良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『光』(2017)見つめる先に光がある。視力を失った未来に何が…

 河瀨直美監督作品を映画館まで観に来たのは2007年の『殯の森』以来なので10年ぶりとなり、本当に久しぶりです。資格試験の勉強も一段落ついたこともありまして、イタリアン、中華、お寿司、鳥料理とあちこち食べに行っています。  奈良出身の監督のため、各映画館も地元盛り上げキャンペーンをやっているようで、大きなパネルが並べられて、このシーンは地元で撮影されていますとアピールしています。  じっさい、普段何気なく歩いている奈良市内の様子が次々に出てくるので親近感がわいてきます。「ああ、このシーンはカンヌの観衆も見たのだなあ」と思うと妙な感慨があります。  河瀨監督は新作が公開されるたびにマメに書店などでサイン本を配っているので、割りと距離が近いというか、親近感を感じるクリエイターではあります。  ただ最近は主演に起用していた尾野真千子が売れてしまったためにスケジュールが押さえられずに近作に出演しないのは残念です。昔は会社にPRに来てくれたこともありましたので、出世しているのは素直に嬉しく思います。
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 製作者が地元だと他とは違う感慨があります。作品そのものはカンヌ映画祭にノミネートされたこともあり、話題になっていますが、彼女の作品はスペクタクルに満ちたハリウッド的な派手な作風ではないので注意して見ていただきたい。  この映画の主役は視覚障碍者用の映画音声ガイドをしています。あまりメジャーな仕事ではなかったので、スポットを浴びたのは初めてかもしれません。  目が見える人はどうしてもディティールを最大限に伝えようとするあまり、いろいろと情報過多になるというのは新鮮でした。普通に映画を見ていても、ここは少し余韻に浸っていたいなあとか、考えていたいなあと思うことがあります。  ずっと情報を与えられ続けても何も入ってこないことがあるのはドラマでも、ニュースでも多く経験しています。見る人が十人いれば、受け入れ方も人それぞれあるように断定したガイドはただの主観の押し付けでしかない。これは普段のニュース番組も同じです。  ストーリー展開としては主観の押し付けについてダメ出しを繰り返されるヒロイン水崎綾女永瀬正敏や周りの人々と葛藤しながら、徐々に成長していくさまが描かれる。光を奪われていく永瀬の苦悩ぶりが見事で、視力を失うことへの恐れと弱さ、何とか正気を保とうとする意志を見せてくれます。
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 視界がぼやけていき、視野が徐々に狭くなっていき、目の端っこだけに視界が小さくなり、光だけを何とか感じるようになり、最後は真っ暗になる。これは自分に当てはめてみると恐怖です。もし自分がそうなったときに正気を保てるだろうか。  奈良の森と里山の風景、夕日や光の美しさが全編を覆い尽くすが、じつは主人公にはほとんど見えていないという残酷な映画でもあります。少しでも日光が入るような部屋に引っ越した主人公永瀬はプリズムのような風鈴を飾っていますが、彼には見えていない。  永瀬は視界を失い、ヒロインの母は認知症にかかり、正気を無くしていく。ヒロインは彼らの生きざまから何を学ぶのだろうか。  ヒロインが子供のころに撮った田舎の夕陽を見ている家族写真と永瀬が撮った見事な夕日の写真がシンクロして感動したヒロインはほとんど視力を失った永瀬と写真を撮った現場に出向く。そこでのキスシーンは確かに美しいのですが、脈絡がないので違和感があります。  また頻繁に街で偶然(?)に永瀬を見つけるのも違和感というか、ご都合主義がちょっとどうかなあとムズムズしてしまいました。
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 最高にエロチックなのは夜中の歩道橋で、彼女の顔を触りながら感触を確かめ、見えない目でカメラを操りながら永瀬がシャッターを切るシーンでしょう。もちろん見えない目で撮られるため、出来上がりはピンボケになってしまっていますが、構図自体はしっかりしている。  葛藤を続けた映画音声ガイドも監督に意図を聞きにインタビューしに行ったりして、どんどん仕上がっていきます。監督もハッピーエンドではない苦悩を彼女に間接的に伝えます。  最初は映画にハッピーエンド的な解釈を加えようとしていたヒロインも綺麗ごとだけではないシリアスな人生を描いている映画に対し、ガイドで深みを与えるために何度も試行錯誤を繰り返していきます。  最終的には老人(藤竜也)が海岸の丘を昇り切ったところで佇むシーンに〝見つめる先には光がある”と声を当てる(じっさいの完成版は彼女の声ではなく、なんと樹木希林!)。  介護の末に妻を亡くし、茫然として流離う藤竜也の姿には様々な困難がやってくるのは明らかでしょうが、人生には何があるかは分からないのも事実です。
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 光にたどり着くまでには希望があり、苦悩があり、現実があり、病気や嫌なことが常に襲い掛かってきます。それでもなんとか明日は良くなるさと希望を持ちながら、何とか折り合いをつけて生き抜くのが人生なのでしょう。  であれば、この最後につけた“光”に対してのガイドはとても味わい深く、見る人各々の解釈によって、幾通りにも広がっていくことでしょう。  この作品で主役を務めるのは永瀬正敏、ヒロインに水崎綾女(なんだかどことなく尾野真千子の面影を探してしまう)、神野三鈴、小市慢太郎、白川和子、そして藤竜也に声だけですけど樹木希林。  河瀨監督らしい光の描写や森の描写は見せてくれます。特に夕日を見に行くシーンでは、個人的には夕日の美しさよりも強めの風が吹いて、森の樹木をギシギシ騒めかせる音の心地良さが印象に残る。  多くの観客に満足を与えられるとは思いませんが、フザケた映画が多い中、光と影を扱い、音の意味、伝える難しさとセリフに頼る安易な姿勢を批判する河瀨監督の意気は伝わってきます。考えさせてくれる良い映画です。
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 特に思うのはぼくら映画ファンは目が見えるということに対してあまりにも感謝がないのではないか。見えるのは当然ではなく、幸せだと改めて考えさせられます。  ぼくらは映像が見えていますが、映像の奥にある映画作家の意図を理解できているのだろうか。映像の本質は見えているだけで分かっていないのではないか。  それは見ていると言えるのだろうか。強烈なアンチテーゼを突き付けられているのではないか。美しい映像がたくさんある映画ですが、再び問いたい。ぼくらに製作者の真意は見えているのだろうか。  水崎綾女が何かと仕事にケチを付けたり、批判的な永瀬の部屋にはじめて訪れたときにそこでも細かいことをゴチャゴチャ言われ、目が見えない永瀬にエアパンチを可愛い顔をして悪戯っ気たっぷりにお見舞いするシーンがあり、見えないが何か気配に気づいた永瀬が不愉快そうに「何やっているんだ!」と語ります。  この何気ないシーンとこれに続くプリズムの反射がまったく見えていない永瀬の様子を見て、反対に映像としてはぼくらはこの光を見ているが、本質は理解できているのだろうかと思いを馳せました。 総合評価 78点