良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『サバイバルファミリー』(2017)電気が止まれば、この世は終わり?

 本来なら、公開が始まった先週土日に観に来る予定だったのが『サバイバルファミリー』でした。ただ翌日の月曜日に社内研修があったので土日にするか、研修が終わってからにするかでちょっと迷っていました。  それを仲が良い後輩社員(この娘も映画好きで毎月何かしら観に行っています)に話すと「研修の準備と勉強しなきゃダメ!」と怒られてしまい、先週末は黙々と自宅で準備の勉強をしていました。  そのため、満を持しての鑑賞になっています。まあ、怒られて準備と勉強をしたお陰で研修は上手くいきましたが、なんだかカツオくんみたいで小学生になった気分です。  そんなこんなで本日、会社が終わってから来ています。そのことをベテランのおばちゃん社員に話すと「あの娘、お嫁さんみたいやねW」とからかわれました。後輩には「今日、観に行くよ」と告げ、「先週はダメって怒られたからね」と話すとニヤニヤされました。  今回の『サバイバルファミリー』は矢口史靖作品です。『ウォーター・ボーイズ』『ハッピー・フライト』などこれまでもさまざまな作品を見てきましたが、今回も予告編を見ただけでも楽しそうでしたので期待しています。『WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~』のときには観たのに書けなかったので、今回は早めにアップすることに決めていました。
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 これまでの作品はコメディではあるものの現実世界を描いていました。しかし今回はSFチックに“もしも○○がなくなったら”というドラえもん的な世界を舞台にしています。  ただ大掛かりなセットを組んだり、特別な道具が登場するわけではなく、ぼくらが住む世界から電気だけが消え去ります。普段何気なく使用していて、当たり前と思っている電気がなくなるだけでどれほどの影響が出て、経済活動が破綻するかがコメディとして語られる。  じっさいこの世から何らかの理由で電気が使えなくなるだけですべてがストップしてしまいます。まず夜の灯りがなくなるので、太陽が沈むと右も左も解らない。自動車のバッテリーはじきに尽きてしまう。今回はすべての電化製品が彗星か太陽フレアの影響(?)で使えなくなり、電池すら使用不能になります。  携帯は充電できないので連絡手段がなくなります。人づての噂話のみが情報になってしまいます。また大きな電源が必要であろう電信電話の本社や付随する設備も使えなくなり、コンピューター管理されているもののすべては起動しない。  するとダムの水源が満タンだったとしてもポンプが電動なので動かせないということです。電気が止まるとガスも止まり、すべて人力で明かりや水資源を確保する必要があります。肝心のお金は手持ちの分以外はデジタル・データに過ぎないために、窓口に長蛇の列が出来ます。
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 しかし行ったとしても、急にすべてを手書き対応していちいち対処するのも無理があります。送金が出来ないとすべての経済機能は麻痺します。そうです。ぼくらが住む世界は電気が止まるだけで壊滅的な被害が出ます。オフィスのカギもセコムなどの電気利用の装置での開閉が多くなっており、ビルはカギがあっても開かない状態になります。  庶民生活が破たんしていくさまをコメディとして楽しく描いていますが、実際に起こったら、中共北朝鮮による大掛かりなサイバー・テロや大災害が現実に起こり、大規模停電が全国的に発生すると何も機能しなくなります。外国が攻めてきたなどの疑心暗鬼から来るデマなどの流言が飛び交い、外国人や異教徒に対して不満と敵意の感情が向けられる。  誰も確認できないので口づたいに伝わるのは早い。日本は単一民族国家なのですぐに噂は広まっていくでしょう。じつはかなり怖いことを面白おかしく語りかけてくるのが本作品なのです。そんなときでも娘はつけまつげを気にするし、小日向はカツラをギリギリまで外そうとしない。  ガソリン車(エンジンもプラグが使えずに動かないですし、電気自動車はそもそも電気がないと動かないのでただの鉄屑になる)から自転車移動に代わり、川やダムに目掛けて人々が殺到しても、浄化されない水を飲むと当然ですが下痢をします。キャンプやサバイバルのマニアは大活躍できるでしょう。  劇中にもキャンプ慣れした時任三郎一家(嫁は藤原紀香)から飲み水確保や食料となる雑草や干物の作り方などを伝授されます。
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 こういうパニックが発生したとき試されるのは家族の団結、町内会などの自治会組織との日頃からの付き合いでしょうが、災害がまだ起こっていない場所ほど繋がりは薄そうです。まさかのために備えた近所付き合いというのはそこそこ必要かもしれない。  都心部の停電は深刻で、高層マンションの高層階の住人はいちいち一番下まで階段で降り、一番上まで階段で上がらなければならない。  カーナビのないクルマ、携帯のないときの伝達手段、夜の灯りの確保、食料や水の確保など現代人が当たり前だとしてまったく感謝していないことの有り難みについて、このコメディから学びましょう。  しかしまあ、電気が突然無くなる世界だと何を基準に物々交換を行うのだろうか。ペットボトル飲料一本が1000円(劇中では2500円!)とか、缶詰1個が500円とか米ドルが360円(世界中が電気を失うと無価値)として換算される闇市がすぐに形成されるのでしょう。  そこでは喫茶店とかでコーヒーについてきたスティック・シュガーや駅前で配っていたポケット・ティシュが360円相当とかで売られているかもしれない。水洗トイレは流れなくなるのであちこちの空き地がトイレになり、徐々に汚物で埋まっていくのかなあ。それか海や川、近所の駐車場に垂れ流すかでしょうが、嫌ですねえ。
