良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『この世界の片隅に』(2016)2016年最高のアニメはこっちです!

 『この世界の片隅に』は昨年夏以降、あまりにもというか異常に大ヒットした『君の名は。』や『シン・ゴジラ』の東宝勢の陰に隠れてはいますが昨年11月からの公開で今年の1月末になった現在でもじわじわとまだ上映されているロングヒット作です。  話題性という点では『あまちゃん』で真っ先にブレイクした能年玲奈が久しぶりに声優としてではあるが復活してきたことでしょう。有村架純橋本愛が彼女に続き活躍し始めたのに、反比例するように諸般の事情でいつのまにか表舞台から消えてしまったのが能年玲奈でした。  そして復活したと思ったら、今度は芸名が“のん”に変わっていました。前に所属した事務所から芸名を使うなという要求があったようですが、能年玲奈は彼女の本名なのでこれはさすがに酷いのではないか。なんだかジブリの『千と千尋の神隠し』で名前を奪われた主人公千尋のようです。  まあ、強いて挙げれば話題性というのはこれくらいです。それでもこれだけロングランで上映されているということはクチコミで内容が素晴らしいと拡散されているからだろうと推測できます。うちの近所の映画館ではもうじき公開終了になりそうなので観に行くことにしました。
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 上映が始まると懐かしい歌が聞こえてきました。それは『悲しくてやりきれない』。ザ・フォーククルセダーズが『帰ってきたヨッパライ』のあと、発売できなかった『イムジン川』に替えてリリースした作品だったっけなあ。  切ないギターがカッコよかったこともあり、シングル・レコードを中古屋さんで探しました。当時は中学生が買うにしてはめちゃくちゃ高かったので、CD化されてから購入しました。  もちろん歌っているのはフォークルではなく、別人の女性歌手でした。その他ではドリフでお馴染み(ド!ド!ドリフの大爆笑~♪)の『隣組』もイイ感じで歌っています。  映画が描いているのは太平洋戦争前後、日に日に生活物資が圧倒的に不足していく厳しい状況下ながらも工夫しながら生き抜いた人々の普通の暮らしぶりでした。どうしても戦中を描くとなると左翼的な反戦モノとお涙頂戴の悲劇モノばかりが持て囃されるのであまり見る気がしませんでした。
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 しかし今回は戦争の暴力を描きつつも、憲兵を陰で笑い飛ばす当時の世相や民衆のたくましさや可愛らしさ、そして死生観も出ているし、能年ちゃんの声も素朴で好きな感じの声です。  笑えるのは物資が不足し、モノの値段がどんどん高くなっていくインフレが進み、お菓子やキャラメルが10倍になったら買えなくなるからどうしようとかを真剣に心配している様子(命のほうが先でしょ!それどころじゃないでしょ!と突っ込みたくなります)で、のんちゃんのアホみたいな独白が可愛らしい。  さすがにそろそろ公開終了になるようですが、70%以上の客席は埋まっていて、結構入っているのも事実ですから、たぶん延長されるでしょう。高い値段でガラガラなのと静かに観られるのではどっちが良いだろうか。ただ今回の150人余りの観客はリピーターと思しき人が多かったこともあり、マナーを守った客層なので楽しめました。  全編を通した感想としては前半から中盤にかけてのお話の展開はとてもおっとりとしていて、第一次大戦後の軍縮会議による影響のために、軍艦製造が減少し景気が悪くなってしまった幼少期から少女になるころも描かれます。
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 19歳になったころには戦争はすでに始まっているものの、のんきな田舎の若い女の子らしい感覚が微笑ましい。能年玲奈は良い役を手に入れたようです。声にとても魅力があり、聴く者を和ませてくれます。これは大きな才能ですので頑張って欲しい。  中盤以降、1944年あたりからですのでサイパン陥落後でしょうが、のんちゃんが嫁いだ呉市にも徐々に空爆が始まり、米軍による無差別爆撃が女も子供も容赦なく傷つけて殺戮していく。ディズニーも戦中は『空軍力の勝利』を製作し、映像による成功イメージをチャーチルルーズベルトに植え付けて、空軍による都市爆撃作戦を後押しして、広島長崎につながる非道な無差別殺戮に間接的に協力していました。  