良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』(1970)理解できる人はいるのだろうか?

 『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』は前作『ステレオ/均衡の遺失』(1968)に続く中編映画であり、デヴィッド・クローネンバーグの初期作品らしく、理解するにはかなり取っつきにくく、難解なフィルムです。  二作とも60分程度のため、両方を一本にまとめてDVD化しているようですがビデオ時代は一本ずつでリリースされていました。  モノクロ映像の美しさの表現に凝りまくった前作と同じく、今回はカラーでの光と影の融合や対比に熱意を注いでいますが、多くの映画作家の初期作品にはその後のモチーフがストレートに現れやすい。  クローネンバーグの場合、感染症への恐怖、異物として出現する異形化した内臓への興味、具体的に示される激しい性衝動と官能への興味、変態的なフェチシズム、長ったらしい研究所の馬鹿げたネーミング、実験的な映像表現や独創的な音響などに後の彼の作風を見ることが出来ます。
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 今回は音に対してかなり攻撃的で、セリフは極端に削られ、言語として意味を持つのは主人公トライポッド(ロナルド・モロジックが演じています)のみで彼以外から発せられる言語にはすべてノイズが入るか、もしくは口は動いているのにサイレント処理がされています。  主人公が化粧品が原因で罹ってしまうある感染症(ルージュ病)の権威が残した研究をさらに探求していくうちに受ける妨害やある組織の関与などの真実に近づいていく様を描いているようなのですが、かなり解りづらく一般受けするような内容ではありません。  主人公トライポッドを演じたロナルド・モロジックの風貌がかなり異質で気持ち悪く、生理的に抵抗がある。見た目がゲイっぽく、多分この人はそっちの趣味なのだろうなあというのが見れば分かります。  この映画は観る人に生理的嫌悪感を与えるのが目的なのかと思わせる演出があちこちに仕掛けられています。これもクローネンバーグの狙いなのでしょうが、一般受けするとはとても思えない。
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 音の扱い方が独特で、イルカなどの海洋生物、風が強い日の海岸の波風、水漏れが滴り落ちる様子、性的に興奮しているような音、カエルや鳥の声、蠅が飛び回る音、電車が通りすぎる際の踏切、工事現場の騒音、低周波ハウリングなど人間が嫌がるような感じの音に意図的かつ機械的イコライジングしたような不快な音響をつけています。  そして主人公が語らず、なおかつ不快なノイズが現れてこない場面には不気味な静寂としてのサイレント状態になります。気持ち悪いルックスの主人公の独白、不快なノイズ、不気味な静寂が入れ替わり立ち替わり現れる。  リズミカルで不快なノイズと爆発するような無音の後にであれば、気持ち悪いロナルド・モロジックの抽象的で無感動な言葉ですら温かみと救いのように感じます。  こういった奇妙な演出はデヴィッド・クローネンバーグが映像と音響の効果を試行しているのでしょうし、本人の興味が向かうままに制作したのは解りますが、あくまでも内向きな“制作”であって、不特定多数に向けた“製作”とは言えないのではというのが数回見た限りの感想になります。
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 不特定多数の観客に向けた作品とは思えない。それでも独創的な感性や内から沸き上がってくるさまざまな衝動を映像化できるのはデヴィッド・クローネンバーグならではと納得させられます。どことなくジャン=リュック・ゴダールの『アルファヴィル』を思い出しますが、あれほど洗練されてはいません。  まだ手法が確立されていく前段階の映像表現なのでしょう。登場させた主人公の気持ち悪さは容姿だけでなく行動もかなりのものでした。ロナルド・モロジックがクローネンバーグの分身なのであれば、モロジックを通じて行われる行為はかなり病的で屈折しています。  寝ている男性(ルージュ病患者)の乳首を性的に弄んだり、首筋にキスをしたり、体臭を嗅いだり、オッサンが履いている紳士靴をおでこに押し付けたり、好きでたまらないという表情を浮かべながら靴下やパンティをビニール袋に詰めたものを第三者に渡したり、自身の眼鏡のレンズを舌で舐め回したりとやりたい放題です。  最後に幼児性愛組織から救い出した幼女と密室で一対一になって、裸になっていき、何に使うのか意味深なネクタイを玩びながら、彼女が主人公と隣り合って、見つめ合うシーンで幕を閉じるのですが、どうしても無垢な彼女にその後振りかかるであろう性的な虐待まで想像してしまう。
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 かなり危ない表現なのですが、明らかにゲイにしか見えない主人公がさらにロリータ趣味までも持っているとするとかなり気色悪く、ますます一般受けするのは無理であると思いました。  初期作品DVDもマニア向けに発売されるようになってきてはいますが、一般ファンが手を出すのは控えておいたほうが無難です。  映像としては仰角ショットと縦構図を多用し、ティルトとパンも併用して、それらをワンシーン・ワンカットで繋いでいく、結構複雑な構成を採用していたり、かなり自由に個性的な撮影方法を駆使しています。  階段などでは人物配置が縦や斜めに三人並べられたまま会話をしている(言葉として語られるのはトライポッドのみ。)シーンがあり、見ていてどうにも居心地が悪い。
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 トライポッドの独白で構成している映画だと思っていたら、後半になると「トライポッドが」とか言い出すので、一気に混乱してしまう。だったらこれは誰の回想なのだろうと新な不安が生まれます。  最初に出てくる三人組のうち、患者はすぐに死んでしまうし、もうひとりの学者も世捨て人のように振る舞い、彼自身の言葉で語るシーンもない。いったいこの映画は何なのだろうか。辛抱強くここまで観た者の気持ちを弄んで喜んでいるデヴィッド・クローネンバーグの顔が目に浮かびます。  この『クライム・オブ・ザ・フューチャー/未来犯罪の確立』と『ステレオ/均衡の遺失』を見た後であれば、他のすべてのクローネンバーグ作品に接しても分かりやすく思えて、すべては商業用映画であると断言できます。 総合評価 60点