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 水族館の魚はすべて食料に変わり、池の鯉は釣られて干物に早変わり、トイレは使用不能となり、公園のトイレは大災害状態になり、あちこちで男女関係なく茂みに隠れて用を足す。そこにはマナーが悪い飼い主に警告するためのペット用看板“フンは持ち帰りましょう”と書いてあるのを見つめるシーンもあります。  移動手段として唯一活躍する自転車はあちこちで盗まれそうになり、水と交換できるのは食料のみで完全に物々交換社会に戻ります。嫁の実家である鹿児島(父親は柄本明)に向けて都内から自転車で向かう小日向文世深津絵里夫妻と子供2人(泉澤祐希葵わかな )の家族はぎくしゃくしながら自転車旅をするので家族再生のロード・ムービー的な色彩もあります。  よく見ると冷酷な描写も多く、ここぞとばかりに客の足元を見る商売人(経済学上はインフレ状態なので値段は需要に合わせて高くなるのは当たり前)、ペットの置き去り(余裕があってこそということか)、店舗商品の略奪(使えないものは放置されている。精製水も飲めるんですね。)は普通で、杖をついた年寄りや道にうずくまる老婆がいても、自分のことで精いっぱいなので誰も気にも留めない。家庭ゴミは三日くらいで莫大な量になり、道もどんどんゴミだらけになっていく。ある意味リアルですね。  静岡、大阪、岡山、そして目的地の鹿児島まで何とか無事にたどり着くまでには地図を頼りに来たのに違っていたり、橋のない川を渡ろうと筏を作るも増水に流されたり、川の水を飲んで下痢をしたり、泥棒に水を盗まれたり、飼い主(前半では飼い主に捨てられ、マンションに置き去りにされた犬の嘆きの声が聞こえる)に捨てられて野犬化した野良犬軍団に襲われたり散々なことが起こります。
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 一方でバラバラだった家族も徐々に運命共同体としてまとまってきますし、岡山(たしかこの辺の地図を見ている)の畜産農家を経営する大地康雄との邂逅と一週間余りの触れ合いは劇中でも古き良き日本を思い出させる良い場面です。ブタをつぶして燻製にしたり、有機野菜を美味しく食べたり、数か月ぶりに五右衛門風呂でゆったりする。  ブタをつぶしたり、有機野菜についている虫を嫌がったり、魚をさばくシーンでは最初は臓物を嫌がったりしていたのが生きていくためには綺麗ごとでは済まないことを自覚し出すと顔から甘えが消えていく。  自分たちで苦労して労働した後に自然たっぷりの食事をとると勝手に涙がぽろぽろと流れてくるのは良いシーンです。  これって、預金封鎖が行われた時に起こることと酷似していて、まずは通貨の価値は限りなくゼロになり、田舎に土地を持っている人は都心部の人よりも裕福(農家にとっては当たり前の暮らしを普通に続けられている)に暮らせる。そこへめがけて人々が殺到し、食べ物を求めて物々交換していく。
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 映画では汚い部分、つまり買い占めをして暴利をむさぼる商人や暴力で物資を奪い取ったり、女に暴行する暴走族や犯罪者の群れ、農家を守る武装自衛団などは描かれていません。よりダーティでリアルなのを見たい方はコーネル・ワイルド『最後の脱出』をご覧ください。描写がストレートかつ残酷で、かなりキツイですよ。  人間に必要なのは水の確保、火の確保、そのあとに食料の確保、濃密な人間関係なのでしょう。付け加えるならば、普段からの防災意識と準備でしょう。電気が無くなるというのは極端でしょうが、通貨価値が無くなるというのは戦争などもありえます。  普通に暮らせること自体に感謝すべきであり、足るを知ることが肝要であり、誰かを支えるという目的がないと生きてはいけない。赤ん坊にミルクを飲ませるためにペットボトルを盗みに来る者もいて、哀しくなってきます。  電気のない生活は世界規模で起こっていて、2年半に渡って続きます。2年半経ったある朝、起きると突然ですが電気は復活します。しかし回復してもこれまでとは全く違う世界になっています。電気がなくなり、物質的には豊かとは言い難い生活だったのが、電気のない生活を経た後では人間的にはすべての人が人間らしさを取り戻し、人とのつながりが密になっています。
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 食べ物のありがたみ、家族のありがたみ、人とのつながりのありがたみなどを再確認し、一人では生きていけない、自分勝手では集団として生きられないなどという当たり前のことを認識させてくれるきっかけになる良い映画です。  映画は都内の明かりに満ちた夜景で始まり、一度は電気を失い真っ暗で天の川が見える都内の星空に変わり、電気が復活してまた電気の明かりが都会を満たします。提供は電通・フジテレビ・アルタミラ・東宝です。う~む、経営状態と視聴率に悩む問題企業が2つ入っていますね。  電気パニック当初はまったく家族から信頼されていなかった小日向パパでしたが、子供のために土下座してでも食料を得ようと奔走したり、息子が道を間違えてもゴチャゴチャ言わずに黙々と川を渡るための筏を組み立てたりして権威を取り戻していきます。  そんなパパに深津ママも愛情を深め、ようやく岡山まで来て大地宅で布団を敷いて寝るときには仲良く手を握って眠りにつきます。  普段はダメでもいざとなったら、何とかしなければいけないのがパパの仕事であり、娘にどれだけブーブー言われても可愛いのがパパなのです。 総合評価 78点