良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『南部の唄』(1946)人種差別映画?心温まる友愛映画?まさかw

 この映画を見たのはテレビだったか、レンタルのVHSビデオだったかははっきりと覚えていません。存在すらも忘れかけていましたが、思い出すきっかけとなったのは町山智浩『もっとも危険なアメリカ映画』でした。  この本ではディズニーの偽善についてチクチクと批判をしていまして、拝金主義が行き過ぎるように思えるこの会社の闇の部分を暴き出していて痛快ですらあります。  まだ読まれていない方は『トラウマ映画館』などとともに一読されることをおススメいたします。『もっとも危険なアメリカ映画』でやり玉に挙げられるのは『空軍力の勝利』とこの『南部の唄』です。  大昔、ビデオレンタルでこれを見た時は何とも思わずに借りてきました。内容としては普通に見ているとなんだかお気楽な映画だなあととも思いましたが、『風と共に去りぬ』の黒人メイド役のおばちゃんが同じような役柄で出ていたりするので興味深かったのと牧場で主人公の少年が大怪我したりとちょこちょこあの名作に似ているなあと感じていました。  そう言えば、この作品もDVD化されないなあと思っていましたが、そんなに好きだったわけではなかったので、昔ダビングしたビデオを特に見直すこともなく、そのままにしていました。
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 ところが、町山氏の本を読んでいるとじつはこの作品は本国アメリカでは猛烈な批判に曝された封印映画であることを知り、驚いてしまいました。  また昔はテレビ放映もされたようですが、アメリカではビデオ時代もDVD時代になってからも一度もソフト化されていないということを知り、さらに驚きました。ただ今回、記事を書くにあたりAmazonで調べたところ、米国盤かどうかは分かりかねますが、現在在庫はないものの海外版DVDもあるようでした。  そんないわくつきの作品であるにもかかわらず、よくも日本でシャアシャアとお金を稼ぐ道具として使ったものです。英語という言葉が不自由な日本だからこそ成立したソフト化だったのかもしれません。  逆に大規模都市爆撃のヒントを与えた『空軍力の勝利』はアメリカでは普通にソフト化されていますが、当事国のわが国ではソフト化は不可能でしょう。軍人ではない民間人、小さい子供や力の弱い女が暮らす街を破壊しつくす卑劣な戦略を肯定する映像の力は圧倒的に強かったようで、チャーチルルーズベルトに見るように強く勧めていたそうです。  そんなディズニーが戦後すぐにいけしゃあしゃあと黒人と白人が楽しそうに共存する、現実には存在しない不思議な世界の物語を子供向けに公開しました。それがこの『南部の唄』なのです。学生のころ、何も考えずに見た時はえらくお気楽な作品だなあとしか感じませんでしたが、当事国であるアメリカでは黒人団体からの強い抗議を受けたそうです。
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 僕が感じたこと、つまりお気楽というのがキーワードだったのかもしれない。奴隷から解放されたとされているものの南部に行けば、生活は天と地ほどの違いがあり、黒人には1971年に文盲テストが廃止されて公布されるまでは半数以上に選挙権が与えられず、住む町も食べるレストランもトイレさえも隔離されていました。  そんな虐げられている環境下において、ディズニーはあり得ない世界を作品として公開し、誤ったイメージを、白人たちに都合が良いだけのイメージをばらまきました。これがおそらく黒人の地位向上を目指す団体の逆鱗に触れ、反発が広がったのでしょう。  言葉使いはブレア(ブラザーのこと。)やダ(the)などの奴隷時代の名残のような黒人特有のしゃべり方を用いているし、メイドとして登場する黒人たちもなぜか白い旦那様や白い奥様と対等に口をきいている。  ブレア・ラビット、ブレア・ベア、ブレア・フォックスが登場するが、キツネは狡猾、クマは鈍重、ラビットにも逃げ回る根性なしのイメージがあり、どれも悪意を感じてしまう。  現在自宅に残っているビデオは日本語版のみでしたので、内容の確認のため、YouTubeでオリジナル言語でも見ることにしました。ただしオリジナル全長版はなく、断片的な映像ファイルがアップされています。特に汚い言葉というか独特な言い回しには気づきませんでした。
