅します。シャアにゴマをすりながら、部下に突撃を命じる中間管理職に悲哀と愛おしさを感じる。
画面のこちら側ではトクアンも部下に追撃を指示する。この後彼は超高速モビルアーマー・ビグロを使って、覚醒を始めたアムロを失神まで追い込むものの一瞬のスキを突かれて討たれてしまう。
アムロたちは中立地サイド6に立ち寄り、各々が過去と向き合い、未来を予感する出会いをします。アムロは父親テム・レイ(久しぶりに見ましたが、名前も覚えていました。)、仇敵シャア・アズナブル、そしてララァ・スンとの運命的な出会いを果たす。ミライは元婚約者カムランと久しぶりに再会する。
軍隊組織なので、表面上は部下と上官の関係を保っているものの、どうみてもシャアはララァに母性を見出していますし、ララァもシャアを守り切るという宿命に従い、動いていきます。
年の差が大きく離れた女性と付き合っていると相手のすべてを受け入れられるようになってきます。相手を批判することなどそもそもありませんし、話を聞き続けるのも当たり前になり、我を張ることもなくなってきます。
シャアもララァとの出会いをきっかけに新たな刺激を得て、ノーマルスーツを着用するようになり、さらなる覚醒をしていくはずでしたが、あまりにも早く別れが来るために能力的にくすぶってしまう。寝言でララァの名前をつぶやくなどするほど惹かれていたというエピソードも『逆襲のシャア』で語られる。
アムロはララァとの出会い、そして遂にシャアとの接近遭遇をも同時に果たします。シャアにとっても重要な女性ではありますが、アムロにとってもララァはニュータイプへの媒体となりました。
分かりにくいニュータイプの概念はテキサスコロニーでのシャアとセイラの会話から説明していきます。劇場版でもこの概念の説明はなされていて、初見であってもある程度の知識は得られるように配慮されています。
ミライには別れが多い作品で、元婚約者カムランとの関係の清算、やさぐれ男スレッガー・ロウとの一瞬の淡い恋と永遠の別れがあります。その時のブライトの態度も立派で、静かに待ち続けます。将来良い夫婦になる二人です。
敵将ではシャア以外にも名将はいて、ザビ家の次男ドズルの男っぷりは随一です。女子供を戦闘が激化する前に逃がし、徹底抗戦を推進するも、最期を悟ると信号弾を放ち、総員退去させ、自分は運命に従う。
ガンダムに撃破されるビグザムが大爆発を起こす前にドズルはガンダムに向けて、マシンガンを放つ。その背後にアムロは悪魔を見るが、劇場版ではどす黒いオーラを放つのみで爆発する。
ジオン軍のメカがどんどん巨大化していくのは大艦巨砲主義を皮肉ったのであろうか。それとも量産は出来ないが、1個師団に相当するような強力な試作機を投入することで、戦局の打開を図ったのだろうか。
印象的なモビルアーマーは劇場版には出てきませんでしたが、トクアンが乗っていたビグロ、シャリア・ブルが搭乗したブラウブロなどがありとても魅力的でした。
下の画像は後半になるとよく出てくる分割画像でニュータイプの宴のような感じで、ニュータイプになれない他の人はどんどん画面上でも疎外感を味わうことになります。ミライさんも不安な感情は分かるようで、何も感じられないブライトさんはどこか寂しそうです。
映画に登場したのはドズルが指揮系統を握ったビグザム、オールレンジ攻撃で多くの戦艦を沈めたエルメスのララァ、そしてモビルアーマーの系譜に加えてもいいジオングで、彼らの活躍は思い出に残っています。
シャアが何とかガンダムと刺し違えるところまで持って行けたのはジオングの性能によるものでしょう。経験など無意味なものにしてしまうアムロの圧倒的な判断と操縦能力の優位を縮めるジオングの性能を持ってしても痛み分けが限界でした。
ア・バオア・クーに取りついてからは白兵戦に突入していきます。ララァの勧めでノーマルスーツを着ていたシャアは無重力空間でも死ぬことは無くなります。ホワイトベースも沈み、ガンダムも大破する。ジオンも無事では済まず、ザビ家の独裁者ギレンが実の妹キシリアに暗殺され、そのキシリアも脱出前のドックでシャアに射殺される。
モビルスーツを操縦しての戦いではアムロに全く歯が立たなくなったシャアはアムロを誘き出し、肉体を駆使する白兵戦を仕掛ける。ただし操縦とは違い、日ごろからのトレーニングと経験がモノを言うはずの白兵戦でも勝てなかったシャアって、かわいそうすぎます。
ガンダムというアニメはじつはシャアあってこそなのではないかと思います。シャアを中心において周りの登場人物を描いているような気がします。戦争初期に打ち立てた功績により、出世していきましたが、モビルスーツ戦の申し子アムロが覚醒するにつれて、何をやっても跳ね返されるシャアはプライドを打ち砕かれ、最大の理解者であり、保護者でもあるララァに先立たれる。
戦略的にはオデッサ戦に敗れて、資源確保が出来なくなった段階で雌雄は決していたのでしょうし、ベースとなる国力に圧倒的な物量の差があります。ジオンが勝てる戦争ではない。
またモビルスーツ開発などで優位に立っていた時点で、有利な条件を勝ち取って、和平工作を成功させていれば、もっと違った未来になっていたのでしょう。
またアニメではホワイトベースとガンダムの戦いを描いていましたが、大局的な視点に立てば、連邦軍主力は木馬部隊と関係ないところで戦争の勝利を収めているのは明らかで、あくまでも僕らが大好きなこの部隊の活躍は陽動作戦と囮専門部隊という位置づけなのでしょう。悲しいけれど、それが現実なのよね。
でもアニメ全43話を何度見ても楽しいですし、軍人たちの渋いセリフに泣かされます。もともとは50話以上になる予定だったそうですが、当時は視聴率が悪く、打ち切りが決まったために後半がワチャワチャしてしまい、繋がりが微妙になってしまったのは残念です。完全な形でガンダムを見たかったですね。
テレビアニメでは生死は不明だったものの我らがシャアはグワジンに搭乗し、何食わぬ顔で戦線から離脱している様子がラストに暗示されています。だってアムロや連邦に逆襲しなけりゃいけませんものね。
総合評価 80点