それを知っていると、ミッキーマウスドナルド・ダックも偽善にしか見えない。能年ちゃんの役柄の主人公も不発弾(原始的な時限爆弾)の爆発により姪っ子の命と絵が得意だった右手を失う。当時、女性は家事の一切と子育てを仕事にしていましたので、利き手を無くすことは生産性の低下を招き、世間の目を気にする嫁ぎ先からの離縁を意味したことでしょう。  お話の中でも何度か別れ話が浮かんでは消えていきます。物語のクライマックスは広島への原爆投下でしたが、舞台は呉だったので、広島とは様子が違っています。
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 真っ昼間に一瞬だけ空が光った次の瞬間に地響きが地震のように発生し、外へ出てみると暴風雨を降らせる雨雲のような原爆雲が空を覆う。衝撃はすべてのものを焼き付くし、かつて見た威容を誇った広島県産業奨励館の建物は原爆ドームと化してしまう。  衝撃波はあらゆるものを空に舞いあげ、広島から飛んできた障子が呉の嫁ぎ先の家の木に突き刺さる。市内は悲惨の地獄絵図で、なんとか生き延びた親子も飛んできたガラス片が全身に食い込み、出血が止まらないために母親は死に絶え、生き残った娘も蛆が湧いてきた母親の躯から離れ、物乞いをする。  物語の前半で繁栄している広島の様子やのんびりとした生活を見せているので、その対比により悲劇性は際立っています。旦那になる人とのんちゃんはじつは子供時代に広島までお使いに行く道で、人さらいに浚われかけています。  そんな大ピンチのところを絵が上手いのんちゃんの機転で狼男のような人さらいから逃げ出すことに成功していて、それが一目惚れ結婚のきっかけとなります。もうひとり学校時代の同級生も出てきますが、あとあと人妻となったのんちゃんを誘惑しようとします。
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 戦後、原爆投下後に被爆しながら生き延びた人々にも死の影は迫り、妹は原爆症に苦しみ、爆心地で出会った少女は被爆により母を亡くし、乞食をしていたところをのんちゃん夫婦に助けられ、一緒に暮らすようになります。不潔な環境にいた彼女にはシラミがついていて、大人たちが洗います。  エンディングでは嫁ぎ先の娘を亡くした小姑にちょこちょこ嫌がらせを受けながらもなんとか上手くやっている様子も描かれ、彼女が昔着ていた服から新しい子供服とモガな洋服、そして自分用の小物を作り出す。エンドロールに出てくる様子なので、最後まで見ましょう。  エンドロールの最後ではクラウド・ファンディングによる資本提供者を全員クレジットしていきます。資金調達のやり方も変わってきましたね。ただこれって大手映画会社が企画に難色を示して予算を渋ったから、民間に責任と出資を頼った訳ですから、どれだけ興行収入を上げても、映画会社にはデカい顔をする資格はない。  見ていて「なるほどなあ」と唸らせてくれたのは食糧難時代にどうやって食べられる草花を探し出し、満腹感を得るためにいかに調理の工夫をしていくかを隣組で共有する様子です。その他、皆がお互いさまで防空壕を整備したり、空襲が来ればどこの人だろうと一緒に避難する様子など興味深いシーンがたくさん出てきます。リアルなサバイバルファミリーです。
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 そうなのです。これまでの戦中映画のほとんどは庶民の素朴な生活を描いていないモノばかりでした。軍人や政治家、起業家ばかりにスポットが当てられていて、特に大きな事件や珍しいことの起こらなかった普通の家庭は無視されていたのです。  戦死や空襲による死は身近にありましたが、身近だったために思い出すから見たくないという方への配慮もおそらくあったのでしょう。ようやくこういうものも描けるようになったのかもしれません。  後半は焼夷弾や原爆投下に翻弄される悲惨な様子を描いてきますが、前半のノンビリした生活は見ていてホッとします。ホッとする要因の多くを占めるのはのんちゃんのゆったりとした声です。  死をテーマの一つにした映画ですが、なぜか落ち着く不思議な作品でもあります。それだけ彼女の声には魅力があるということでしょうから、今度は実写映画での復活を遂げて欲しいですね。 総合評価 80点