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 日本語吹き替え版ではどこか差別的な声当てがされていて、普通の白人が使わないようなイメージの対訳がされていたのは明らかで、下賤な感じの日本語が当てられています。ということは悪意が底に潜んでいたということなのでしょう。  ブレア・ラビットを“うさぎどん”と訳していたり、白人との会話では奴隷であることが暗示されるようなへりくだった卑屈な感じが出てしまっています。  ただビデオ版も不思議な点があり、吹き替えには数種類あるようで、ぼくが確認できたのはブレア・ラビットの訳が“うさぎくん”のヴァージョンと“うさぎどん”のヴァージョンがあり、うさぎくんヴァージョンの方が丁寧気味で、うさぎどんヴァージョンは全体的に崩した感じです。  ディズニーはこの物語は奴隷時代のお話ではないとしているようですが、どう見ても『風と共に去りぬ』の世界観としか思えない。南部の広い牧場、畑で働く黒人たち、狭くて暗い粗末な掘っ立て小屋に住む真の主役であるリーマスじいさん。  うさぎどん(よりブラザーな言い回しな感じ)ヴァージョンは白人の大地主の未亡人を大奥様と呼び、娘を若奥様と呼び、孫をおぼっちゃまと呼ぶ。対等な関係ではないことは明らかでしょう。しかも彼ら黒人たちはすべて善人として描かれ、白人とも普通に会話している。ところどころおかしいのにコミュニケーションは取れている。
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 物語は白人の子供と黒人の少年が仲良く遊び、少年の母親が子供の頃から昔から農場で働いている黒人のおじいさんが楽しい民話を語り、近所で暮らす小作人の末娘とほのかな恋愛模様を描くが、牧場の牛の攻撃を受けて白人少年は意識不明の重体に陥る。  夫婦仲が悪かった両親と牧場主のおばあさんが超高級な純白なシーツが敷かれたベッドで看護(そのベッドが出てくる前にはおじさんの掘立小屋や小作人のみすぼらしい家が出てきます)をしている。  家の外(!)では奴隷一同(元?現?)が彼のためにゴスペルのようなやさしい歌で励ます(ありえんだろ!)。若奥様からの子供に近づくなという事実上の退去命令を受けて農場を出て行ったおじいさんは子供の危篤に駆け付け、手を握りながら話か掛けると彼は意識を取り戻し、元気になった彼と黒人少年と小作人の娘、そしておじいさんは楽しそうに皆で農場の道を歩いていく。という感じで終わります。  虐め抜かれている黒人からすれば、白人と仲良く共存するおとなしい黒人のイメージは虫唾が走るでしょうし、綺麗ごとで塗り固められた話の筋に怒りが込みあがるでしょう。もはや、ブラックジョークにしか思えないので笑ってしまう人もいたかもしれない。  今になってもDVD化がされないのも理由があるからでしょう。日本人には解らない差別的な言い回しが散りばめられているからこそ拒否感があるのでしょう。
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 映像的な注目点としては実写映画にアニメを入れ込んで同時に存在させるという荒業をやってのけていますが、時代は1946年ですので戦後すぐの段階でこれほどの映像表現を実現していたのはディズニーくらいでしょうから、偉大としか言えない。  だからこそ黒人と白人の歴史を都合よく処理する歪曲演出のために闇に葬られてしまっているのはアニメの歴史上惜しい。  ちなみに音楽を大胆に取り込んだ演出はミュージカルのようであり、町山氏も指摘するように『メリー・ポピンズ』の原型でもあります。主題歌として使われる『ジッパ・ディー・ドゥ―・ダー』は何度も歌われるので、いつのまにか耳に残ります。  サッカーのメキシコチームを応援するときの掛け声である「シキッティブン アラビンブンバン! メヒコ! メヒコ! ラーラーラー!」の呪文みたいです。  美化された『風と共に去りぬ』への返答のような形で、実際のこの時代を描いた映画としては『マンディンゴ』があります。現在の大統領であるトランプも差別主義者のようですし、差別と弱い者いじめの対象が黒人からイスラム教徒に変わっただけで本質は同じなのでしょう。  “トランプ”のくせにハートがないですのでみんながルールを知っているババ抜きをはじめとする国際的ゲームのルールも勝手に自分の都合が良いように変えられようとしています。4年持つのかね?  総合評価 58点